289.(幕間)恩に報いる女の戦い方があるわ
王太女殿下が開くお茶会への招待状を前に、私は緊張で動きが止まった。
王宮に務める夫は男爵家の次男だ。私は平民で、もし夫の実家が子爵家以上だったら、夫が嫡男だったら結婚できなかっただろう。
義父は身分に隔てなく接してくれるし、義母は優しく礼儀作法を教えてくれた。王宮勤めの夫に同伴して恥をかかないように。そして上位貴族に目をつけられないように、と。平民はどうしても軽く扱われるため、美しく若い女性は酷い目に遭うらしい。
貴族は立派な方ばかりと思っていたので、驚いた。半分は脅したのだろうと受け止め、さほど深刻に考えなかった。親切な義母の忠告を軽んじた罰か、私は見目麗しい貴族令息に呼び止められ、道を尋ねられた。王宮の端、すぐ近くに四阿がある庭の小道だ。
身なりのいい青年が尋ねたのは、王宮の手前を左に曲がる噴水への道だった。幸い知っていたので、身振り手振りを交えて説明する。いつも通り振る舞ってしまった。それがいけなかったのか。
四阿へ連れ込まれ、叫ぶ口に裂いたスカートの生地が詰め込まれる。手足を縛られ、乱暴にドレスを破かれた。混乱している間に男は欲望を果たし、私をそのままにして立ち去る。茫然自失の私を発見したのは、夫だった。
約束した時間に訪れない私を心配し、迷ったのかと庭へも足を伸ばす。その親切心が仇となった。何が行われたか明らかな姿に、夫は絶句し……泣きながら私を抱き寄せる。
「悪かった、呼ぶんじゃなかった」
途切れ途切れに綴られた謝罪と後悔の言葉に、私はようやく己の感情が蘇るのを感じた。ここからが地獄だ。いっそあのまま凍りつき、溶けるか砕けてしまえばよかったのに。
夫は必死になって犯人を探し、項垂れて帰ってきた。貴族派の上位、ハーゲンドルフ伯爵家の三男だったと、これでは手が出せないと謝る。ずっと寝込んだまま役に立たない平民の妻に、男爵家の次男であった夫は頭を下げた。
忌々しく穢らわしい記憶が蘇る。王太女殿下の招待状に書かれた「悪夢を二度と見ない方法を」の一文に、じわりと恐怖が呼び起こされた。この方は王族で、貴族の頂点に立つ。なぜ末端の文官の夫人である私のことを知っているのか。
呼ばれた理由は? 悪夢とはあの出来事? ならば誰から聞いたの! 混乱と恐怖で見開いた目は涙に濡れた。それを見守る夫は、ぽつりと希望を口にする。
「王太女殿下は身分で人を判断なさらない。お会いしてみてはどうだろう。もし君が怖いなら、お断りしてもいい」
平民である私でも理解できます。もし貴族の頂点に立つ王族の招待を、ただの平民が断ったら……夫は仕事を失うでしょう。王宮は王太女殿下の一言で、必死に働く夫をクビに出来る。晒されても、嘲笑されてもいい。優しい夫がこれ以上傷つかないなら、私は道化にもなりましょう。
「いいえ、お伺いします。でも、ドレスはどうしたら」
「母上が用意してくれるそうだ」
男爵夫人であるお義母様は、若い頃のドレスを引っ張り出し、私のために解いて手直ししてくれた。用意できる最高の戦闘服を纏い、私は覚悟を決めた。決して折れたりしません。
王太女殿下が集めたのは、あの男の被害者達、複数の女性が集められたお茶会は、半分ほどが顔見知りでした。こんなに被害者がいたの? もしかしたら、あの時点で私が被害を訴えていたら、少なく出来たのではないかしら。
後悔が過ぎる私に、夫の同僚の夫人が寄り添う。互いに支え合いながら、女性だけのお茶会は密やかに……報復の意思を持って締め括られた。
次の舞台は夜会――お義母様にまたドレスをお願いしなくちゃ。私もお裁縫ができるから、お手伝いして……前向きにそう考えることが出来る。
私の未来は再び明るく開かれるのだから。迎えに来た夫に微笑むと、久しぶりだと喜んでくれた。
夜会で断罪され、最後に裁判で刑を言い渡す。王太女殿下は本当に約束を守った。私達の名誉や痛みを重んじて……だから今度は私が恩返しする番よ。王太女殿下のために、夫が仕事に打ち込めるよう支援する。女には女の戦い方があるわ。
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