285.(幕間)張り詰めた弦を弛める者
生まれた瞬間に、国王の跡取り候補から外された。長子である利点は、男という一点で帳消しになる。カールハインツ・ローゼンベルガー王子、それが与えられた肩書きだった。
生まれた妹を見た時の正直な感想は、可哀想だな……のみ。女に生まれたばかりに、一生を国の駒として縛られる。俺を見ると手を伸ばして笑う、天真爛漫なブリュンヒルト。ローゼンミュラーの名を与えられ、王太女に据えられた。
歴史や経済などの教育、礼儀作法、ダンス、複数の言語。大人であっても音を上げる厳しさを、ブリュンヒルトは消化し続けた。振り落とされてなるものか、気迫を見せて食らいつく姿に俺の感情が変化する。彼女は己に課された運命を受け入れた。なら、兄である俺が腐るわけにいくまい。
あの子の先を歩き、不得手な部分を補おう。武力を身につけ、国を背負う妹を守りたい。露払いをするつもりだった。だが気づけば彼女の方が先を歩き、俺が追い掛ける立場になっていた。
幼い頃から仕掛けられる言葉による支配や暴力を、するりと交わして叩きのめす。褒め称える母上と対照的に、父上は「聡すぎるのも毒だ」と嘆いた。男だから考えが似るのか、俺は父上に賛成だ。
ヒルトは張り詰めた弦のようだ。いつか切れてしまう。いい音を奏でる弦は、弛むことを知らなかった。上手に休ませて上げる方法がわからず、ひたすらに愛情を注いだ。何かあれば、お前の兄が後ろで支える。そう示すために、必死だった。
妹を溺愛する兄の評判が定着した頃、ヒルトは突然子どもを拾った。テオドールと名乗る彼は、鋭い気配で周囲を威嚇し続ける。
鞘を持たぬ短剣は持ち主を傷つける。忠告を受けたヒルトは12歳とは思えぬ大人びた笑みで、俺に尋ね返した。鞘が固着した錆びた刃で何を切るのか――と。
当初は、テオドールを揶揄したのだと思った。だが、数年で考えを改める。あの時ヒルトが示したのは、俺の在り方だ。国主になれぬと諦め、己を磨かなかった俺への切り返しだった。己を縛る鞘が邪魔なら、錆びる前に切り裂けばいい。身に合わぬ鞘を受け入れる必要はないのだ。
唸り声を上げる狂犬を飼い慣らし、ヒルトは番犬にまで格上げした。俺がヒルトを追い抜く日は来ない。彼女は常に先を見通して歩いた。それを羨ましいと思うより、心配になる。聡明過ぎて未来を予測する妹に、誰かが手足になり寄り添って欲しかった。
己の手足を自ら見繕った誇り高きヒルトは、母上により大きな試練を迎える。婚約者を選べ、と。次世代へ血を繋ぐのは、国主になる者の義務だった。
「絶対に役立ってみせる」
ヒルトの婚約者候補に名を挙げたのは、6名。妹の飼い犬も含まれている。見極めるというより、あの子の足を引っ張る愚者を蹴落とすつもりで呼び出した。厳しい訓練を課し、しごき倒す。愚かな兄を演じることで、ヒルトはさらに輝くはずだ。
「不器用なところは、血筋でしょうか」
苦笑いするエルフリーデは、騎士服で腰に手を当てた。呆れたと告げる彼女に告白したが、ヒルトの婚約確定まで答えを保留される。忠誠心厚い彼女は、専属騎士の肩書きを殊の外喜んだ。もちろん応援するつもりだ。夫人は家を守ればいいと口にするほど、ぬるい教育は受けていない。
「ヒルトは優秀だぞ?」
「……いいえ、不器用ですわ。頭がよく賢いことと、生き方の不器用さは別ですもの」
ああ、確かにそうかも知れない。すとんと腑に落ちた。ヒルトは常に張り詰めてきた。弛めて休ませる者達が、蜜に集る蝶のようにヒルトに寄り添う。
「お疲れ様でした。カールハインツ様のご苦労は報われましたわ」
見透かした彼女の言葉に、俺は何度も瞬きする。いくら惚れた女の前でも涙は溢せないからな。にやっと笑って涙を散らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます