275.騙されたと思った? 騙したのよ

 私の結婚式の際に、お兄様とツヴァンツィガー侯爵令嬢エルフリーデの婚約を、正式にお披露目する。かなり待たせてしまったわ。そちらの手配も一緒に行い、戻ってきたテオドールに書類を持たせた。


「こちらは……陞爵と同時に専属精霊術師の任命ですか。随分と乱暴な手ですね」


 ふふっと笑って種明かしした。


「だって、宮廷魔術師を打診したら面倒だと断られたのよ。だから利点を並べて陞爵の書類に署名させたの」


 その書類が就任打診を兼ねていただけよ。ハーフアップにした金髪の毛先を指で遊びながら、書類を差し示した。


「リュシアンに届けて説明して頂戴」


「……承知いたしました。二度目は通用しないと思います」


「二度目があったら、違う手を考えるわ」


 くすくす笑う私に、テオドールは肩を竦めて一礼した。リュシアンは庭の温室か、図書室だろう。テオドールならすぐに渡すはず。きっと怒って飛び込んでくるから、リュシアンのお茶も用意させましょう。


「エレオノール、気持ちが落ち着くハーブティーをお願い」


「はい。足音が聞こえたら、淹れ始めますね」


 あら、分かってるじゃない。微笑んで書類の処理を始めた。結婚式までに前倒しで終わらせておきたい。もう初夜でもないけど、また数日は監禁される気がするもの。申請書類を処理し、報告書に目を通す。指示書をいくつか作成したところで、慌ただしいリュシアンの声がした。


 廊下で誰かにぶつかったのね。軽く謝罪して近づく足音は、普段なら絨毯に吸われて聞こえない。でも怒りに任せたリュシアンの靴は、しっかり鈍い音を響かせた。


「エレオノール、お茶はもう少し後の方が良さそうよ」


 大量の精霊を引き連れている。これは宥めるのに時間がかかりそう。お茶が冷めてしまうわ。承知したと下がるエレオノールは、わざと扉の近くに立った。勢いよく開いた扉に、軽く触れて顔を顰める。


「っ!」


「悪い、痛いか?」


 これでかなり怒りが削がれる。体を張った秘書官の献身を無駄にしないため、私はゆったりとした口調で話しかけた。


「痛むのなら、休んでいていいわ。エレオノール、お疲れ様」


「はい、ブリュンヒルト様」


 接客用のソファーに落ち着く彼女を見送り、正面に立つリュシアンに声をかけた。


「扉を閉めて頂戴」


「あ、うん」


 この時点で私達の勝ちね。かなり勢いを削がれ、リュシアンは言い出しにくくなった。


「あの……さっき伯爵にするって聞いたけど、色男が説明した時に変な肩書きが増えてたんだ」


「専属精霊術師かしら?」


「そう、それ! 何のつもりだよ。精霊を使役させる気か?」


 自分について来てくれた精霊達と親交を深めたリュシアンは、使役することに迷いが生じた様子。思っていた通りだわ。


「元は使役していたでしょう」


「っ、そうだけど!」


 今は違う、叫びそうなリュシアンが身を乗り出す。机に手をついたハイエルフの前に、手のひらを翳した。止まれの合図は、基本的にどの世界も同じみたいね。


「落ち着きなさい。伯爵の肩書きだけで、王宮の図書室にある秘蔵書は閲覧できないの。それに与えた地位に見合う公金を支払うには、仕事が必要よ。そのための精霊術師なの」


 丁寧に説明していくが、これを省きたいから派遣したテオドールは、何をしているのかしら。


「じゃあ、名前だけか?」


「あなたが嫌だと思う仕事は断れるわ。そのために、私の専属にしたのよ」


 ぱちくりと目を瞬かせ、握りしめた書類を広げて確認する。陞爵の証をくしゃくしゃにする貴族なんて、初めて見たわ。ふふっと笑う私に、確認を終えたリュシアンがほっと肩の力を抜いた。


「騙されたかと思った」


「騙したのよ。今後は気をつけなさいね」


 これも勉強。たとえ数十年程度でも、人の世で生きていくなら学んでおく必要があるわ。人族ほど狡猾な種族はいないという現実を、ね。

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