270.私達は利害から始まった共同体よ

 エレオノールの持ち込んだ報告書に目を通す。警護を担当するエルフリーデが手を入れた計画書と、挨拶の順番から貴族の最新情報まで並んだクリスティーネの報告書。どちらも一緒に綴じ込まれていた。


 客に関することはクリスティーネが詳しい。警護なら騎士団に所属するエルフリーデの得意分野で、カールお兄様との連携も可能だった。私の秘書官であるエレオノールは、会場やドレスなどの手配から色被りの確認まで。食事、絨毯、シャンデリア、広間の改装も彼女が動いた。


 専門分野がある二人の方が楽ね。リュシアンは毒の懸念を排除するため薬草を用意し、精霊を使って情報収集に勤しむ。だが本人は意外と暇なのだとぼやき、エレオノールの手伝いを買って出た。この辺は助かるわ。


「いかがでしょうか」


「私の秘書官に手落ちがあるとでも? いくら本人でもそんな発言許さなくてよ」


 ふふっと笑って太鼓判を押す。エレオノールは何度も確認したはず。私が指摘する場所なんて残ってないわ。最初は王女様なのに甘くて……どこか頼りなかった。いつも不安そうで、何かを頼めば動けるのに、自分から動こうとしない。


 臆病なウサギの習性なのか、彼女自身の特性か。迷ったけれど、出会った時の直感と恋愛小説の悪役のスペックを私は信じた。結果、これほど素晴らしい人材に化けると思わなかったわ。


 照れた彼女のピンクウサ耳が揺れる。分かりやすいのに、人前でちゃんと制御できるのよね。私の前で耳が動くのは、信頼関係が構築された証拠よ。誰だって家族や親友の前で、緊張しっぱなしではいないでしょう。彼女の信頼に、そろそろご褒美を用意しなくちゃね。


「エレオノール、私の結婚式が終わったら譲りたいものがあるの」


「譲りたいもの、ですか?」


「ええ、少し壊れているけど可愛い子犬なの。あなたの好きな黒い子よ」


 エレオノールの緑の目が細くなる。考える時間は長くなかった。口元が綻び、嬉しそうに両手を胸の前で組む。豊かなお胸がちょっと腹立たしいわ。おかしいわね、私より小柄なのに胸は彼女の方が大きい気がする。でも気のせいよ、きっと。


 豊満な胸を仇のように睨む私に、エレオノールはうっとりと微笑んだ。


「本当にくださるのですか」


「以前からの約束だもの。元からあなたのものよ、エレオノール。私は一時的に預かっただけ」


 そうでしょう? 私の言葉に確信を深めたエレオノールが、スカートを摘んでカーテシーを披露した。王女の肩書きに相応しい、上品で美しい姿勢だ。仕事用のワンピースが揺れ、背で結んだ赤い髪がさらりと流れた。


 美人と表現するより、可愛い人。でも内側に秘めた情熱は髪色に現れ、冷酷さを瞳に宿す。忠誠心は強く、頼りになる私の右腕……はテオドールかしら。いえ、あの子は隣に立つから省きましょう。エレオノールは右腕でいいわ。


「ブリュンヒルト様は私の恩人です。生涯をあなた様に捧げることを、今一度誓わせてください」


「その忠誠、ありがたく受けるわ。これからもよろしくね」


 他の側近達も同じ。私は彼や彼女らの窮地を救った。だから繋がる関係だけれど、利害だけじゃないの。お互いに利用し、高みに登って、一緒に幸せを掴む共同体なんだもの。


 カーテシーを終えた彼女に微笑みかけ、私は手にした分厚い書類を開いた。

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