257.愛用品は大切にする質なの

 誰も心配しないテオドールだけど、実際無事だった。縛って引きずってきたのは、先ほどローヴァイン男爵に泣き付いた伯爵だ。くすんで茶色に近い金髪の男性は、やや白髪も混じる年齢だった。初老と表現するのが近いかしら。


「ラムブレヒト伯爵ね」


「はい。話があると近づいて、いきなり首を切りつけられました」


「あら、珍しいじゃない」


 切りつけられちゃったの? 首を傾げたら、テオドールは嬉しそうに傷をアピールした。ほんの少し、首の皮を薄く切り裂いた程度。血が滲んだと言われれば、そうかも? 細い赤い線が走っていた。滲んで垂れるまでもない。わざと受けたのね。


「これがあれば、処断できますので」


 褒めて欲しい。全身で訴えるテオドールに、カールお兄様が額を押さえた。その汚れた赤い手を、エルフリーデが拭う。大型犬の嬉しそうな尻尾や輝く目が浮かんでしまい、私は「いい子ね」と口にした。


 私が処罰できるよう、わざと傷を作ってきた。でも心配させると怒られる上、実力も疑われてしまう。だから皮一枚にしてみた。そんな説明がテオドールの後ろに浮かんで消える。テロップそのものね。聞かなくても理解できてしまったわ。


「おいで」


 テオドールを手招きする。羨ましそうにカールお兄様を見るんじゃないのよ。するりと手を伸ばして、首筋の傷を撫でた。痛みはないようで、顔を顰めることはない。まあ、この男の場合、私が首の傷を爪で広げても喜ぶでしょうけど。


「今後、勝手に傷を増やしたら……お仕置きよ?」


 最後の部分だけ小声で囁いた。真後ろにいたクリスティーネはもちろん、お兄様達にも聞こえない音量で。テオドールは目を見開いた後、細めて頷いた。私、愛用品は大切にする質なの。


「承知いたしました、我が姫の仰せのままに」


 お嬢様が使えなくなったから、呼び方を試行錯誤しているみたいね。私に刃向かった元貴族派の三人を見送り、拍子抜けの襲撃に溜め息を吐いた。少なくとも国のトップに位置する王族に牙を剥くなら、ちゃんと事前準備をしなさいよ。


 行き当たりばったりで襲撃を実行するなんて、この国に相応しくないわ。排除できて良かった。


「広間に戻るわ、テオドール」


「はい、ブリュンヒルト殿下」


 さっと隣に移動して腕を組む。カールお兄様は血が取れず、洗面所へ向かうらしい。騎士達が前後に護衛として付く中、クリスティーネが一人の騎士を呼び止めた。


「ごめんなさいね。会場までのエスコートをお願いしても?」


「もちろんです」


 騎士団長補佐を務める青年に声をかけ、淑女としての体裁を整える。そうよね、いくらなんでも単独で再入場はないわ。クリスティーネの表情を窺うけれど、本音は読み取れなかった。特別に気に入ったのか、単に腕を借りただけなのか。後日、直接聞くしかないかも。


 リュシアンとエレオノールが待つ大広間へ足を踏み入れ、再び貴族達の会話に混じる。政のこと、外交問題や領地間のトラブル。さまざまな話題に一言ずつ口を挟みながら、泳ぐように夜会を渡った。


「小物ばかりで楽しくないわ」


 ぼやいた私に、ローヴァイン男爵は苦笑いして指摘した。


「収穫したばかりのワインはまだ未熟です。成熟して美味しく味わえるまでに、長い年月が必要なのですよ」


「ご高説痛みいるわ。確かに狩りすぎてしまったみたい」


 だって男爵は相手をしてくれないんでしょう? ちくりと皮肉を口にすれば、彼は優雅に一礼してみせた。いいわ、今日は見逃してあげるから、大物を育ててちょうだい。

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