256.脅しが通用しない人種もいるのよ
見栄とプライドで生きるのが貴族なのに、指の数本で悲鳴を上げるなんて。情けないわ。
転がり落ちた指は、すぱっと綺麗に切断されている。拾えばまだ使えそうだった。多少動きは悪くなるけど、多分付くわ。そう思ったのに、その指を遠慮容赦なく踏み潰した男は、腰の剣を抜く。一般的に夜会に帯びるのは儀礼用の飾りよ。王族が同席する場へ、実用性が高い武器を持ち込めるのは限られた人物だった。
うちの側近で言うなら、針やナイフを隠し持つテオドールかしら。それ以外なら、護衛のエルフリーデね。彼女の剣は細身で美しい刃が自慢、さらに鞘は豪華な装飾が施されていた。知らない人が見たら、儀礼用だと思うでしょう。
エルフリーデはそもそも、スカートの内側に隠してるから、入場の際にバレないだけ。バレても私の許可証を持たせてあるから問題にならない。
「カールお兄様」
「我が妹への狼藉、許しがたい! その命を持って詫びよ」
やだわ、時代劇みたい。似たような感想を抱いたクリスティーネと顔を見合わせた。その間にも、悲鳴と苦痛の叫びが響き渡る。落ちた指を回収する所ではなかった。ケンプフェル子爵の太腿は貫かれて血に塗れ、膝を突けずに転がった右肩にも、大きな傷がある。
「お兄様、まだ殺してはダメよ」
裁判を経て罰を与えるの。その方が効果的でしょう? 微笑んで諭す私に、カールお兄様は大きく深呼吸した。それから血に汚れた手で金髪をかき上げる。あらあら、汚れてしまったわ。今までなら、ここでハンカチを出すのは私の役割だったけど、エルフリーデに任せましょう。婚約者だもの。
「ケガはないか?」
「ええ。エルフリーデとお兄様がいるのに、私が傷を負うわけがないわ」
信頼していると伝える。直後に数本奥の柱の影から、女が転がり出た。胸元を強調したドレスを見るまでもなく、黒髪の元男爵夫人ね。騒動を起こして騎士に連行されたけど、賄賂か色仕掛けか。もしかしたらケンプフェル子爵や同行した伯爵の権力かも知れない。自由の身になったのね。
そのまま……泣き寝入りして帰れば良かったのに。少なくとも、そうしていたら極刑は免れたわ。
「あら、ヒューゲル夫人……でもないわね。なんて呼ぼうかしら」
煽るでもなく悩んでしまう。亡きヒューゲル男爵の妻だったが、未亡人で跡取りがなく家は断絶。平民なのは確かだけど、個人的に名前で呼ぶ仲でもない。呼び方が思いつかないわ。
「……本当に、難しいですわね」
クリスティーネも考えて思いつかず、困惑した声を上げた。ひとまず、未亡人と抽象的な表現に留めた。すぐに裁判で有罪になる人なので、覚えておく必要がない。
「そこの未亡人を地下牢へ。王太女として命じるわ。裁判の手筈が整うまで、面会も差し入れも禁じます」
自殺も許さない。きっぱりと言い渡され、エルフリーデによって縛り上げれた未亡人は転がされた。縄が食い込んで、けしからん大きさの胸が強調されてるわ。イラっとして、私もお兄様のように深呼吸した。羨ましくなんてないわ。私だってそれなりに出てるんですからね。
「お前もすぐに未亡人になるのよ!」
ようやく駆けつけた騎士に連れて行かれる女を見送り、私は首を傾げた。振り返ってクリスティーネやお兄様とも視線を交わす。今の発言は、おそらくこの場にいない伯爵が、テオドールを襲撃する手筈を整えたって意味よね? 確認する眼差しに、エルフリーデを加えた三人が頷いた。
「死ぬと思う?」
「ないな」
「ブリュンヒルト様を残して? 考えられませんわ」
「彼を殺せる腕があるなら、スカウトしたいくらいです」
私の質問に端的に答える彼女らの忌憚ない評価に、そうよねと納得した。こんなに心配し甲斐のない婚約者は、他にいないもの。
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