255.襲撃させてあげるわ

 クリスティーネも私も戦闘能力は低い。いざとなれば無理やり精霊を使役するけど、嫌われてるからやりたくないのよね。反動が怖いもの。


 広間を出て、わざと回廊へ回り道した。会話に夢中なフリをしながら、控え室のある北側を目指す。まさか手配が間に合わなくて、襲えませんでしたとか。そんな間抜けな事態にならないわよね?


 私が中座したことで、側近達は己の判断で動き出す。婚約者のテオドールは、侯爵の肩書きを放り投げて影の役目に徹した。リュシアンは逆に人目を集めて、他の側近の不在を誤魔化すでしょう。


 エレオノールが根回しを行い、お兄様とエルフリーデが駆け付ける手筈を整える。回廊を半分ほど進んだところで、見覚えのある衣装の男性に道を塞がれた。せめてもの変装で上着を着替えたみたいだけど、シャツやトラウザーズはそのまま。何より、サイズが合ってないから違和感が凄かった。


 貴族は見栄え重視で、衣装のサイズには気を使う。ブカブカの上着や、ぴちっとキツいシャツ姿を見せるくらいなら、夜会を欠席するのよ。そんな貴族の集いで、明らかに大きい上着を羽織った彼は異質だった。


 髪色を帽子で隠して、目元も暗くした。この程度、変装と呼んだら影に怒られるわね。


「どなた?」


 クリスティーネが声を掛ける。遠回しに邪魔だから退きなさいと命じた。エンゲルブレヒト侯爵令嬢として、正しい対応だわ。無言の男は上着の内側へ手を入れ、ナイフを取り出した。短剣と呼ぶに値しない。でもカトラリーよりやや大きめだった。多分だけど、肉の切り分け用ナイフじゃないかしら。


「きゃぁあ! 王太女殿下の御前で刃物を抜くなど! 恥を知りなさい」


 定番の文句でクリスティーネが場を盛り上げる。私は扇をぱちんと畳んで、僅かに首を傾げた。


「無礼者、下がりなさい」


 悲鳴を上げる必要はない。すでにクリスティーネが担当してくれた。私は傲慢で強気なお姫様を装えばいいの。襲われるなんて考えもしない、愚かなフリをする。まあ、地で対応しても同じだけどね。私が己の手を汚す必要はなく、ただ命じればいい立場だった。


 ぱくぱくと口を動かすが、男は声を出さなかった。一応、身バレ防止は考えたみたい。ケンプフェル子爵なのは、バレてるのに。ナイフの柄をしっかり握り、体の前で構えた。その姿勢でナイフを扱うのはやめた方がいいわよ。注意してあげるほど親切になれない私は、口角を持ち上げた。


「忠告しておくわ、やめた方が……」


 言葉の途中で走った子爵に溜め息を吐く。貴族以前に、人として話を最後まで聞かなくてはダメじゃない。クリスティーネは庇う位置に立ち、その前に人影が滑り込んだ。甲高い音を立てて、ナイフが弾かれた。


「うぎゃああああ!」


 聞き苦しい悲鳴が響き渡る。私はばさりと開いた扇で口元を隠した。あらあら、貴族らしく上品に振る舞わなくてはダメよ。たとえ、ナイフで指が落ちたとしても……ね。

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