252.仕掛けた罠に小動物が掛かりましたわ

 和やかに挨拶から始まる。これはどの派閥も同じだった。いきなり喧嘩腰で応じるほど、王太女の地位が舐められていたら、国家転覆を心配する事態だわ。


 未来の女王に確定し、隣に王配となる婚約者を連れた私は、過去の経緯など忘れたように振る舞う。ここでいきなり貴族派を攻撃する愚か者なら、とっくに潰されているわ。国を背負う覚悟がある者に、個人的な感情は要らないの。少なくとも、表舞台で出すなんて失態は許されなかった。


「ブリュンヒルト殿下、失礼致します」


 テオドールが、手にした白ワインの瓶を傾ける。私が持つグラスが空になるのを待っていた。ずっと瓶から手を離さないのは、執事の時の癖もあるでしょう。開封後すぐに毒見を行い、手元から離さないことで管理する。


「ありがとう」


 注がれたワインのグラスを差し出せば、テオドールは当たり前のように口を付けた。それから先ほどと同じ所作で、グラスの縁を拭う。


「お待たせいたしました」


 戻ってきたグラスを受け取り、私自身のハンカチで拭ってから口を付けた。それを待って、向かいの子爵が笑みを浮かべる。余計な一言が溢れ出した。


「王太女殿下は、婚約者のワイエルシュトラウス侯爵を疑っておいでですかな?」


「まあ、どうしてそう思ったの?」


 穏やかに切り返す。予想通りというより、あまりに簡単に罠に食いついたので、驚いてしまった。大丈夫かしら、貴族派が全滅は困るのよ。どんなに穏やかな治世を望んでも、一党独裁はダメなの。捩れ国会みたいなのは困るけど、ある程度野党勢力が強くなくては。健全な国家運営は出来ないわ。


「これです」


 自らも手にしたグラスの縁を、意味ありげに指先でなぞった。礼儀作法以前に、失礼な方ね。でも仕掛けた罠に反応があると、狩人としては自信が持てるわ。


 私のワイングラスを拭う所作が信頼してないように見えたはず。毒見をした婚約者のハンカチに毒が仕込まれていれば、拭った際にグラスに付着する。それを自らのハンカチで拭うことで、安全を確保した。そう考えたのでしょう。半分正解で、半分は仕掛けよ。


 たとえ婚約者が隣にいようと、己の命は私自身が守るべき。それが王族に生まれた私への教育だった。だから女王陛下も同じようにグラスを拭う。自らの懐へ忍ばせたハンカチには、毒に反応する薬草を染み込ませた。銀のスプーンと一緒に、いつでも持ち歩いているわ。


「グラスの縁に指で触れるなんて、


 おやめになった方がよろしくてよ。そんな建前と本音が逆になった。つい本音が口をついてしまったわ。むっとした表情になる子爵へ、私は穏やかな口調で続けた。


「婚約者を信じているから、グラスを拭うのです。この意味が分からないなら、どう説明すればいいかしらね」


 未熟にも程があるわ。眉を寄せて、どうしましょうと困惑した様子を作る。リュシアンとエルフリーデが距離を詰めていた。あと一人くらい、騒いでくれたらいいのだけれど。期待を込めて、貴族派の皆様のお顔を見回した。

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