132.貴族の嗜みは民の娯楽

 狐狩り、前世で貴族の嗜みだったと聞いたことがあるわ。イギリスなど欧米の貴族は、かつて娯楽として狩りを楽しんだ。


 追い立てる獲物は、食肉として美味しい動物はもちろん、毛皮が美しい動物も対象だった。兎や鴨は食べるために、狐やイタチは毛皮を獲るために。それも自分達が狩りをしなければ食べるに困るわけじゃない。闘争心を揺さぶる戦利品として肉を食らい、虚栄心を満たす褒美として毛皮を剥いだ。


 平和な日本に暮らしていた頃は、理解できなかったわね。食べ物も毛皮もお金を出せば手に入る。貴族階級のお金持ちが、何を好き好んで森を走り回って血生臭い遊びに興じるのか。


「今になって理解するなんて」


 ふふっと笑みが漏れた。それも動物じゃなくて、人相手よ? 森に紛れた彼らを狩り出し、捕まえて戦利品とする。趣味の悪い遊びだわ。


「お嬢様、始めます」


「ちゃんと追い出してちょうだいね」


「お任せください。私の部下は優秀です」


 言い切ったテオドールが、一歩踏み出す。音もなく振った手が、彼の姉妹や兄弟を追う合図だった。葉擦れの音もなく、それでも視線が減ったことは分かる。武術の達人なら「気配が」と察するんでしょうけれど、王太女として常に人の視線に晒された私は「視線の有無」で判断した。


 直接私の視界に入っていなくても、視線を注がれれば気づく。生まれた時からの環境で培った技術よ。


「僕も参加したかった」


「リュシアンが参加したら、一人で全部捕まえちゃうでしょう? それじゃ意味ないの」


 護衛の騎士団がテントを張るこの一角は静かだけれど、少し後ろは小さなテント村が出来ている。周囲の街や村から、腕っぷしに自信がある男女が参加した。いわゆる冒険者のような者から、騎士になり損ねた村の用心棒まで。職種、年齢や性別もまちまちだけど、共通点があるわ。


 誰もが一旗あげようとしている。そんな村の英雄や街の腕自慢を応援しようと、多くの住民がテント村に集まった。お陰でちょっとしたお祭りね。季節外れの大騒ぎに、彼らは浮かれていた。


 最前線にあたる森の境界は、私が連れてきた騎士が守る。だから住民にケガをさせる危険は少ないけど、参加する以上自己責任だった。テント村は参加者の宿泊のため、商人や飲食店が商売を始めていた。商魂逞しいというか、感心しちゃうわ。


 ふわっといい匂いがした。醤油を炙ったような……目を閉じてしっかり匂いを堪能する。醤油じゃなくて、もう少し癖がありそうな感じ。魚醤なら、輸入されてたわね。それかしら。王宮で使われない調味料なので、前世の記憶頼りに判別していく。


「お嬢様」


「見繕ってきて」


「……は?」


 普段は打てば響くくせに、こんな時は鈍いのね。斜め後ろから御用聞きのために腰を折った執事に、もう一度丁寧に言い聞かせた。


「屋台の食べ物を、見繕ってきて頂戴。魚醤を使った串焼きがあると思うの」


「はぁ……屋台、でございますか」


 もう! 早く行きなさいよ。パチンと扇を畳んで睨みつけると、テオドールは一礼した。彼がいない間は、リュシアンが私の守りに入る。問題ない、完璧だった。


 さあ、早く出てきなさい……醤油の匂いがする串焼きなんて、どのくらい振りかしら。獲物はいつでもいいの。どうせ全員捕獲するけれど、串焼きは今回しか口に出来ないかもしれないじゃない。


「僕の分も買ってきてくれるかな」


 あの執事じゃ不安だ。そう呟くリュシアンに、本音で返してしまった。


「知らないわ」


 言っとくけど、私の串はあげないわよ。

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