116.金魚を狙うカラスが闇夜で蠢く

 階段を降りると、周囲の注目が集まる。未来の女王である私に挨拶するため、高位貴族が集まってきた。シュトルンツでは、夜会で爵位による声掛けのマナーが存在する。王族に声をかけることが許されるのは、公爵、侯爵まで。二段下の爵位までが範囲だった。


 特例で、辺境伯家は侯爵家と同格よ。それ以外の伯爵家以下は、王族に声をかけることが許されなかった。私から声をかけることは可能だけれど、逆は絶対に許されない。それはぶつかった謝罪であっても、ただ深く頭を下げて詫びるだけ。


 もちろん公爵や侯爵であっても、私が返事をしない選択はあり得る。その場合は大人しく引き下がるのがマナーだった。挨拶に穏やかに応じながら、カールお兄様とエルフリーデに近づく。


「カールお兄様、エルフリーデ。少しいいかしら」


「ああ、もちろんだ」


「ローゼンミュラー王太女殿下にご挨拶申し上げます」


 エルフリーデは一般的な侯爵令嬢のマナーで応じた。この場では賢い選択よ。ローゼンベルガー王子であるお兄様にエスコートされても、ツヴァンツィガー侯爵令嬢は婚約者ではない。候補の一人に見えるでしょう。その状況で、私が許していても名を呼ぶのは不遜と捉えられかねない。


 危険を避けた彼女の挨拶は、女王陛下から見ても合格でしょう。芯がしっかりしたカーテシーを受けて、私は軽く会釈を返した。扇を広げて距離を詰める。お兄様を取り囲む令嬢達に視線を巡らせ「席を外して欲しい」と伝えた。


 一礼して去っていく令嬢達を見送り、斜め後ろに付き従うテオドールに合図を送った。


「失礼いたします」


 テオドールが小さな紙片を二人の前に差し出した。受け取った兄は表情を変えずに名前のリストを読み終え、隣のエルフリーデに渡す。彼女も軽く目を伏せて扇の陰で読み終えた。すぐに会場を見回すようなへまはしない。


「金魚を狙うカラスがいたら、すぐに教えて欲しいわ」


「承知いたしました。注意しておりま……あら」


 途中で目を見開いたエルフリーデが、空中を漂う光の玉に頷く。何かを聞き取ったのか、リュシアンがグラス片手に近づいた。


「リュシアン、何かあって?」


「カラスが闇夜に紛れてうろついていたので」


 気になった。エルフリーデより精霊との親和性が高いハイエルフの言葉に、私は口元を緩めた。慌てて扇で隠すが、兄には見えたらしい。


「ヒルト、まるで好物を前にした猫みたいだぞ」


「もう! お兄様の意地悪!!」


 指摘しなくてもいいじゃない。それは周囲から見たら、微笑ましい兄妹のじゃれ合いに見える。すっと距離を詰めた元王女に目を向け、私は手招きした。


「エレオノール、お話を聞きたいわ」


 集まった側近達は、リュシアンやエルフリーデが精霊から聞き取った情報を元に、それぞれの役割を決めた。対応は迅速に、でも失敗は許されない。


「では皆さま、楽しくお過ごしくださいね」


 挨拶をして、王族席へ向かう。手前で祖父バルシュミューデ侯爵の挨拶を受け、私は足を止めた。王太女が宰相と話し始めれば、他の貴族も注目する。遠巻きにしながらも、話しかけるチャンスを窺い始めた。テオドールがさりげなく離れる。エレオノールは私と同行し、リュシアン達は己の役割に応じて広間を出た。


「ローゼンミュラー王太女殿下、こちらの方をご紹介いただけますかな?」


 狸なシュペール公爵が、エレオノールに興味を示す。ピンクのウサ耳を揺らす獣人王女がいれば、それは気になるわよね。私が連れ歩く宣伝効果も大きいわ。広間の目は私達が引き受けるから、あなた達は好きに暴れていいわ。許可を出した私は、どう紹介したら注目を集めるか考えつつ、扇をぱちんと畳んだ。


 そうね、出来るだけ衝撃的な役職を与えましょう。

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