幕間
107.(幕間)弓引いてはならぬお方だった
東方騎士団に所属したことは、老いた騎士である私の誇りだ。気高い女王陛下を君主に戴き、様々な戦場を駆けた。アーレント卿と呼ばれ、男爵位を授かる。
かなり遅くなったが、待っていてくれた幼馴染みを妻とした。彼女は7歳年下で、献身的に私を支える。騎士として働き、家に帰れば美しく優しい妻がいた。40歳に差し掛かる頃、妻が妊娠する。この頃が人生で最高だった。
薔薇色の人生とはこのことか。命を懸けるに足る主君を得て、その忠義が認められた。叙爵はもちろん、騎士としての働きから、騎士団長に命じられる。若い妻は妊娠し、一人娘を産んだ。
文字通り舐めるように、娘を可愛がった。目に入れても痛くないと言うが、まさにその通りだ。騎士の誇りである利き腕と引き換えても、この子だけは守りたい。早くに妻が亡くなったこともあり、ひたすら甘やかした。
ドレスが欲しいと言われれば金を工面し、誕生日は高価な装飾品を贈った。着飾って笑う彼女が愛おしくて、なんでもしてやりたくなる。妻の分まで幸せに長生きして欲しかった。その願いは純粋で、それゆえに道を踏み外す。
ある日、娘は獣人の男性を家に連れてきた。彼と結婚したい、そう願う彼女を説得したが……最後は私が折れた。結婚できないなら駆け落ちすると言われれば、縁を切るより認める方がマシだ。
嫁いだ娘は獣人の国であるミモザへ移住し、時折顔を見せるようになった。東方騎士団があったこの街は、幸いにもミモザ国と国境を接している。隣街は国境の砦があり、いつでも日帰りで顔を見ることができた。
孫も生まれる、そう聞いて心弾ませた。孫の面倒を見るため、もっと近くに引っ越そう。砦が見える距離に、小さな一軒家を購入した。
「お前の娘の未来は、その返答にかかっている」
突然脅され、混乱する。視察に訪れる王太女殿下を攫う計画があり、協力しろと言うのだ。最初は断った。だが……娘と孫を見殺しにできない。
女王陛下への恩を仇で返すか。娘と孫を見捨てるか。選べずに迷った私の元へ、見慣れた髪が一房送られてくる。さらりと手を滑る感触も、色もそっくりだった。娘の髪だ。
「次は娘の腕を送る」
早く決断しろと迫られ、混乱の中で裏切りを選択した。一度選んでしまえば、なぜあんなに躊躇したのか、不思議なほどに。後ろめたさが消えてく。これが「落ちる」ということだろう。
騎士としての両腕、両足を切り落とす。首を繋げたまま、獣の餌にするため森へ捨てる。定められた通りの罰を選んだ王太女殿下は、揺るがなかった。女王陛下と同じ色の金髪を風に揺らし、毅然として立つ。高貴な王族の紫の瞳は、穏やかに私を映した。
叙爵した日の女王陛下を思い出す。女神のような慈愛を浮かべながら、恐ろしい罰を平然と告知する。側近の男は、私を睨みつけた。もう危害を加える心配はないのに、何があるのか。
荷馬車に乗せられ、森へと向かう。森の奥で、私は大木の根元に下ろされた。
「迎えが来ます。それまでご無事で」
かつて部下だった男はそう囁き、立ち去ろうとする。慌てて声をかけた。痛みに掠れた声を絞り出す。
「裏切り、になる……やめ、」
「同情ではありません。王太女殿下のご厚意です。二度と顔を見せるな、と」
去っていく騎士が見えなくなる頃、泣きながら娘と婿が駆け寄った。なんということか。私は年甲斐もなく涙を流し、慟哭した。心の底から後悔が込み上げる。
弓引いてはならぬお方だった。仕える栄誉は得られずとも、後方で支えるべき……ああ、この身の罪深さをなんと詫びれば足りるか。一生、後悔しながら生きる事を課した。これこそが、高貴なる次期女王陛下の采配なのだろう。
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