95.私の肌を見た代償は高くついてよ
連れてきた文官の半数は今回の戦後処理、残った半数は今後の対策要員として数ヶ月の滞在を予定している。残った400人を二つに分けて、文官達の保護に当たらせた。
武官も文官も、失われるとすぐ補充出来ないの。戦っていなくとも敵国に残すなら、文官の安全は最優先課題だわ。だから400人のうち、300人を残す。文官を2人ずつ、3交代で完全に保護するの。
「王太女殿下の護衛が手薄になります」
反対する指揮官へ笑顔で小首を傾げた。
「一騎当千を誇るカールお兄様、精霊魔法の最高峰リュシアン、精霊の剣の乙女エルフリーデ。これだけでも過剰戦力だと思うわ」
一般の騎士が付き添わなくても、圧倒できるんじゃないかしら。言わないけれど、私の最強執事も同行するのよ。万が一にも危険はないと言い切れた。
「ただ、あなたの心配は有り難く受け取るわね。その気遣いを、文官達の安全確保に繋げてくれる、そう信じてるわ」
「はっ、ローゼンミュラー王太女殿下の仰せのままに」
エレオノーラとのお茶会が終わった夕刻、そんなやり取りをした。ここで通常は「めでたし、めでたし」と締め括られるの。
――なのに。
「はぁ、私の肌を見た代償は高くついてよ?」
そう溜め息をついた私は、近くにあったタオルを掴んで引き寄せた。素肌で入浴しなくてよかったわ。濡れた薄衣を纏った私に突きつけられたのは、狼獣人の爪だった。
「テオ、使い道があるから、殺してはダメよ」
そう口にした私の背中で、物凄い音がした。うなじに突きつけられた爪が消え、代わりに呻き声が響く。
「生きてる?」
「お嬢様のご命令通り、息はあります」
テオドールの声は、怒りを押し殺して低く掠れていた、着替えを用意するよう頼んだら、この状況だもの。己の不甲斐なさを嘆く部分と、私の迂闊さを咎めたいけれど我慢する気持ち。入り混じって複雑でしょうね。
「怒らないで。罰として狼から目を奪いましょうか」
「承知いたしました。それで我慢いたします」
続いて、ゾッとするような悲鳴が耳に届いた。私は痛くないのに、背筋が凍りつく。目を抉っただけよね? 不安になって振り返ると……黒い布で目隠ししたテオドールが、男の目玉を手の上で転がしていた。
見なきゃ良かったわ。この例え、分かるかしら。怖がりだから見なければいいのに、ホラー映画を見て絶叫する気分よ。
「やはり始末しましょう」
「待ちなさい、使うんだからダメ」
「この狼に気持ちがおありですか」
頷いたら、絶対に殺されるわね……この狼獣人。笑顔で首を横に振る。
「これは利用するの。エレオノールへのご褒美にするんだから、生かしておいて。あなたも好きでしょう? ご褒美」
まだ今回のミモザ国の一件は、片付いていない。従って、テオドールへの褒美も残っていた。その内容が、あなたの対応で変わるのよ。そう匂わせて待てば、忠犬を装った狂犬は声を弾ませた。
「お嬢様がそう仰るなら我慢します」
「いい子ね、テオドール」
黒い目隠しをしながらも、不自由なく狼獣人を拘束する執事に近づいて、濡れた薄衣姿でぴたりと寄り添った。硬直した彼の頬から顎にかけて指でなぞり、最後に意味ありげに唇を辿る。
「後はお願いね? 着替えの準備はしてあるかしら」
猿轡を咬まされた狼もどきが何か叫ぶが、声はくぐもって響かない。テオドールはゆったりと一礼した。
「もちろんです。淡いオレンジのナイトガウンをご用意いたしました」
話はここで終わり。私はもう一度湯に浸かって体を温める。その間にテオドールは犯人を引き摺って消えた。
ところで……床の血を流すの、忘れてるわよ? 踏んだら汚れちゃうじゃない。彼が迎えに来るまで、私はのんびり待つことにした。のぼせるまでに迎えに来なさい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます