61.そっちじゃねえよ。お前の両手だ

 誘拐や策略、命の危険は常に私の隣にある。もしある程度の年齢になってから、転移したら死んでいたでしょうね。生まれた時から前世の記憶が融合している私だから、この状況に適応できた。


「この程度の騒動は、過去に何度も経験しているもの。恐れる気持ちなんて麻痺したわ」


「はぁ。やだやだ、王族だの貴族だの、面倒くせぇ連中だな。それで獣人共は、大賢者である俺の友人に牙と爪を向けたのか」


 私を友人と呼ぶようになってから、リュシアンの口調は荒くなった。人前では優雅に振る舞うけれど、本性はこっちなのね。魔王と友人になるハイエルフだもの。規格外は想定していたけれど。


 剣呑な光を宿した金の瞳に睥睨され、獣人達は申し訳なさそうに項垂れた。どうやら彼らはリュシアンに逆らう気は皆無みたい。誇り高くて人族を下に見てる種族だから、尋問が面倒だと思ったけど……これは捗りそうね。


「リュシアン。まずは精霊治療をお願いしたいの。ハイエルフの魔法に、治癒があったでしょう? エルフリーデの傷を治したいのよ」


 無言で近付いた銀髪の美少年は、エルフリーデの肩に掛かったショールを僅かに捲った。傷つけられた時のドレスを着替えさせるのが難しく、背中の糸を解いただけ。出来たら治療と同時に、エルフリーデの着替えもしたいわ。


「傷は消せるぞ。このくらいなら残らない」


「本当!?」


 リュシアンの手を握って感謝を伝える。後ろで唸る執事に指示を出した。


「テントを用意して」


「獣人に手伝わせるか」


 乱暴な口調のリュシアンに命じられ、数人の獣人がテント張りを始めた。簡易テントなので、すぐに終わる。その内側へエルフリーデを運んだテオドールに続き、私とリュシアンが入った。心配そうな侍女や騎士に微笑む。


「大丈夫よ、ハイエルフの魔法は凄いの。きっと治るわ」


 エルフリーデは自らドレスの布を滑らせ、背中を露わにする。長い髪を私が横へ流した。白い背中を斜めに横切る痛々しい傷は、まだ塞がっていない。


「塞がる前で良かった。そうでなけりゃ、薄く痕が残ったかもな」


 声に滲んだ安堵は本物で、リュシアンは小さな声で精霊に呼びかける。あっという間に集まった精霊達が、剣の乙女の傷を癒し始めた。まるで時間が逆回転するように、傷はするすると小さく細くなっていく。


 最後の一筋が消えると、精霊の魔力は散った。分散したのだろう。両手を組んで精霊にお礼を伝え、私は表情を和らげた。


「それで何があった?」


「我が国の元騎士団長が、獣人側と手を組んで裏切ったの。襲撃されて、助けに来た後にまた襲われたわ。エルフリーデの傷は襲撃時のものよ」


「ふん。そっちじゃねえよ。お前の両手だ」


 絹の手袋で隠した手のひらは、まだ火傷に似た痛みが走る。ぴりぴりと痛むが、表情に出したつもりはなかった。テオドールも状況を理解しているから言及せず、我慢していたというのに。


「どうして……?」


「精霊が気にしてるからな」


 精霊の剣を無理やり使役して、杖代わりに魔法を放った。そう告げたら、リュシアンが目を見開く。私の両手をしっかりと握り、治癒を施しながら涙が滲むほど笑った彼は、大きく息を吐き出した。


「一歩間違えたら腕が吹き飛んでたぞ。二度とやるなよ」


「ええ。分かってるわ」


 私のチートは精霊魔法ではなく、豊富な魔力でもなかった。これらは副産物に過ぎない。正確に理解したリュシアンは舌打ちして、さっさと簡易テントを出て行った。


「ブリュンヒルト様、ありがとうございます」


「何にお礼を言われたのか、分からないわ。私がお礼を言う立場だもの」


 にっこり笑って、エルフリーデの言葉を逸らした。腕が吹き飛ぶ可能性があるのに助けた、そのことに感謝したなら間違ってるわ。私は自分のために動いただけ。


 どの国が絡んでいたとしても、今回の代償はきっちり支払ってもらうわ。応援の騎士や兵士の到着を聞きながら、私は侍女にエルフリーデの着替えを指示した。

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