49.私かあなたか、迷わせるのが最適よ
「痛むわよ」
ぐっと袖を噛んだエルフリーデのドレスの背中を、ゆっくり短剣で開いた。前世でナイフと呼んだものより、かなり大きい。女性の護身用だから柄が細くて助かったわ。さきほど詰問された子爵令嬢の持ち物だけど、飾りが多いのが難点ね。護身用というより、緊急時に持ち出すための財産かしら。
宝石がごてごてと飾られた柄をしっかり握り、刃先でドレスの背を留めた糸を切っていく。この世界のドレスはオーダーメイドが当たり前。お下がりや中古なら縫い直す。そのため体にぴたりと添うドレスの脱ぎ着は一人で出来なかった。
侍女がいて、常に背を縫い合わせてもらえる階級の女性が身に纏うのがドレス。侍女達の服などは、後ろが小さな包みボタンだった。器用な子なら、一人でも着てしまうでしょう。ドレスは特権階級の証であり、純潔を保証する鎧だもの。
解き終わった途端、ふわっと鉄錆びた臭いが鼻を突く。でも思ったほど出血してる様子はなかった。侍女から受け取った布で、肌を汚す血を拭う。手が震えるのは許してね。こんなこと、前世も今生も経験してないの。それでも傷の心配が先に立って自ら治療を買って出た。
目の前で切り捨てられた人を見たことがある。王家への呪詛を吐きながら振り上げた剣を届かせることが出来ぬまま、無念の死を遂げた人だった。怖かったけれど、震えて顔を覆うことは許されない。王太女は国の次期当主なの。たとえ胸を貫かれようと、逃げる姿勢を見せるわけに行かないわ。それが豪華な暮らしをさせてもらう対価のひとつだもの。
民を幸せにするために、時には小さな村を切り捨てて大きな街を救うこともある。前世の私には出来ない決断も、今の私なら出来た。それだけの教育を受けてきたもの。少女のように戸惑って泣き叫べば、国が侮られる。その対価は人々の命で贖うことになるから、私は顔を上げて毅然と刃を受けるよう教わった。
エルフリーデも同じね。同情するのとは違うけれど、理解できてしまった。袖を噛んで声を殺す彼女の傷口を、水筒の水で洗う。こびりついて固まった赤が流れるのを、侍女の一人が優しく拭きとった。騎士の家系に育った彼女は、傷や血に慣れているようね。
「あっ」
こぼれそうになった声を飲み込む。傷は左肩から肩甲骨の上まで、白い肌を切り裂いていた。深くはないけど、思ったより傷が大きい。持っている包帯じゃ足りないわ。
「荷物の中に白い布はある? 下着でもいいわ」
新品の下着が必ず入っている。そう思いついて尋ねた。まだ走る馬車は止まる様子がない。手早くエルフリーデの傷に合わせて、下着を裂いた。この辺りは侍女の方が慣れている。繋いで包帯のような形に整えると、全体を押さえるように巻いた。
「きつく……っ、縛って」
歯を食いしばったエルフリーデの訴えに、私は渾身の力で縛り上げた。といっても、所詮は非力な王女に過ぎないから、上手にいかなかったけど。止血くらいは出来たかしら。
「王太女殿下、ドレスに血が」
「これでいいわ。血だらけなら、私が王太女とバレにくいじゃない?」
侍女の指摘に苦笑いして、ひらひらと手を振る。
「私を囮にする気ですね。お引き受けしましょう」
「積極的に囮にならなくていいの。私かあなたか、迷わせるのが最適よ」
言葉にしないけれど、私もエルフリーデも分かっている。刻一刻と危険が迫るけれど、同時に頼もしい味方が近づいていることに。あの執着系ヤンデレ執事が私の危機に間に合わないなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないでしょう?
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