2043. Feast.

 河合芳美も藤原睡蓮も、私達と同じ道、三重県津市の中高大一貫校のクラウディア女子学院へと一緒に通う事になった。芳美も睡蓮も乳児の頃に最大の配慮で入れ替えた事から、成長にしたがっての相貌がどうなるかと気を揉んだが、女子は父親に似るの言い伝え及び遺伝子論文の通りに、健やかに育った。

 芳美は、私に遠い丸顔の猫顔で身長も足りないが、疾風先生は俺も髪を切れば猫顔だからと、そんな長髪疾風先生らしくないでただ食卓を和ませる。

 問題は睡蓮だった。順調に身長が伸びて、私を超えて中等部2年には173cmに達した。ここは私薫と菖蒲が、流石淳一郎さんに似よねと顎を引きながら褒め称えた。私の子犬顔と168cmをどうしても引き継いでいるが、まさかの入れ替えは思いもしないだろう。ただ、睡蓮は幼い頃より夕方になると泣いて、本能で私を恋しがる。同席した真相を知る叔母出渕安能は、睡蓮を膝に乗せ母乳の出ない左乳房を吸わせ泣き止ませた。これからは薫がしなさいと、豊満の左胸を小学校低学年迄吸わせ続けた。安堵と切なさ、ただこれも睡蓮の成長でゆっくりと薄らいで行き、必死に育ててくれる菖蒲に感謝しかなかった。


 芳美と睡蓮は高等部に上がると、ほぼ同時に社会にデビューする。

 芳美は日々疾風先生の姿勢を真似て、日本画で一閃の太刀の線画を極めつつも、年不相応に美術展の頂点日本総合展覧会の日本画部門で「浮遊金魚」を描き日総展会員推奨賞を貰った。特賞の内閣府特別賞に至らないものの、地元新聞記事を一週間に賑わした。ただ疾風先生曰く、肉を断つ勇気はまだ至らないは、大人になれば分かるだろうと、普段の鬼父親振りには程遠い。

 睡蓮は、その容姿で早熟な艶っぽさから、名古屋の日輪劇団に通った。名古屋をただ歩けば、地元アイドルグループ数多と東京の芸能事務所に誘われたが、菖蒲が捲し立てては一切遮断した。私薫に淳一郎さんの血と、菖蒲の熱烈演技指導で、もう子役としては確かな爪痕を残す。ただ菖蒲も終始のティーチングとは行かないので、私達がメソッドに通った日輪劇団に席を置かせて貰った。契機は名古屋の独立映画団体の名古屋サッカークラブアンダー組織のコミカルな日常を描いた「私達の約束」で、コートダジュール映画祭でもっとも困難と言われる日本初の観劇特選賞を貰った事だ。主演の女子、日本語なのに何故か台詞の印象が入って来るのコメント数多は。菖蒲がそれはそうよ、感情露わに泣いていいのよの日々で言葉がやや肉付いているからだと。そこは生母としてきゅんとした。海外プロダクションからも誘われているが、学業最優先でお断りしているらしい。


 芳美と睡蓮は、頭の飛び出た高校生となり、私達より華やかな学院生活を歩んでいる筈も、私薫と菖蒲の元担任して、今は芳美と睡蓮の担任の筒井鉄治先生に、私薫と菖蒲が一緒に呼び出された。

 私達の目の前に出されたのは、芳美と睡蓮の推奨健康診断の遺伝子未来健康予想図結果だった。彼女達はそのカルテを見て、私達逆では無いかと異議申し立てをしたと。記述筆記は共に正確、二人のABO血液型も奇跡的に許容範囲。ただ芳美には将来気管支喘息の確率高し、睡蓮には将来ネフローゼ症候群の確率高し、この二つは生母である私達の持病だ。筒井先生は、そんなの未来の事だ、遺伝子検証と言えど未来の事なんか分かる筈ないと一笑に付した。ただと俺はお前らがこの症状で幾度か学校休んでいるから、不意に気づいたと。ずっと仲良しだから二人は何処かの時点で入れ違っただろう。気付いて無いのかと。

 私は、日頃から用意している18の便宜の一つを立て板に水でさらっと流した。入れ違いは小学校3年の時に気づきましたが、もはや愛情が深すぎて、芳美と睡蓮を交換出来せませんでした。余りに繊細過ぎる事件で傷が深くなるであろうから、芳美と睡蓮には一生を掛けても話すつもり有りません。それでは不憫であろうも、互いの系譜環境に遜色は無いので、軋轢は生まないとの判断です。筒井先生もどうか胸に秘めて下さいと深々と頭を下げた。筒井先生は長らく悩み、いつか真実を知って芳美と睡蓮から嫌われても、薫と菖蒲なら健気にも二人とも愛せるんだろうな、是非そうしてくれと。私達は本心からの涙で泣き腫らした。


 芳美と睡蓮は、そのままエスカレーターでクラウディア女子学院の大学に進んだ、そして私達より早い恋愛デビューを迎える。

 ここ最近の日本の社会情勢は、少子化大問題視で適正縁談推奨と厳罰化の未来法案は、国会で特例法として通過した。強く言いたい事は27歳迄に絶対結婚しろ、特別課税が尋常では無い生涯徴収で、新たな統制国家日本国かだった。一般人で結婚もしないで老いると、生涯賃金は45歳で自己破産するらしい。若いうちから男子は女子はと共に譲歩し、それはそれで悪くは無いも印象も、私の考えが全く甘かった。

 芳美は、事あるごとに男友達を自宅に招いて紹介し、芳美用に拵えたアトリエに連れ立つ。喜んで茶菓子を持っていくと、茶菓子より先に、芳美は半裸で男友達の男性自身を咥えていた。まあ、ままあるかなと平常心で一線は超えないようにと釘を刺して、30分毎にまま顔を出して点検した。

 ただそれも9度を迎えると堪らず叱責した。芳美は、今はそういう時代でしょうとただ反論する。疾風先生は疾風先生で、俺も若い時はもっと凄かったきっちり遺伝だから怒るなと呆れ返る援護に回る。ここで生母菖蒲の性癖が浮かび上がる、ああ見えてやる事はやるから。そもそもになった。今日迄私がすっかり大元締めだが、勝手に一言も言わずに疾風先生と仲良しになる、そして不倫して身籠もる。ただ過ぎるあいつ菖蒲はの鬼の形相で、別の意味で河合家家族会議を緊迫させて、芳美も疾風先生も糠付いてごめんなさいになった。

 それならば、私の血と淳一郎さんの血を引く睡蓮はどうだろうになった。菖蒲ののほほん曰く、私同様に奥手と、淳一郎さんの控え目過ぎて、私が男友達を率先して紹介したと。堪らず菖蒲のお下がりを紹介するなと吠え、それは無いわと、久々に喧々諤々に、最後は掴み合いになった。そして今になっての衝撃を。私薫と菖蒲の最初は、何をあろうか、率直に当時曽我部疾風先生だった。そんなに遅いと男性関係いびつになるわになって、ただノーサイドに落ち着いた。


 そして2038年夏、未完の聖堂と言われ続けたスペインのバルセロナのサグラダ・ファミリアは最終工期より遅れたものの2033年に完成竣工した。ただ完成に近づくにつれ、観光客が増え、ここが工期遅延の決定的要因となった。それならばと、官民聖一体でサグラダ・ファミリア周辺地域を市政計画整備し教会区を開墾した。そこにはアントニ・ガウディを愛して止まないの建築家が世界中から集い、サグラダ・ファミリアの世界観を崩さない新たな系譜を引く新世界を今も建築最中にある。その改めての教会区宣言式として、世界中からの一芸を豊かな若い若人がバルセロナに招待された。芳美は新進気鋭の日本画家として筆致も逞しくなり呼ばれ、睡蓮は演劇人も今では素足で178cmあるので最近でミランコレクションのランウェイを華やかにしては共に呼ばれた。そしてやや暇であろうの疾風先生が二人の引率役として楽しげにバルセロナに旅立った。今となっては、怪しんでここで食い止めるべきだったとは後悔している。


 世界中がサテライト放送で、一週間通じての教会区宣言式に刮目した。厳かな祈りは勿論だが、一言で言えば全てのパフォーマンスが圧倒だった。SNSの反応は今すぐバルセロナに行きたいの思いに溢れ、ついの最終日は駆けつけた人々で、バルセロナ全域は祝福に揺れに揺れた。

 そして凱旋した芳美と睡蓮は、いつも以上に淑やかさを纏っていた。母親としては男性の直感しかなかったが、凱旋即ちにそれを聞くには無粋で直ちに止めた。ただ疾風先生には二人きりの深夜酒で漸く問い質せた。同じタイミングで女性にはなったと。大切な女子の純潔はと、思わず涙が溢れたが、この運命を逃したら、人間の善意の正しい発露としてどうかと優しく窘められた。


 芳美と睡蓮の大学卒業後の進路は一切迷わず、私河合薫専務取締役と藤原菖蒲事業部長取締役の大推薦で、純桜コーポレートへと入社させた。それぞれ特化し自立した文化活動も良いが、お金への執着が毛頭も無く、結局は両親が確定申告を代理していた。これでは思いやられるので、一門の出渕安能部長を迎えて新設部署電子出版部に押し込めた。準備金1000万円と、3人キックスタートも一定の人事権与え、協賛周りはプレゼンテーション有りきの制限を加えた。入社から9ヶ月で結果はまるで出なかった。ここで私薫と菖蒲の親心が働いて、このまま失望しない内に異動させようかと安能さんに相談するも、春にはどうにか形になりそうだから、企画案上がって来たら目を凝らしなさいよと長い猫目をされた。

 そして5度目にしての芳美と睡蓮のプレゼンテーションが始まる。芳美は建築家壱原斎蔵の「壱原斎蔵教会建築全集-Amor-」。睡蓮は写真家奥村和樹の「奥村和樹写真集-EGAO-」。差し込まれる図録サンプルも見たが1ぺージ毎に深い楔があるので、電子出版と言わず手にしたい出来上がりだ。ただ、この二人となると、私薫と菖蒲がいざ頭を抱えた。壱原斎蔵も奥村和樹も、あのバルセロナで運命的な出会い初めてを捧げ、そして帰国時には共に実家に招き、どうしてもかの年上過ぎる現在の恋人さんだ。直ちに安易に恋人に頼ってと、適正縁談推奨と厳罰化の未来法案のそれがどうしたの長髪不良の年の差恋人も、そうまとめて大概にしなさいだ。当然最後の方が断然重い。安能さんはそれならば疾風先生は一回り上でしょう、何よりあの熱いバルセロナで出会うなんて運命感じるわ、今回の出版成功したら勢いで結婚しちゃわよねと微笑んだら、ああと芳美と睡蓮が竦んだ。いざ大失敗のそこ迄を考えてなかった事だろう。やっと二人のギアは全開となり、隠していた3部作構想はプレゼンテーションの1冊に圧縮され、中身のやたら濃い電子出版になった。ただ発売のスタートダッシュが大いに遅れた。日本人だから日本を最初の市場にしたのを方針転換し、教会区宣言式で顔馴染みになった文化人に献本し、SNSでも紹介された事から、ピンポイント世界から、日本への逆輸入の形でそれぞれ売り上げを伸ばした。好印象は何よりのスペイン関連のページアクセスが多かったので、自ずと次の企画は固まった。その前にと、芳美と睡蓮による企画の電子出版が成功したので、結婚を許して下さいだった。ここは安能さんに言い含められていた。そう来るでしょうから、一方的に駄目と、これで別れたら、傷付いて一生箱入り娘ね。どう転んでも結婚しなさいが、立派な親の義務でしょうと。それしか無いわねと、私薫と菖蒲は一緒に首を振らされた。


 そして2043年、改めての密なる御挨拶に、婚約に、結納に、結婚式前日の2家族合同アットホームを経て、初秋の大安祝日に私達と同様の合同結婚式当日になった。

 進行はいざ身内で誓約をテキパキと午前に終え、大披露宴は昼夜中食を交えての時間割となった。幹事は河合家と藤原家の二巨頭に、斎蔵さんのJVと和樹さんの出版系も合流し、大宴会場を持つ名古屋グランドパレスホテル朱雀の間で、これでもかと来賓が訪れた。私薫と菖蒲は、このとんとん振りに互いの顔を見合わせては、本能での一抹の不安を感じざる得なかった。

 大披露宴の華やかさは、何だったのかの流行病禍の時代がやたら懐かしいと、どうしても消えない紛争数の霧散から、今日だけはただ祝宴と、賑やかに進行は適所に進みつつ、飲めや語れやと厳かとは無関係になる。興もやたら芸達者な方々が披露し、こういう行事は慣れてはいるも、何処か自治体の文化祭かと目を丸くした。

 そして夕方のディナーを終え、クライマックスの新婦二人の感謝の手紙読み上げとなった。しかし芳美と睡蓮の手にもポシェットにも用意されている筈の手紙は無く、2つ並んだマイクスタンドに思い詰めた表情で並んだ。芳美そして睡蓮へと。


 芳美は、淡々と私薫と疾風先生の苛烈な日本画の習い事の日々を語り、ここで人を憎もうも底が無いので寛容になれて有難う、今はきちんと愛しています。本当ですよと爽やかな笑いを攫った。そして、ここ迄は養母河合薫生父河合疾風のお話になりますと言葉を置くと、朱雀の間がざわつき始めた。私は一門席の出渕安能さんを見つめ、そして一瞥された。正に往生際よと。

 そして生母藤村菖蒲を切り出し、ざわつきから皆が一斉に息を飲んだ。この事実は反抗期の遅かった高等部時代に睡蓮と一緒に、いい加減にしなさいと叔母出渕安能さんの寛ぎの場である、出渕ファームの手作り岩盤温泉で、あなた達両親は若さ故のW不倫でそういう事、これ迄に身に覚えがあるでしょう。でも結果としてこれで良かったでしょうと。もう子供でも無いのに、安能さんの右乳房を吸わされ、母性とは何かと兎に角叶わないとその日で反抗期は終わったと。だから生母菖蒲さん、私はあなたを憎みきれない、それでもいつか愛してると聞いてみたい。愛は時も距離も高く積んだ防御壁も超えるのだからと。

 私は、冷静に芳美も大人になったなも、菖蒲は嗚咽しぱなしで、漸く顎が収まったところで、芳美愛してると、自らの声に更に咽んだ。実は取り替わった睡蓮なのに不意に芳美と言ってしまったのが、時間の綾を感じざる得なかった。


 睡蓮も、淡々と菖蒲と淳一郎さんとの日々を語る。夕方に泣きっ放しなるのは、どうしようもない寂しさがあって、それを伝えられない私がただもどかしかった。それも、夕闇とはそんなマジックタイムだから説明出来ないのは仕方無いと。

 そして生母私薫を切り出された。小さい頃はただ寂しがりで次第に薄れてきたのは、芳美の家に遊びに行った時に、安能さんと薫さんの左乳房を吸い付くしたからと。子供心にもお母さんがこんなにもいて嬉しいなは、多分私だけでしょうね。そしてちょっとだけ尖った反抗期の高等部時代に、何故か芳美と一緒に連れられて、安能さんの出渕ファームの手作り岩盤温泉でW不倫の果ての取り替えを聞いて、ああ薫さんならしれっとするなと。ここ生母の事だから複雑な気持ちは凄く分かります。私も疾風先生がお父さんなら、何を捨てても飛んでいきますからと、ここで有り得ない大爆笑が起こり、その反面で疾風先生が泣き崩れた。今からでも父と呼びなさいと振り絞れど、睡蓮は和樹さんは十分疾風先生の雰囲気持ってるので結構です、そうお父さんで、泣き笑いが不思議な感情のまま朱雀の間に漏れた。そして生母薫さん、私は世界で一番あなたに近いので、何もかも理解出来ます。そして幼かった頃の体面を気にした親愛の愛してるでは無く、そのまま無垢な愛してるを言って欲しいと、一切動じない筈の睡蓮がその場で泣き崩れ和樹さんに支えられた。私はどうしても涙が溢れる中、ただか細い声で何度も睡蓮愛してると声の限り続けた。もう何もかもが駄目だった、こんなに物分かりの良い実子に、私はなんて酷い仕打ちをしたのだと両拳の凝りを解せなかった。


 そして河合家と藤原家はそれぞれ舞台の上手と下手に招かれ、芳美と睡蓮と相対した。定石としては花束贈呈のそれは無く、長年育ててくれて有難うございます、そしてこれからも見守って下さいと、深々と挨拶された。そして、芳美と睡蓮が上手と下手を交換し、いざの生母と実子の対面になった。その間は永遠の沈黙かで、朱雀の間は繰り出される言葉に、どうか切実に終えます様にと祈っていた。口火を切ったのは芳美からだった。

「菖蒲お母さん、いえ薫お母さんもですけど、今更どちらが何かも、もう言えないです。これ以上の無い疾風お父さんとの間に生まれ、心より愛してくれて有難うございます。これからは、愛してるをきちんと目を見て語って下さい。直ぐには出来ないでしょうけど、私達親子ならば、きっと出来る筈です」疾風先生譲りの猫目が釣り上がり、右手が震えながら上がった。菖蒲はここぞの度胸で見据えたまま訴えた、そうしなさいと。芳美の右手は振りかぶり、そして最後に大きくしなった右手が、菖蒲の左の頬を体感以上の痛さを全身に巡ったのか膝がしなだれ、淳一郎さんに支えられた。安能さんの予言通りに私達は親の大失敗を受け止めた。朱雀の間は、どうして良いか沈黙と唸りが漏れた。

 続いて睡蓮にバトンが渡される。日頃から温厚な筈の睡蓮が怒りに震えていた。この子の引っ込み方はここまで追い込まないと、私と対峙出来ないだろうだった。

「薫お母さん、菖蒲お母さんは私に100万回愛してると言ってくれました。薫お母さんはこれを超えれますか。言葉では無い愛情の伝え方は成長に従って学びました。でもそれは言わないと伝わりません。薫お母さん、いえ薫さんは雰囲気で察して下さいが多々です。これは私睡蓮のみならず、芳美にももっと優しく接して下さい」睡蓮の泣き虫がここでまた出てきた。右手を4度振り上げては下ろし、5度目で泣き虫のままに振りかぶった。睡蓮の四肢はとても長く、そのしなりのままに、生涯で初めてのインパクトを左頬から全身が震えて、涙で倒れるままに疾風先生の体躯に収められた。

 公開の贖罪はここで終わるも、芳美と睡蓮が長らく背負いひた隠していた感情がここで発露して、舞台にしゃがみ込み嗚咽した。どう慰めて良いか、生母と養母の立場でも答えが導けなかった。ここで安能さんが立ち上がり、一際大きなオベーションを送り、ざまあ見なさいよと、朱雀の間を大爆笑に招いた。それに続けとばかり皆がオベーションに転じ、ざまあみろは無いもの、君達はこれからだ、君達は困難を幾つも乗り越えて行ける、これこそ無償の愛だ、芳美さん愛してる、睡蓮さん愛してるが連なって言った。芳美と睡蓮は抱き合い嗚咽は更になり、このままでは直ぐに帰って来れないと察した私薫と菖蒲が、堪らずウェディングドレスの二人に駆け寄った。私薫は睡蓮を優しく抱きしめ、菖蒲も芳美を優しく抱きしめた。ウェディングドレスを着ても、生まれたての時の袖引きの強さの感触が、この身体が知れず覚えていた。そして、もう芳美も睡蓮も大丈夫、まだまだ強くなれる、言葉にして切実に説いた。そして自然と4人の輪となり、心も身体もより一つになる感覚を覚えた。私達はこうして、漸く親子の絆を深く知る事になった。

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