第7話 チボー家にて。月光の影に口づけを
寝る前に空を見上げた。曇っている。雲の流れが速い。暗くて重い
私みたいだ。
泣きながら眠りにつく。雨が降るのよ。
ここは薄暗い雲の上、雲の隙間から夜の街が見える。
キタ。
そんなに長くはいるつもりない。というより、何もない誰もいないと
感じると、自由を感じるより、退屈で何も思いつかない、することが
飛ぶことだけだ。
鷹は獲物を物色しながら飛んでるのかな、場所を探しているのかな、ツガイを探しているのかな。
何かに期待して、胸を膨らませて、新しい人や場所へ赴くけど何も起こらないことの方が多くて、不安が早々と帰り支度をしてくれる。
ここまでは何かして、と以前住んでいた家に行くことにした。
飛ぶって風に乗る感じ。無重力で仰向けに浮いているだけでも、意識で移動できることが分かった。手を拡げても意識の速さで飛べる。歩くこともできる。
それらを堪能したら、少し早めに以前住んでいた家に到着できるよう意識して移動した。
その家の上には、品のある老婆が浮いていた。
笑わない。ので私も笑えない。
彼女が私に一瞥をくれる。
「そこ、私の家だったのですが、何かありましたか」と尋ねると
老婆はまた一瞥をくれる。鋭い目つき。遠くを眺めたままゆっくり口を開いた。
「臭い。」
私が怪訝さを押し殺して首を傾げると、
「臭いから、出直してきなさい。」
私は怒りが沸き起こりそうになるも、抑制できた。
「私の匂いがしますか?」と聞き返すと、
またもや一瞥、遠くを見ながら
「欲には匂いがある。混ざって臭いね」
頭にくるより泣きたくなった。少しおいて言い返す
「欲は薄いつもりです。欲を自己意識でき、諦めているほどです」
老婆は今度は私を見据えた
「欲が濃いからこそ、薄いように振舞ってるだろうよ、自分の欲が重くてきついんだろう、それくらい強いよ。」
私は嘘がつけないことを知った、
「匂いを消すってどうすればいいのですか」
老婆はまた遠くを見てる、
「現実に戻って他人を愛しなさい。」
私は黙っていた。すると
「チボー家の人々は読んだかね?」
私は答える「読みました、内容はよく覚えてないけれどカトリックとプロテスタントの話でしたよね」少し自慢げに言いてしまったかもしれない。
「恋するジャックが月明りでできたジェンニの影にキスをする、きっとそれはとても匂いがいい」
私は問う「では常に恋してればいい匂いですか?」
「嘘だと臭いよ。強いものも芳しいこともある、匂ってくるといい自分の匂いを。ここは時間の狭間、通路だよ。少しだけ見ておいでというより、感じてみるといいよ、外側からしか見えない、匂いを。」
「別の時間や遠いところも行けるのですか?」
老婆の顔に表情が浮かんだ。うつろな眼差しに少し人気が差した。
「どこでもドアは併用してない、タイムマシンの引き出しの中と思えばいい。過去や未来の自分に会える。もっと昔の自分にも。でも帰れなくなったら私みたいになるよ。すぐに帰ってきて、また行く、のパターンが安全だね。私はもう空にしか居れないんだよ。自分の体が眠り続けて、私を受け入れない。ずっと昏睡状態でね、どっか悪かったのかな。娘は大きくなり孫もいるけど語りかけもできない。向こうも語りかけるけど、お互い一方通行よ。もう早くどうにかしてほしくて体が死ぬとき、この何物でもない私も消失してくれるか、この歳まで待ってる。あちこち見るのも疲れた。あんたも眠り続けたら病院に運ばれて、沢山注射してもらってどうなるかわからない。だから早く戻って他人を愛しなさい。
でも現実で満たされず退屈だからここにいるんでしょうけど…
こうやって誰かと話すと私も気が紛れる。私はもうだいぶ狂ってる。
こうやって通行人の存在で私は私を実感できる。」
老婆はドラえもんを知っている。チボー家も読んだ人。あなたはそこにいますよ。
得体のしれない欲望が目を覚ましていく。話の途中でもう爛々となっていた。きっとすごく匂ってる。
父と母の介護をしながら借金返済の人生を…自殺せずに…眠っておくことができる。
帰れるか帰れないかの不安はない。私は戻れる。私に。
現実の私よ、眠っていて。
お父さんお母さんごめんなさい、少し待っていて。私に時間を下さい。
流れっぱなしの逃している時間ではない、本当の私の時間を私に下さい。
私の欲の匂い、嗅ぎたい、そしていい匂いにしたい。
壁にキスをするように、目を閉じて夜空という宇宙にキスをする。
そして老婆に、時の扉を開ける方法を尋ねた。
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