第70話 物書きの心

「ふむふむ。それでそれで?」


左近や喜内が先の大戦の和議や、黒田官兵衛の説得などの話を牛一にする。


牛一はまばたきせず、いや数回はしたかもしれないが、話す相手の目をじっと見つめて聞いている。


相槌は打つが質問はしない。


これが牛一の聞き方であった。


「で、本日牛一様の所へ治部様をお連れしたんです。」


まだ竹刀で叩かれた頭が痛いのか、秀信は頭を濡れた布で抑えながら言った。


「ふむふむ。なるほど。」


牛一は聴き終えると、目を閉じたそして堰を切った様に質問して来た。


「島津はその時どんな表情だった?」

「金吾は松尾山でどんな仕草を?」

「内府の癖は何かあったか?」

「村上の船の感想は?」

「官兵衛の顔は?」

「恵瓊の笑い声はどんな?」


怒涛の質問攻めに、その場にいた全員は困惑するが、一つ一つ丁寧に答えて行った。


「なるほどな。…。」


牛一はまた目を瞑り何か考えている。


すると急に居間に向かって叫んだ。


!!紙と硯を!!」


「ん?」


一同何が始まるのかと、不思議な顔だった。


すると奥の間から、妖艶な女性が


「はいはい。」


と、言いながら大量の和紙と硯を持って入って来た。


「うむ。」


牛一はそれを受け取ると、一同の視線がその女に行っている事に気付き言った。


「あぁ、これはわしの妻じゃ。ほれ。」


と、牛一は女に言う。


言われた女は無愛想に頭を下げ、紙と硯を置くとまた奥に戻って行ってしまった。


歳は30歳半ばか?


(それにしても綺麗な人だ)


皆そう思った。


「あれは元は甲賀の出の女。忍びで色んな所を転々としておったが、最後は小田原北条の忍の一員じゃったが太閤の小田原征伐以来、忍びを辞めて京で遊女をやっておってな。それで、いつしかわしと夫婦になったわけじゃ。」


すると左近が鋭い眼光で言った。


「それでは牛一様にはお子が?」


「おる。何故分かる?」


「いや、お子様は、先程から私達の会話をずっと聴いておりまするな?」


左近が目を細くし言う。


「!!!???」


津久見は何を言っているのか分からない。


「さすが、島左近殿…。お気付きであったか…。」


「はぁ。」


「これ、よ」


と、牛一は天井に向かって言った。


その瞬間、牛一の横に1人の人間が現れた。


「え!!???」


津久見は驚きを隠せない。


「娘のじゃ。」


「娘?????」


と、津久見はせんと呼ばれた女を見た。


華奢な体ながらも強靭な筋肉は牛一譲りのものか、袖の内からそれが見えた。


切長な目、唇は厚く、目の下の涙黒子なみだほくろが印象的なまだあどけない女であった。


「わしとキヨとの間の子でな、今年17になる。キヨの血か、わしの血か、忍びに憧れ自身で忍びの真似事をしておってな」


と、牛一は笑いながら言う。


「に、してはなかなかの腕でございますな。」


左近が驚きながら言うとは少し照れる様な仕草をした。


忍びの真似事をしてはいるが、牛一が世の中の事は知りたくないと言い続けていたので、はここ嵯峨野の地だけで忍びの真似事をして遊んでいた様である。


街の者からは変わり者の子は変わり者、と揶揄されていた。


だから、初めて褒められたは嬉しさを隠せなかった。


よ、父はちょっとやる気が今あるでな、ちょっと遊んでまいれ…。そうじゃ今日の夕飯の買い出しにでも母と行って参るがよい」


は不服そうな顔で奥の間に入って行った。


「さて…では…。」


牛一はそう言うと袖をめくり、筆に墨を垂らすと


「ぬん!!!」


と、和紙に文を書き始めた。


皆圧倒されて何も言えない。


「ぬん!ぬんん!ぬぬぬーん!!」


「ぬぬぬぬぬぬー----ん!!!」


「ぬぬぬぬぬぬぬぬんぬんぬんぬー--------ん!!!!!」


一心不乱に牛一は筆を進める。


早すぎて何を書いているのか追いつかない。


______________________________________


30分程経っただろうか、


「こんなもんかの。」


と、牛一はやっと筆を置いた。


「牛、牛一様これは??」


秀信が聞く。


「うむ。書いてみたくなったから書きもうした。」


と言うと、牛一は書を津久見に渡す。


渡された書には


「関ヶ原ノ戦い見聞録」


と書かれていた。


「え?!」


津久見達はその書を読んだ。


津久見には昔の文法の為、理解に苦しんだが、左近が言った。


「見事でございまする。さすが牛一様…。」


感嘆の声を漏らす。


「ここまで正確に、しかもあの短時間で…。」


喜内が言う。


「あ!私の名前もあります!!!」


平岡は喜びながら言う。


「なるほど『ここに我が思う戦と相反する故、興味沸き候。治部の想いは届くのか。』って、今日に至るまでの物語ですね!!!」


秀信が言う。


「そうじゃ。ただ書きたくなっただけじゃよ。…。」


と、牛一は笑顔で言うが、段々と顔は悲しみの表情に変わって行く。


するとその書を取る。手は震えている。


牛一は一気にその紙を握りつぶそうとした。


が、寸での所で牛一の手は抑えられた。


津久見の手であった。


「牛一さん。もうクシャクシャにしなくていいですよ。」


と、にっこり笑う。


「しかし…。」


「あなたは聞いた事をそのまま書いた。真実を書いた。それはあなたがやりたかったことではないのですか?」


「…。」


「もし良かったら、たまに来るんで、書いてくれませんか?」


「ん?」


「『戦無き世を目指した男』なんてどうしょうか?」


「…。」


「真実を後世に残す。あなたの物書きとしての人生の締めくくりであり、再出発という意味も込めて。」


「…治部…。」


牛一は津久見の目を見つめる。


そこには満面の笑みの津久見がいる。


牛一も笑った。


「良かろう!!!この太田牛一!歳は取っても、筆は歳は取らんわ。書いてやろう!お主の生き様!」


「ははは。良かった。やっぱ人は笑顔が一番ですね。」


「わしの知ってる石田治部とは別人じゃな…。」


「え?まあ。あの、人は…変われる…とでも言いますか…。」


「まあ良い。飯を食べて酒でも飲んでゆっくり話を聞かせてくれ。」


その夜、牛一宅の灯が落ちたのは丑三つ時を超えたあたりであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る