第69話 牛一の想い

牛一の推測は、現実世界での関ヶ原の戦いと全く合致していた。


津久見はクシャクシャになった紙を見つめながら、実際の戦の経緯を話し始めた。


「実は…。」


所々で左近や秀信が口を挟み注釈する場面も見られた。


牛一は『そんな馬鹿な…。』と今にも言いそうな顔で聞いていた。


話しは信禅院での家康との面会の場面へ。


「内府は!!タヌキはなんと!!!」


「和議に応じられました。」


それを聞くと牛一は全身の力が抜けたように後ろに倒れかかった。


「それで…。」


津久見が続けようとする。


「待てい。」


すると牛一はスッと立ち上がり、部屋の中を頭を抱えながらグルグル回りだした。


何かブツブツ言っている。


「という事は…。では…。」


牛一の思考は止まらない。


「では、和議が成立して、一旦大垣へ戻って、それから大阪城の秀頼様へご謁見か?」


「はい。」


「となると、九州勢は…。」


と、またブツブツと喋りグルグル部屋を回り始めた。


「加藤さんと、黒田さんもご理解いただきましたよ。」


津久見はニコッと笑いながら言った。


牛一は驚いた。


自分の知っている石田三成ではそんな事が不可能である。


と、考えていたからである。


左近と喜内が九州遠征のいきさつを説明すると、もう牛一は力が抜け、座り込んでしまった。


牛一は小声で


「なんと…奇なる…。事実とは…。」


と言った。


「事実?どういうことですか?」


津久見が聞く。


「いや、良い。わしは隠居してから、今後の天下の趨勢を、遊び心で予想しておった。たまに町に出て噂を耳にすれば百発百中全て当たっていた…。」


牛一は立ち上がると、ある箱を取り出し、開けながら言った。


「これは!!」


箱の中には先程のようにクシャクシャにされながらもぎっしりと文字の書かれた紙が何個も入っていた。


「信長様に長年仕えておった身。うつろう世の中なんぞ、見て取れておったわ。」


「御免。」


と、左近が一枚広げて読むと


「太閤朝鮮出兵。二度に渡る…。」


と書かれており、どこに拠点を置き先陣は誰、武功は等事細かく書かれていた。


「凄いですな…。」


左近が驚嘆して言ったが、何かに気付き牛一に聞いた。


「これもどれも途中でクシャクシャになっておりますな…。」


「…。」


(何でだろう。信長の祐筆。信長公記の著者。鋭い推理力。さすがの文章力。なのになんで?)


津久見は考えれば考える程分からなくなった。


そこに牛一は口を開いた。


「歴史は…。」


皆クシャクシャの紙から牛一に視線が移る。


「歴史は勝者が全て描くもの。そこに敗者の想いなんぞは微塵もない。全て歪められて後世に残るものよ。あの信長公記も…。」


と、牛一は三成を睨むように言った。


「のう治部よ。覚えておるか。太閤の御命令で、信長様亡きあと、わしを大坂城の一部屋に7日間も監禁したことを。」


「え?」


もちろん津久見は知らない。


「わしの書いた書に全て目を通した秀吉公は、お主を通して書き換えるように指示して参った。おぬしは実直にわしを幽閉し書き直した箇所を確認しては秀吉様に報告しておったの。」


(そんな事があったのか!!)


津久見は驚きながら聞いていた。


「だからじゃ。わしはもう辞めにしようと思い。今ここにおる。」


牛一は悲しそうな目で津久見を見つめる。


「真実が書けぬは本当のではないわい。真実が伝えられぬのであれば、いっそのこと空気の美味しい、喧騒のない所で余生を…とな。」


牛一の目が細くなる。


そこに嵯峨野の竹林から一筋の風が部屋を吹き抜けた。


心地の良い風だ。


津久見は牛一の立場になって考えていた。


(長年付き従って来た信長の一挙手一投足を書きとめてきた。そこにこの方の使命感が宿っていたんだろうな…。)



津久見はまた牛一の顔を見て思った。




(そうだ。私は歴史を変えてしまった。なら…。)





「書いてみます?」


「ん?」


牛一が聞き返す。


「信長公記です。」


「ん?」


「多分あの大きな大坂城のどこかに原本があると思うので…。」


「!!!???」


「後世の人に真実を伝えてみませんか!?」


「なんと!?」


「ここにあるクシャクシャになった紙…。これは貴方が物書きである事の未練。でも続きを書く事ができなかった。」


「???」


「真実を歪めた自分を責めているんじゃないんですか?」


「!!!」


津久見はクシャクシャになった紙を一枚一枚綺麗に拡げながら続ける。


「書きたいけど、書く資格が自分には無い。そう思ったからこれらは全て途中でクシャクシャにしてしまったんじゃないですか?」


「…。」


「いいですよ。真実を書きに戻って来てくださっても。」


「…。」


牛一の目がさらに細くなる。


「私も真実が知りたくなってしまいましたので。」


津久見は満面の笑みで言う。


「…。」


牛一は無言だが、唇が小刻みに揺れている。


怒っているのか、嬉しいのか、悲しいのか。


その心情は津久見には見て取れない。


が、牛一は言った。


「いや。大丈夫じゃ。」


「え!良いんですか?」


「うむ。」


「なんでですか?」


「運命…とでも言おうかの。」


「運命?」


「うむ。わしが今まで幾千と書き残した書は全てわしの子供のようなものじゃ。あの書も真実が歪められ、後世に伝わる運命じゃったのよ。だから、それには抗う事はできん。」


牛一はそう言うと天井を見つめた。


「…。」


津久見も黙っている。


「ありがとな。治部よ。」


「はい?」


「ああああああああああ。そう言われて何かスッとしたわい。」


「はあ。」


「おおおおお。何かすっきりしてきたぞ!!!!」


牛一は吹っ切れたように言うと中庭躍り出ると、竹刀を握った。


「はははははは。」


大声で笑う。


そして


「びゅっびゅっ。」


と竹刀を降り出した。


笑顔ではあるが竹刀を振る反動で揺れた顔からは涙が飛んでいた。


(この人も運命に翻弄されて生きて来たのか…。)


津久見はそう思いながら牛一の姿を見つめていた。


今宵こよいは泊っていけ!!!久しぶりに世の中の事を聞きたくなった!」


竹刀を振りながら牛一は叫んだ。


「はい!」


と津久見は笑顔で答えた。


「では牛一様、一つ勝負を~。」


と秀信は立ち上がると、上着を脱ぎ中庭に飛び出し竹刀を手に取った。


「お!三法師様!!!久しぶりにやりますか!!!」


「ふん!!!!私が勝ったらもうその名で呼ばせませんからね!!!それにこれから牛一様の事をと呼ばせて…。」


勝負は一瞬であった。


中庭に気絶した秀信が倒れていた。



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