第68話 太田牛一

津久見の体は屋敷の中へ左近に担がれていた。


ドスン。


雑に津久見を床に寝かすが、一向に起きない。


秀信が興味津々に津久見の体を指で刺している。


平岡と喜内はどっちが叩くか話し合っている。


そんないつもの風景を左近は見ていたが、ふと老人に目をやる。


その男は、まだ信じられない、という表情で寝ている津久見を見ていた。


ブツブツ言っている様だが、何と言っているかは分からない。


「牛一様、いかがされました?」


と、左近が訪ねても


「何故じゃ、何故生きてる…。」


と、さっきからこればかりである。


「ん〜?どうもおかしいですな。」


と、左近が言った時、後ろから


「パチン!!」


と、音がした。


「どうですか?!」


どうやら、秀信が津久見の頬を叩いた様である。


「うっ。」


津久見は声にもならない声を上げ、少しずつ目を開いた。


「岐阜様!成功でござる!!!」


喜内が嬉しそうに言う。


「ほんと??やった!!」


秀信は喜ぶ。


「痛った〜。」


と津久見は言いながらむくっと起き上がると、秀信を睨みつけた。


そんなやりとりを意に介せずに左近は牛一を見つめながら、をどこか感じていた。


だが、どこにいるのかは分からない。


「え!治部殿、怒ってる???」


「秀信さんには怒ってません。どうせ、そこの二人が、『叩いたら起きますよ。』とでも言ったんでしょ。」


と、次は喜内と平岡を睨みつけた。


「そうなんですよ〜。最近治部殿は気絶癖が強くて、我々の仕事が増えたって」


「仕事ってビンタの事?」


と、津久見は冷たい目線で二人を睨みつける。


平岡と喜内は悪びれた様子もなく笑顔で津久見を見ている。


「ったく…。」


と、言っていると左近がすり寄って来た。


「殿。牛一様の様子が少し変でございますぞ。」


「えっ。牛一様?」


っと、老人の方を見た。


男はまだ信じられぬという表情で


「何故じゃ、何故じゃ…。」


としか、言わない。


(ん?)


不思議に思った津久見は声をかけた。


「あ、遅くなりました、石田三成です。」


と、正座して挨拶をした。


男はお化けを見る様な目で津久見の体を舐め回す様に見ている。


牛一の様子の異変に気づいた秀信が口を開いた。


「治部殿。ご存じかも知れませんが、こちらは太田牛一おおたぎゅういち様でございます。織田信長公の祐筆ゆうひつとして長年お仕えされてた御仁で、私も幼少期の時から可愛がって頂いておりました。」


(太田牛一…。織田信長の祐筆…。)


津久見は考える。


(あ!!!!)


と、何かに気づくのと同時に


「信長公記の!!!!」


と、津久見は驚きながら言う。


信長公記とは


史上初めての織田信長の一代記である。


信長の幼少時代から信長が足利義昭を奉じて上洛する前までを首巻とし、永禄11年(1568年)の上洛から天正10年(1582年)の本能寺の変に至る15年の記録を1年1巻とし、全16巻(16冊)にまとめている。


その著者が目の前にいる。


津久見は興奮してきた。


(あの信長と直に一緒にいた人に会えるなんて!!!)


「牛一さん!」


「さん?」


「織田信長ってどんな方でした?」


津久見は聞く。


皆凍りついた。


老人とは言えあの信長に長年仕えた男である。


その男に向かって織田信長と呼び捨てにしてしまったからである。


皆ゆっくりと牛一の方を見る。


さぞ怒るだろう。皆そう思った。だが牛一はそんな事には意を介せず言った。


「お主。何故生きておる???」


「え?生きて?」


津久見は自分の体を曲げたり伸ばしたりしながら


「生きてますよ?気絶してましたけど、割と元気に。」


「何故じゃ?」


「え?何故?」


津久見は聞き返す。


すると突然牛一は立ち上がり、ゴミ箱らしき箱の中からクシャクシャになった紙を取り出し広げた。


そこにはびっしりと綺麗な字で何やら書いてある。


が、文字は途中で終わっており、半分は余白であった。


「何ですかこれは?」


興味津々に秀信が聞いた。


「三法師様。私は隠居の身。街の者からは世捨て人などと呼ばれております。」


「えっ、そうなんですか?」


秀信が驚きながら言う。


「世の中の事が一切聞こえて来ないこの屋敷で、遊女出身の女とここで、余生を過ごそうと思っておりました。」


牛一は続ける


「ただ、石田三成挙兵。とだけは街に買い物に言った時にこの耳に入っておりました。そう言う世相が嫌いで私は耳を摘んで屋敷に帰ったもんで、その後はどうなったか分かりませぬ。」


「そうだったんですか??」


秀信がこれまた驚いて言う。


左近は話を聞きながらずっとクシャクシャになっている紙の文を読んでいた。


そして牛一に聞いた。


「牛一様、そう申されましたもここに「関ヶ原」「小早川」等、戦の事が書かれておるようですが…。」


「あー。だからじゃ。わしは驚いておるのじゃ。」


「何でですか?」


津久見が聞く。


「家康と石田三成が戦う。と聞いて、わしは込み上げる物があって、知らぬ間に筆を取っておった。」


「御免。」


と左近はそのクシャクシャの紙を手にし広げ読み始めた。


「石田三成と徳川家康が戦をすると聞いて候。

 ここに戦の始終を書き留めたく候。

 東軍家康はおそらく会津あたりの上杉討伐に向かう途中に、三成挙兵の報を受けよう。

 あの狸の事、一芝居打って豊臣恩顧の武将を抱え込むであろう。

 その筆頭は福島正則あたりか。

 一方石田方は、その人望無き故に総大将を毛利とする。

 その入れ知恵は旧知の友大谷か。

 黒田の小倅こせがれの暗躍に寄り西軍の調略が進む。

 家康は東海道と中山道の二つから進軍。

 二つの街道が交わる関ヶ原あたりが戦場か。

 関ヶ原と言えば松尾山を抑えた方が有利なり。

 関ヶ原に近い、石田三成松尾山を抑えたなり。

 狸は歴史になぞらえ、桃配山か。

 関ヶ原へ近き西軍有利と見たり。松尾山、南宮山を先に押さえた西軍三成、狸を迎え撃つ。

 しかし、戦上手の狸の調略で松尾山陣取った者は裏切り。」


と、ここまで書かれてやめてしまっていた。


一同唖然としている。


さすがはあの信長に長年付き添って来た男。


石田三成挙兵の報を受けただけで、ここまでの文が出来上がってしまっている。


しかも、現実世界ではそのまま関ヶ原の戦いが書かれていた。


「牛一様、何故ここでやめられてるのですか?」


秀信が不思議そうに聞く。


「ここまで書きましたが、やはりわたくしめは世捨て人で。こんなん書いてもどうしようもあるまいと思いましてな。」


「で、クシャクシャに?」


「そうでございます。」


「では、何故私が生きてるのがおかしいのですか?」


津久見が聞いた。


「それは…。」


牛一は戸惑いながらも続けた


「小早川、吉川、朽木に脇坂、島津はどうかな、西軍大将は恐らく毛利殿。でも大阪から出んじゃろな。淀君か北政所様あたりが止めるじゃろ。ほれ、これでどうなる。戦いは一瞬昼過ぎには終わりじゃ。ほんで、治部は捕まり見せしめでもされ、六条河原あたりで…。」


と言うと喋るのをやめた。


「処刑…。ですか。」


津久見が言う。


牛一はゆっくりと首を下げる。


一同驚きが隠せない様子である。


「だから何故、治部が生きてるのか不思議なんじゃ。」


「すごいですね。その洞察力…。でも私は生きてます。」


「何があったのじゃ???あの関ヶ原で。」


牛一は前のめりになって聞いた。


その目は真っすぐに津久見の目を見ている。


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