番外編

番外編1話


 長い一日を終えて家に着くと、仕事帰り以上の疲れが肩に重くのしかかった。

 デパ地下で買ってきた総菜たちはルナに託して、ソファーに体を預ける。なんだか一か月分を詰め込んだような劇的な一日だった気がする。朝からルナの家に行って、それからランチに、ドッグカフェ、公園。更に先程の出来事を思い返すと、恥ずかしさや嬉しさが心の中で混ざり始める。


「由紀さんまだお腹減ってないです?」

「……減ったけど、それ以上に疲れたの」

「こっちに持ってきましょうか」

「ん」


 そう言ってルナはまたキッチンの方へと離れていく。本当に出来た子だと思う。ソファーでゴロゴロとしている間にもローテーブルに買ってきた惣菜たちやお皿、グラスが並んでいく。年上がこんなにだらけていていいのだろうかと不安になってくるほどだ。少しくらい手伝おうと重い腰をあげると、キッチンからルナが箸を持ってやってきた。


「残念、これで揃いました」

「……ありがとう」

「こういうのは元気な方がやればいいですから」


 肩を押されて大人しくソファーに座り直すとルナが隣に座って、私に向ける溌溂とした笑顔に釣られるように口角が上がる。ルナのこういうところにも、きっと私は心を解かされたのだと思う。そんなことを思いながらテーブルに並んだ料理に箸を伸ばす。ポテトサラダに蜂蜜は、私の口には合わなくてルナが全部食べてくれている。


「美味しい?」

「んー、なんかご飯って感じはしないですけど美味しいですよ」

「それならいいけど」

「無理して私が食べてるって?」


 本当に、良く察する。思わず肩を竦めながら頷くとルナは何故だか楽しそうに笑いながら私を見つめる。理解できていることが嬉しいのか、単に思考を当てたのが嬉しいのか。自惚れでなければ前者なのだろうけれど、尋ねるには気恥ずかしい。温めた鶏のソテーに箸を伸ばして視線から逃げると、それ以上は追ってこなかった。

 気まぐれに付けたテレビに映るバラエティ番組。その合間にいつものような他愛無い会話が挟まる。


「由紀さん」

「ん?」

「あー……」


 鳴き声のような変な声の方へ顔を向けると、ルナがじっとこちらを見つめていた。せがむような視線に、なんとなくルナが求めているものがわかる気がする。分かるかといって応えるかと聞かれると素直には頷けないけれど、ご飯中だし。


「食べる?」

「えっ、む」


 口の中に鶏肉を中ば無理やり入れる。咥えたそれをもぐもぐとリスのように咀嚼するルナの、口の端についたソースを指の腹で拭ってあげる。愛情表現についてはルナの方がよっぽど素直で、私は真逆だ。受け入れるばかりで過ごしてしまったから。少しずつ頑張りたいけれど、突然はやっぱり無理だから、そう、少しずつ。


「後でね」

「……あー、あはは、はい」


 たったそれだけで心臓が煩くなる。らしくないとも思うし、すぐに羞恥や後悔が体を襲う。それでも、目の前で目を細めるルナを見ていると、わずかながら言ってよかった、という気持ちの方が勝る。だから、少しずつだけれど、頑張ろうと思う。


 空になった容器を捨てる作業はルナに言ってやらせてもらった。捨てるだけだから一瞬だし、受け取るばかりは嫌だから。こんなことも、今までは考えてこなかった気がする。


「ありがとうございます」

「これくらいね」

「でも今までならあんまりやらなかったんじゃないです?」

「……」

「甘えられてるって感じで私は嬉しかったですけどね。 なんていうかこう、懐かれてる、みたいな」

「そっちの方が嬉しいの?」


 意外な言葉に目を丸める。なんとなく思ってはいたけれど、ルナと私の価値観ってどちらかと言えば真逆な事が多い気がする。これも少しずつすり合わせていく部分なのか、甘え切ってしまってもいいものなのか。


「由紀さんって心を開いてないと頼ったり甘えたりしないじゃないですか。 だから、甘えられてるのがなんていうか、心を許してもらってるっていう実感に直結する、みたいな、そんな感じがして嬉しいんです」


 ルナの頭が肩にもたれかかる。そう言われると確かにその通りで、理屈が分かると恥ずかしいものがある。そして、本当によく見ている。私のことをちゃんと見て、知って、それで好きだと言ってくれている。そう思うとお腹の中に今まで感じた事のない熱が膨張していくのを感じる。もたれかかる顔を覗き込むように顔を寄せると、ルナの目がまん丸に開いた。大きな目。口を開いて、そして閉じる。なんて言葉をかけるのが正解なのか分からない。自分の欲を的確に表す語彙が、とことん足りない。

 その分熱を込めてその目を見つめる。この感情が少しでもルナに伝わればいい。肩から顔が離れて、距離を縮めるようにルナが近づく。ルナの手がソファーに置かれた私の手を握るのと同時に、唇が触れる。


 好き。

 ルナが、好き。


 そんな当たり前の事ばかりで頭がいっぱいになる。ルナの手に指を絡めて、もっと隙間を無くすように唇で触れる。息遣いや体温、感触の一つ一つがもっと欲しい。こんなに何かを欲しくなることが、こんなに何かに夢中になることが、私の人生の中であるなんて思わなかった。


「由紀さん」

「……なに?」

「や、その……心臓が爆発しそうです」


 空いた方の手が口元を覆って、ルナの目が下へと落ちる。長いまつ毛の影が瞳に落ちて白い肌には赤色が広がっている。きっと今は私だけが見ることの出来る表情が今目の前にある。私まで、一緒に爆発してしまいそう。その熱を吐き出す様に、ルナの瞼に唇をくっつける。瞼だけじゃなくて、頬や鼻や額にも触れていく。


「ちょっと、由紀さん人を殺す気ですか?」


 適切な表現方法が下手な自覚はある。ルナの様に相手の表情を見ながらコントロールするなんて無理で、さっきまで表現の仕方にすら困っていたのに今はアクセルをベタ踏みしているという自覚もある。それでも、どうにかできる気がしない。この熱を自分だけで落ち着かせる方法なんて知らないから。


「甘やかしてくれるんでしょう?」

「うっ、わ」


 目と鼻の先でそんな素っ頓狂な顔をしないでほしい。思わずくつくつと肩を震わせると、ルナの手が頬を抓ってくる。その手に重ねるように手のひらを重ねてじっと見つめる。今ので少しだけ、いつも通りの感覚を取り戻せた気がする。目の前のルナはまだ目をまん丸にして固まっているけれど、まあいいか。甘やかすのが好きらしいし。


「やっぱりずるい」


 その言葉にまた笑って、唇を触れ合わせた。

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