第35話:踏み込む
「ただいま」
「おかえりなさい、由紀さん」
その言葉が返ってくるとまだ少しだけほっとする自分がいる。キッチンで何やら作業をしているルナを見て、息を吐き出す。
あれから一週間、日常は変わりなく続いているように見える。ただ一つだけ気になる部分といえば、ルナからのスキンシップがなくなったことだ。膝枕も、いきなり抱き着いてくるようなこともない。気にしすぎかもしれないけれど、そうなってしまったのは自分のせいだから言及することも出来ない。
部屋着に着替えて、キッチンにいるルナの隣に立つ。今までは散々甘えてしまっていたけれど、少しずつ改善していこうと思っている。少しくらいしっかりしなくてはいけない。特にお酒は改善すべき部分で、一週間程断っている。三度目などあってはならない。
何か手伝うことがないか聞くと、大きな瞳がじっと私を見つめる。何も言わずにただじっと見つめられると、なんだか落ち着かない。視線をキッチンに移せば、ボウルの中に何やらひき肉をメインにしたタネが出来上がっている。
「ハンバーグ?」
「当たりです」
「成形するなら手伝うけど」
「んー」
曖昧な返事をして、ルナがボウルを見つめる。後は形を整えるだけのようにも見えるけれど、何かまだ工程があるのだろうか。ルナの為に設置したスマホスタンドにスマホは無くて、参考レシピ等も見当たらない。
「冷蔵庫に冷やしてあるポテトサラダ運んでもらえます?」
「それはもちろんいいけど、他は?」
「ありがとうございます。 今お仕事から帰ってきたばっかりなんですから、少しゆっくりしててください」
そんな私の思惑は、こうやって躱されることが多い。ルナが意図しているのか意図していないのかは定かではないけれど、中々手伝わせてくれない。強情に粘るほど手伝える事があるのかも分からなくて、こう言われてしまうと引き下がるしかない。
私は少し肩を落としながらいつも通り冷蔵庫や棚から物を運び食卓の準備を進めていく。掃除だって、ゴミ出しをお願いしてくる位だし、洗濯はドラム式洗濯機がほとんどやってくれるし、他に何かあるだろうか。長く暮らしていけるように、出来ることがあるのならしたいのだけれど。
一通り準備を終えると、キッチンからいい匂いが漂ってくる。お肉が焼ける匂いにまたルナの隣へと戻ってくると、フライパンには四つもハンバーグが並んでいた。
「たくさんね」
「あはは。 小さめにしたので意外といけると思いますよ」
「ふうん」
焼き加減を確認しているルナの横顔を見つめる。少し伸びてきた髪をポニーテールにしていると、細い首が際立つ。もし、私からスキンシップをしたらルナはどんな反応をするのだろうか。今までと変わりないのか、それとも、私を拒絶するだろうか。何をされてもいいのだと、私を許すと言ったルナの言葉を思い出す。
「そろそろっぽくないです?」
「ん?」
「焼き加減」
フライ返しを差し込んで、ハンバーグを器用にひっくり返す。焦げもなく丁度良く焼けていると思う。ここからは三分、蒸し焼きにするのだとルナが張り切った様子で蓋をする。ジュウジュウと焼ける音に、ぽっかりと空いた時間が二人に残る。
「由紀さん、最近家事やりたがりますよね」
「え? えっと……気づいてたのね」
「由紀さんって分かりやすいですから」
クスクスと楽しそうに笑っている顔を見つめると、ルナがこちらを見つめ返す。手を伸ばせば触れられる距離でじっと見つめられると、少し落ち着かない。あの日以来そんなことが増えている気がする。私がルナに出来ることを考えたり、ルナに視線を引っ張られたりして、頭の中が落ち着かない。
ルナがいなくなる可能性があるのだということ、それを怖く思うくらい、ルナが大切な存在であることを知ったからだろうか。
「改めて、共同生活を続けていくなら必要なんじゃないかって思ったの」
「あはは。 んー、確かに一理あるかもしれないですね。 でも別に嫌々やってる訳じゃないので気にしなくてもいいんですよ」
「気にしてるとかじゃないの。 なんて言うか……出来ることがあるのならしたいって思う」
大切だと知ったから、出来ることがあるのならしてあげたいと思う。今までは、ルナがしたいようにさせてあげようと思っていた。でも、もうそれだけじゃきっと足りない。
どうするのがルナの為になるのかまでは全然分かっていないけれど、それはこれから見つけていこうと思う。今まではずっと、ルナにばかりそういうことまでさせていたけれど、私もルナのことを知らなければいけない。
「罪悪感みたいなのが理由じゃないなら、いいんです」
罪悪感。
ルナが眉を下げて、小さく笑う。ほっとしたような、まだ少し苦しそうな。そんな風に捉えられているとは思わなかった。だから私の提案をルナはあまり受けてくれなかったのだろうか。私はもしかして、言葉が足りないのかもしれない。他人とここまで深く関わったことがないからかもしれないけれど、これも改善していかなければ。
意思の疎通は大事だ。
だから、次は私の気になることを聞いてもいいだろうか。わだかまりなく、自然に一緒に居られるように。今までは留めていた言葉たちも、ルナには話していきたいと思う。
「そういうルナは、最近少し距離が遠いんじゃない?」
「……あー……」
心当たりがあるのか、視線が逸れた。やっぱり意図して避けているのか。許すとはいっても、やはり私のした事の罪は大きいということなのだろう。心にじくじくとした痛みを感じながらも、遠ざけている事実が分かったことを重く受け止め、これからの行動に活かしていくしかないだろう。
「まあ、それはそうよね。 ごめんなさい変なこと言って」
「あ、別に由紀さんに触りたくないとかそういう事じゃないですよ。 あの……」
「……なに?」
「そろそろですかね」
眩しい位の作り笑顔を向けた後、ルナがフライパンへと視線を逃がした。蓋を開けると湯気が立ち上って、肉汁がフライパンの上で沸騰している。何か隠していることがあるのか、それともやはり私に触りたくないということなのか。とはいえ、ルナにとって避けたい話題であることは確かだ。
お皿にハンバーグを盛り付けるのを眺めながら追及するべきか悩んでいると、どこからか振動音が響いているのに気づいた。
「出来ました」
「え、えぇ」
「食べましょう」
ルナがお皿を運ぶと、振動音も遠のく。どうやらまたルナの携帯らしい。そういえば、あれ以降どうなったのかルナからは聞いていない。この電話も、ルナのお母さんからなのだろうか。聞いてもいいのか、椅子に座しながら考える。
いや、こういう時に踏み込まないことが良くなかったのかもしれない。踏み込まなければ、距離は縮められない。私はたった今、ルナの事をもっと知らなくてはと思ったはずだ。
「あの、ルナ」
「なんです?」
「……えっと、電話、ルナのだと思うのだけど」
「あー……なんか今日、すごいんですよね」
どことなく、本題を避けられている気がする。先ほどの話題も逃げられたし、追及するなという空気をルナから感じる。先ほどの決意が萎んでいくのを感じながらも、もう一度だけ突いてみることにする。
「出た方がいいんじゃない?」
「……そうですよねー」
「……」
明らかにルナのテンションが落ち込んでいっている気がする。悪手だろうか。踏み込まないことも時には優しさだし、早くしないとハンバーグも冷めてしまうし、今日はこれくらいにしておこうか。先ほどの決意はもう風前の灯だった。
踏み込むべきか、否か、答えが出ずに言葉が詰まる。
他人を大切にすることが、こんなにも難しいとは。ルナに聞こえない様、小さく息を吐き出す。
「困ってました」
独り言のような小さな声が目の前から零れた。
「解決法が自分じゃ全然浮かんでこなくて……でも電話の頻度も最近凄くて、どうしたらいいか……実は困ってました」
そう言って、ルナが困ったように笑う。そうか、どうしたらいいか分からない時この表情をするのか。だとするならば、あの時のように、手を差し伸べるべきじゃないだろうか。この家に居ていいと言った時と同じように、目を瞑らずに向き合うべきではないだろうか。
「由紀さんに迷惑かけたくないんです。 でもこのままこれが解決できないと、結局由紀さんに迷惑かけるかもしれないし」
「バカね」
「え?」
「迷惑なことなんてない。 貴女がここに居る限り、貴女の力になれるのならしたい、それだけ」
ルナがその理由で立ち止まっているのなら、私は遠慮なく踏み込もう。貴女に差し出した手を後悔なんてしていない。だからきっと、この一歩だって後悔しない。力になれるかなんて分からないけれど、困っているのなら何かしてあげたい。それだけで、きっといい。
「本当、ずるいですね」
そう言って笑うルナの表情に、私の選択は間違ってなかったのだと胸を撫でおろした。
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