猫の異変

第26話:一つ一つ


「いってきます」

「ん、いってらっしゃい」

「ちゃんとご飯食べてくださいね、何食べたか帰ったら聞きます」


 由紀さんにそう念を押せば、由紀さんは苦い顔をしながら頷く。帰ったらじゃなくて、お昼頃に一度ご飯を食べたか連絡をいれよう。そう決めてマンションを後にする。


 ゴールデンウィーク最終日、私は初めて由紀さん以外と一日を過ごすことにした。


 約束の時刻まで余裕があることを再度確認して、駅までの道を歩いていく。


 自分の気持ちを自覚してからも、由紀さんとの生活は変わらない。

 幸い、自分の感情を誤魔化すというのは得意で、昔からそういうことばかりしていたことを今回ばかりはラッキーだったと思う。おかげで由紀さんと二人の生活も円滑に過ごせているから。あの日は何かと私の機嫌を伺っていた由紀さんも、最近ではまただらけてきている気がする。お酒を飲む頻度はまだ意識的に減らしてるみたいだけど、私の機嫌を伺うようなことはもうほとんどない。


 電車に揺られて数十分、電車から吐き出される人流に乗って電車を降りる。東口改札隣のコンビニエンスストアの前が、私たちのいつもの集合場所。

 そこには、既に奈美が立っていた。


「お疲れ」

「やっほー」


 こうしてちゃんと話すのはあの日以来だけど、思えばあの日は本当に気分が最悪でそっけなくしてしまったかもしれない。今更そんなのを気遣う間柄でもないし、奈美もいつもどおりで気にしている様子はないけど、ほんの少しだけ気まずい。


「てかさ、最近全然予定合わないじゃん。 大学には来るけどさっさと帰るし、遊びの誘いは何回も断られるし」

「あー……色々あるんですよ、色々」


 例えば、知らない美人のお姉さんの家に転がり込んでたり。

 例えば、そのお姉さんのことをうっかりと好きになってしまったり。

 

「今更隠し事されるのムカつくんだけど。 桜もなんか元気ないし」

「あはは、ようやくこうして予定合ったんだし許して。 今日は夜までいっぱい時間あるし」


 最近色々とありすぎて、どううまく説明したらいいのか分からない。それに、色々とありすぎたから、一度なんも考えずにぱーっと遊びたい。


「ま、言う気がないならそれでいいけど」

「え、何? 意味深な言い方」


 不敵にほほ笑む奈美を怪しんでいると、後ろから聞き馴染みのある声が私の名前を呼ぶ。思わず振り返れば、向こうも目を丸めてこちらを見ていた。綺麗な黒髪がサイドでお団子に纏められている。どうやら奈美にしてやられたらしい。


 グループじゃなくて個人に連絡がきていたから、てっきり二人で遊ぶと思っていたのに。


「あさひ……」

「あー……あはは」


 誤魔化すのが上手っていうの、撤回しようかな。

 あらかじめ用意した演技は得意でも、咄嗟のアドリブは苦手。そういえば昔からよく親に言われていたっけ。


「大学の様子見てりゃバレバレだけど、いい加減仲直りしてくれない?」


 私と桜を無理やり会わせるための、奈美の作戦ということらしい。まんまと二人して嵌められた。深く息を吐き出すと、同じタイミングで桜もため息を吐いて、顔を見合わせる。

 桜を見ていても、前抱いていた怒りのような感情は湧いてこない。あの時のことを塗りつぶすように、由紀さんの一件があったからなのかもしれない。由紀さんとは違うはっきりとした顔立ちが、私をまっすぐに見ていたかと思えばゆっくりと逸れていく。


「二人がどうしてもって言うなら一時間位私どっかに行ってるし」

「いや別に、喧嘩してたわけじゃ」

「じゃあ今この瞬間から元通りってことでいい?」


 奈美は相変わらずストレートだなぁ。相手がどう思うかとか分からない訳じゃないけど、だからといって選択を変えたりはしない。そういう部分が潔く、分かりやすくて気持ちいい。強引すぎるのは玉に瑕だけど。


「あさひ、時間……くれる?」


 奈美に負けない位勝気なはずの桜が、また私に弱々しい声をだすから、なんだか少し申し訳なくなってくる。申し訳なく思う必要なんてないって分かってるけど、少なくとも酔っ払って人にキスする人より全然マシなんじゃないかとか、思っている自分がいる。


 隣で好きな人が寝ている時の気持ちを知ってしまったせいで、桜のことを最悪だとも、気持ち悪いとも思えなくなってしまった。手を出すのはダメだって思うけど、ひっそりと寝顔を見ている自分も、触れてしまった唇にもう一度触れたいと思う自分も、きっと桜と大きく変わらない。


「うん」

「……ありがと。 ごめん、奈美」

「はいはい、終わったら連絡して」


 結局奈美の思惑通りになったわけだけど、タイミング的にはいいのかもしれない。解決できるかもしれない問題は、解決してスッキリしておきたい。奈美が人ごみの中に消えてしまうと、なんとも言えない時間が流れる。


「公園、行く?」

「うん、いいよ」


 ずっと一緒だったのに、まるで今日初めて会ったみたいに会話が続かない。賑わう通りを抜けて、集団がスケボーを乗りこなしているのを横目に公園に入れば、さっきよりもゆっくりとした時間が流れている。


「なんか飲みます?」


 なんで敬語使ってるんだろ。最近由紀さんとしか話してなかったからかな。


「私奢る」

「え、いやそんなのいいけど」

「ちゃんと、謝りたいの」


 なんだか、最近謝られてばかりかもしれない。なんて、こういう時に由紀さんのことを思い出すのは不誠実かな。何かにつけて由紀さんのことを考えてしまう。そのうち、頭の中が由紀さんでいっぱいになってしまうかもしれない。


 でも、その前にまずはちゃんと、桜と向き合わなきゃだよね。

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