第12話:朝
何かが動く気配に目が覚める。ぼんやりとした視界の解像度が少しずつ上がって、由紀さんの顔がはっきり見えるようになる。スマホを見ると、九時を少し過ぎている。昨日散々歩いて疲れたのか、随分ぐっすり寝たらしい。
スマホを放り投げてもう一度前を見る。寝顔を見ていると普段よりもずっと幼く見える。落ち着いた雰囲気や話し方も彼女の印象をぐっと大人にしているのかもしれない。
コーヒーが好き。後冗談も結構好き。ご飯には頓着しなくて、逆に睡眠は大事にしてる。潔癖じゃない。笑うと少しだけ口角が上がって優しい雰囲気になる。人にはあまり踏み込んでこない。パーソナルスペースは広いけど、そこを踏み越えてきたとしても他人を拒絶はしない。私が何をしたって、何も変わらない。ただそこにいてくれる。
規則正しい呼吸音だけが聞こえる時間は、何故だか退屈には感じない。彼女の手の感触、まつ毛の長さ、鼻筋、鎖骨と首の間の黒子。飽きもせずに観察しては、知っているものを増やしていくのはそれなりに楽しい。
袖を少しだけまくって黒子でもないか探していると、彼女の体がきゅっと縮こまった。同時にぎゅっと手を握られて、ゆっくりと瞼が開いていく。焦げ茶色の瞳は、そのチョコレート色の髪とよく合っている。
「ようやく起きた」
少しだけ残念なような、けれど嬉しいような。飼い主が起きるのを待っているペットはこんな気持ちだったりするのかな。眠たげな眼は私を景色の一つのようにぼんやりと見つめ、何度か瞬きを繰り返す。寝顔を見ていたと言えば、今まで見た中で一番怪訝な顔をされたから、そそくさと部屋を出た。
顔を洗ってリビングに戻っても由紀さんの姿は無くて、寝室を覗くと眠れるお姫様のような格好で天井を眺めているからちょっかいをかけた。昨日よりも少しだけ無遠慮に近づいても、言葉とは裏腹に表情は優しい。大体のことは本当になんでも受け入れてくれるらしい。すぐ近くにある顔を見下ろす。
近くでも見ても、やっぱり奇麗。そういえば、恋人とかいるのかな。部屋の中にそんな雰囲気は感じないけど、この二日だけでも彼女はモテるだろうなって思うから予想は難しい。でも、いるんだったら勝手に来るのとか結構迷惑だったりするかな。とかいうやつを、直接聞いてもいいのかな。
いや、やめとこ。知らないままの方が気楽な気がする。それに、来たい時にここに来れないかもなんて、あんまり知りたくない。仮にそんな場面に出くわしてしまったら、またその時に考えよう。
ぐっと腕を引っ張って無理やり起こせば、意外と素直に起きた。せっかくだし朝ごはんもちゃんと食べてもらいたいけど、冷蔵庫の中は心許なかったし、昨日食パンは全部食べ切ってしまった。ご飯を炊くとなると少し時間がかかってしまう。
「コンビニでも行く?」
さてどうしようか、なんて考えていると由紀さんがそんな提案をしてくれた。
なるほど、そういう手もあるんだ。友人の家に泊まったりはあったけどそういう展開は今までなかったな。というか由紀さん、結構そういう暮らしをしているのかな。本当にある意味予想を裏切らないというか、自然体というか、こっちの肩の力がいつの間にか抜けてしまう。
とりあえずの予定が決まって、昨日よりもゆったりと朝の支度をしていく。いつもの半分くらいの速度で歩いている由紀さんを見ているのは結構楽しい。
着替えも終えて待っていると、シャツにデニムというシンプルスタイルな由紀さんが寝室から戻ってきて、「ルナ」と私を呼ぶ。ソファーから立ち上がって彼女の隣に立つ。唇が緩やかな弧を描いて、優しい目尻で私を見上げるから、私もつられて笑う。
「ルナはキャットフードだっけ」
「うわ、じゃぁ一番高いやつでお願いします」
「缶詰のやつ?」
「多分」
春の陽気みたいに優しい笑い声が聞こえてくると、あったかくなる。一緒の時間を過ごせば過ごすほどに心地いい。最初は気を付けていた会話も今はそんなに気にせず話せているし、多分由紀さんもそうだと思う。というより、そうであったらいいな、と思う。
私といることで、由紀さんも心地よく思ってくれていたらいいな。
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