第7話:懐く(2)
「あ、みちゃだめですよ」
「え?」
包丁のリズムを聞くのも彼女の一生懸命な姿を観察するのも飽きてキッチンにはいると怒られた。
四角に切られた豆腐が今まさに深鍋に投入されている。フライパンで焼かれているハンバーグも問題なさそうだし、何か見られては困るのだろうか。
「……あぁ、これ?」
シンクに置かれた空のパックには、ハンバーグ(形成済)と書かれたラベルが貼られていた。まぁ、ハンバーグなんて焼くだけのやつを買った方が効率がいいと私も思う。
作ると言った手前、やや体裁は悪いかもしれないけれど。
「鶴の恩返しだったら由紀さん今バッドエンドですからね」
「猫でよかった。 でも、味噌汁は手作りなんでしょ?」
「顆粒だしですけどね」
それで十分だと思うけれど、ルナは少しだけ拗ねたように口を尖らせる。あまり見ない方がいいかもしれない。せっかく頑張っていてくれているようだし、好きにさせよう。
手持無沙汰になってしまった。料理の邪魔にならないように、少しだけ準備でもしておこうか。
食器棚からお皿とお椀、箸を取り出す。他にも必要なものをテーブルに並べているとハンバーグが運ばれてきた。まさか誕生日に人の手料理が食べられるとは。ご飯とお味噌汁が運ばれて、テーブルの上に立派な料理が並ぶ。
「お待たせしました」
「おいしそう」
「白状すると、そこまで料理ができる訳じゃないので期待はしないでください」
「それなのに作ってくれたんだ?」
「流石に見ず知らずの人を泊めてくれたことのお礼位しなきゃなって」
逸れた視線は照れ隠しだろうか。
恩返しの方法が手料理、というのは中々に可愛らしい発想だと思う。そんなことを言えば、ルナはまた拗ねてしまうかもしれないから言わないけれど。
手を合わせてから、箸を伸ばす。ハンバーグを一口サイズに切って口に含む。その間ルナはずっと私のことを見ている。
「うん、おいしい」
「ほんと?」
「ほんとう」
ルナがほっとしたように表情を解く。またそうやって、可愛い表情をする。突然やってくるところは改善してほしいけれど、こうやって一緒にいると心が休まる。こんな風に隣にいてくれるなら、また来てくれたらいいのにと思ってしまうくらいには。
猫というのはおそろしい生き物なのかもしれない。
「いつか全部手作りでリベンジします」
「……うん、じゃあ楽しみにしてる」
恩返しとは趣旨が少し逸れてしまっている気がするけれど、それを指摘しようとは思わなかった。
指摘してしまえば、もうリベンジをしてくれないかもしれない。そうしたら彼女の手料理を食べられる機会も減ってしまうかもしれない。
それは、少し残念に思う。
彼女が全部手作りで作ってくれるその日までに、あと何回彼女は料理を振舞ってくれるのだろう、なんて考えてしまうのは虫が良すぎるだろうか。それでも、これから先にも彼女と過ごすことを楽しみにしている自分が確かにいる。
当たり前に彼女がこれからもここに来てくれることを前提に話が進んでいる事実に、頬が緩みそうになる。こんなに緩んでるのを会社の人に見られたら、びっくりされるかもしれない。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
空になったお皿をシンクへと運ぶ。朝に置きっぱなしにしていた食器と一緒に洗っていると、食べ終わった彼女が隣にやってきた。
「やります」
「ご飯作ってくれたでしょ」
「あはは。 でもそれだと私一生恩返し終了しないです」
「じゃぁまた料理でいいんじゃない?」
「うわ、悪い大人だ」
「そういうこと」
大きな目が細まる。近くで見ると、ちょうど瞼のところに黒子がある。
スポンジで磨いた食器を彼女の手が取っていって、隣で洗い流してくれる。二人でやろうということらしい。まぁ、それはそれでいいか。
「私、由紀さんが笑う時少しだけ口角が上がるの好きです」
「え?」
「微笑む、みたいな。 なんか静かで優しい感じがする」
「……」
そんな顔をしていただろうか。思わず頬に触れると、手に付いていた洗剤が頬に付いて、それを見たルナに笑われた。拭うにも手はまだ泡にまみれているし、手を洗うには水を使っているルナに少しどいてもらわなければならない。
「ルナ」
「じっとしててください」
ルナにどいてもらうために呼んだ私の声は、彼女の声でかき消されてしまったらしい。
ルナの手が伸びて、頬に触れる。指がひんやりと冷たい。お湯にすればいいのに。気づかなかったし、気が利かなかったな。指で拭われた後に、手の甲でもう一度拭われる。見上げると、彼女が私をじっと見つめている。
「取れました」
「ありがとう……」
「でもちゃんと洗った方がいいかもしれないですね。 後洗剤洗い流すだけなので、先お風呂はいってきたらどうです?」
「ん、そうする」
手に付いた洗剤を洗い流して、キッチンを後にする。寝室から着替えを取って、浴室へと移動する。
少しだけびっくりした。触れた手というよりは、その時のルナの表情にだ。
手が触れる前までは無邪気に笑っていたのに、触れた時は真剣な顔をしてまっすぐに私を見つめていた。すぐに、また柔らかくなったけれど。
あれは、どういう意味だったのだろう。
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