第5話:私は撫でてしまったの
どこかで音が小さく鳴っている気がする。だんだんとその規則正しい音が大きくなって、それがアラームなのだと浮上した意識が認識する。
「ん……」
重たい瞼をわずかに開けながら、頭上で鳴るスマホを手に取る。停止ボタンを押して、思い切り寝返りを打つと何かにぶつかった。
「っ」
思わず叫びそうになった口をなんとか抑える。今までの人生の中で一番早く動けた気がする。
そうだった。昨日、彼女がここに泊まったんだった。
大きな瞳が大切に瞼に隠されていて、からかうように弧を描いていた唇が緩く閉じている。すっぴんでもくすみもない肌。すぐ近くにある綺麗な顔を眺めていると、美術品を眺めているような心地になる。
そっと手を伸ばしてみる。腫れは昨日よりも引いて、赤みもずいぶんと消えている。頬は柔らかですこしひんやりとしている。どうして、こんなにきれいな彼女を名前もしらない誰かは殴ったのだろう。
「ん……?」
ゆっくりと瞼が開く。手を引いて、綺麗な瞳が出てくるのをじっと待つ。彼女の目がじっと私を見つめて、そして、ゆっくりと細まっていく。
「由紀さんだ……おはようございます」
「お、おはよう」
からかいでもない、純粋な柔らかな笑み。
そんな風にも笑えるのか、なんて少しだけ失礼なことを思う。
彼女の手が緩慢に私の手を握る。私の手が彼女の口元へと引き寄せられて、彼女の唇が中指の付け根に触れる。
「ちょっと……寝ぼけてる?」
「依田由紀さんのお家に一泊泊めてもらっています」
寝ぼけていない、と言いたいのだろうか。彼女の手から逃げると、彼女が少しだけ不満げに私を睨む。それも少しの間で、彼女は大きなあくびをして起き上がった。
「……」
やっぱり、つかめそうでつかめない。彼女がどんな人なのか、まだはっきりとしない。
それなのに、大きく背伸びした後にもう一度おはようと笑うルナのことを、やっぱり心地がいいと思ってしまう。
朝起きた時隣にいる相手にこんなにも穏やかになれるのは初めてだ。
起き上がって、朝の支度をしていく。渡した食パンで適当に朝食を作ったらしいルナは、食パンを齧りながら私をじっと観察している。気持ち程度に置かれた私分の食パンとコーヒーをもらう。
「意外と時間ないんですね」
「ぎりぎりまで寝ていたい派なの」
「由紀さんギャップでことごとく私を打ち抜いていきますね」
「どうも」
「あはは」
「もうそろそろ出るから、ルナも支度して」
「私は着替えればいけます」
最後の一口を放り込んでルナがそう言う。私が残りの食パンを齧っている間に、目の前で彼女が着替えていく。細い腰のライン、肩、まっしろな肌。コーヒーを流し込んで、食器を流しへと運ぶ。
洗うのは帰ってからにしよう。とりあえず水につけておく。
「ルナ」
「はいはい」
鞄を持って、一緒に家を出る。鍵を閉めて、一緒に歩いたエレベーターまでの道をまた一緒に歩いていく。春の陽気が気持ちいい。
「……本当に、また来てもいいですか」
隣を見れば、ルナが私をじっと見つめている。
私はきっと、一生この瞳には勝てない。
「いいんじゃない?」
本当は、私もまた来てくれたらいいと、そう思ってしまっているから。
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