■2 遅々たる歩みのロードムービー

 足音。

 以前とは違って、いまの足音は遅い。

 そして一歩一歩が、重い。


 そんな足音が、長く続く。


「あの、リスナーさん。もう大丈夫みたいですし、そろそろ下ろしてもろて」


 右耳に聞こえる、少女のささやき。


「足もひねっただけですから、ゆっくりなら歩けますし。ずっとおんぶだと、リスナーさんたいへんじゃないですか」


 足音は続く。


「わたし、重いでしょう……」


 軽く衣服がこすれる音。


「でもわたしが背負ってるリスナーさんのリュック、すごく重いですよ。それごとわたしを背負ってるんだから、重くないわけないと思いますけど」


 再び、衣服がこすれる音。


「じゃあリスナーさん、筋力あるんですね。筋トレとか……してそうには見えないのに。もしかして……すっごく無理してます?」


 足音のペースは、さっきよりもさらに遅くなる。


「リスナーさん、リアルでも口数少ないんですね。さっきからうなずくか、首を振るだけじゃないですか。そういえば、ファーストコンタクトもそうですよ。シェルターの扉がこじ開けられて、入ってきたのがバールのようなものを担いだ人で。わたしは悲鳴を上げて逃げるしかできなくて。だってわたし、リスナーさんを見るの初めてなんですよ。なのにリスナーさん、自分が何者なのか説明してくれずに『逃げるぞ』だけで。わたしからしたら、あの人たちが入ってきたと思うじゃないですか」


 少女の声が、少し遠くなる。


「面目ないって顔ですね。まあそんなにうなだれないでください。結果的に、あの人たちが入ってくる前に間一髪で逃げられましたし。わたしが『もしかして、リスナーさんですか?』って聞いたおかげで」


 うんうんと、うなずく少女の声。


「とはいえ、わたしも面目ないです。運動不足すぎて、逃げる途中に足をひねってしまって」


 問題ないというように、足音のペースが速くなる。


「それに、荷物もまったく持ってこれなかったし」


 問題ないというように、足音が続く。


「バイノーラルマイクもないから、もうASMR配信もできませんし」


 止まる足音。


 耳元で、ごそごそと少女が動く音。


「うわ……人間が絶望したときって、横から見るとこんな顔なんですね」


 少女がくすくす笑う声。


「でもこれだって、リアルASMRじゃないですか。はい、左耳」


 少女が左耳に語りかけてくる。


 足音が再び始まる。


「あ、動いた。やる気が出たってことですか? 実際目の当たりにすると、なんか複雑な気分ですね」


 変態、と耳元でつぶやくようなささやき。


 その後に、くすくすと笑いが続く。


 足音は勇ましい。



「リスナーさん、そろそろ疲れたんじゃないですか」


 足音は止まらない。


「絶対疲れてると思うんですけど。もしかして、あの人たちが追ってくるかもって思ってますか?」


 間。


「わたしはたぶん、大丈夫だと思いますよ。だって食料とかいっぱい残してきましたし。わたし個人だけを追っかけてくるなんて、メリットないですしね」


 足音が、少し早まる。


「ちょっ、ちょっと、リスナーさん。もっとゆっくり歩いてくださいよ。ただでさえ、こっちは恥ずかしいんですから……当たってて……」


 少女の声が、か細くなっていく。


「いまの、聞こえてました?」


 衣服がこすれる音。


「ほんとかなあ……なんか……余計に恥ずかしくなってきた……」


 耳にかかる吐息が、少し荒くなる。

 心なし聞こえる、心臓の鼓動。


「り、リスナーさん、おしゃべりしましょう。なにか言ってください」


 ごまかすような、少女の声。


「え? 『これはバールのようなものじゃなくてバールそのもの』? それ、いま言わなきゃいけないことなんですか? ……もしかして、照れ隠しですか? じゃあリスナーさんも気づいてるんだ。ふーん……」


 耳元に、吐息だけが聞こえる。


「いまわたし、すごくどきどきしてます」


 ささやく声は、少し小さくなっている。


「リスナーさん、本当に会いにきてくれましたね……いまになって、実感がわいてきました……」


 右耳から、ぼそりと聞こえるささやき。


「リスナーさんは、なんでわたしを助けにきてくれたんですか? 神戸からここまでなんて、すごい距離を。わたしのファンだから……そう考えてもいいんですか?」


 衣擦れの音。


「うなずいたってことは、それってつまり、わたしのことを好き……なんですか?」


 しばらくの間、足音だけが続く。

 やがてゆっくりと、衣擦れの音。


「……本当かなあ。顔も見えない、声を聞くだけで、人を好きになることなんてあるんですか」


 衣擦れの音。


「そっか。まあわたしも、人のこと言えませんしね」


 声すら聴いていないのにと、聞き取れないくらいのささやき声。


「じゃあやっぱり、わたしはリスナーさんにお礼をすべきですよね」


 うんと、うなずく少女の声。


「リスナーさん。なにかわたしに、してほしいことないですか。わたしにできることなら、なんでもしますよ。な・ん・で・も・オーケーですよ」


 耳にかかる、甘い吐息。


「反応なし。本当に、欲のない人ですねえ。そういえばリスナーさん、配信のときもえっちなやつは要求してきませんでしたよね。『無料で耳舐めはしなくていい』って。変態だけど、紳士的だと思います」


 足音だけが聞こえる。


「もしかしてリスナーさん、会ってみたらわたしがかわいくなくてがっかりしたとか……」


 激しい衣擦れの音。


「ちょっ、わかりましたから! そんなに首を左右に振らないで!」


 はあはあと、耳にかかる乱れた呼吸音。


「わかりましたよ。リスナーさんはわたしのことが好き。でも無口で奥手。じゃあわたしが、がんばるしかないですね」


 止まる足音。


「なんですか、急に止まって。もしかして、なにか期待して――もごっ」


 少女の声が、口を塞がれたかのように。


「なんで急に口を押さえるんですかっ……あっ……」


 少女が声をひそめる。


「車の音……あの人たち、まさか、わたしを追ってきて……あっ、見えてきた。トラックの荷台に、1、2、3、4人。ゆっくり走りながら、なにか探してる……」


 どさりと、地面になにかを置く音。

 とんとんと、地面を靴でたたくような音。


「大丈夫。歩けそうです。どうしますか、リスナーさん。えっ、リュックですか?」


 どさりと、地面になにかを置く音。


「……わたしからリュックを回収したってことは……そっか。そうですね。あの人たちは、リスナーさんを探しているわけじゃないですもんね」


 ごそごそと、リュックをまさぐる音。


「わかりました。わたしが出ていきます。その間にリスナーさん、ちゃんと逃げてくださいね。それじゃ……」


 ぱしっとなにかをつかむ音。


「なんですか。いまさら引き留めないでください。え? ドローンなんか出して、まさかそれで戦う気ですか?」


 蚊が飛ぶような音。


「ドローンをゆっくり飛ばして……それじゃああの人たちに気づかれ……あっ! 荷台の人が指をさしてる! どうするんですか、リスナーさん。早くもドローン見つかって……えっ」


 はしっとなにかをつかむ音。


「はい? ええ。もう普通に歩けると思いますけど……なにしてるんですか、リスナーさん。ドローンのコントローラーを地面に置いて……オートパイロットになってますけど。まさかそれって……あの人たちを誘導するつもりですか? あっ、トラックがドローンが飛んだほうにUターンしました」


 急ぎ足の足音。


「ちょっと、ちょっと。リスナーさん、そんなに引っ張らないで……えっ、リスナーさん、なんで泣いてるんですか……」

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