終わった世界でASMR配信をする彼女に会いにいく

福沢雪

■1 ポストアポカリプスでボーイミーツガール

 アスファルトを歩く足音。

 地面には細かい砂利が落ちているとわかるような、じゃりじゃりという足音。


 ときおり、背後でなにかがきしむ音。

 肩のストラップがずれてきたリュックを、背負い直すような音。


 唐突に、足音が止まる。


 聞こえるのは、風の音。

 アスファルトに砂利が落ちてきたような、ぱらぱらした音。


 やにわに、走り出す足音。


 やがて遠くで、巨大な建物が倒壊したような音。


 静寂。

 風の音が聞こえてくると、再び歩きだす音。


 孤独を感じさせる、静かだけれど存在感のある足音。


 ふいに足音が止まった。

 頭の上のほうから、鳥の声が聞こえてくる。


 耳にごそごそと、なにかを押しこむ音。


 軽いノイズ。

 とんと、なにかを指でたたく軽い音。


「あー、こんにちは。聞こえてますか? お昼になりましたよー」


 右耳にささやきかけてくる、少女と思しき声。


「あ、視聴者数1になった。よかった。リスナーさん、海賊回線拾えたみたいですね。コメント送信できる端末は見つかりましたか?」


 今度は左耳にささやきかけてくる、少女の声。


 再びアスファルトを歩きだす音。


「反応なし……か。まあいまもきちんと使える携帯端末は、そうそうゲットできないですよね。逃走中に落っことしちゃって、画面の半分が反応しなくなっちゃったのは残念です。というか逃走の状況から、わたしがそう察してるだけですけど」


 とんとんと、なにかを指でたたく音。

 反応がないのか、なんども触っている音。


「でもまあ、リスナーさんは無事だったし、わたしの配信のリンクを踏むくらいはできるみたいですしね。とりあえず先週に引き続き、今日もわたしが一方的にしゃべりますよー。よいしょ」


 少しノイズが走る。


「ごめんなさい。ミュートし忘れました。いまバイノーラルマイクを、マットレスに置いたところです。ささやき声でしゃべるときは、わたしも寝っ転がりながらのほうが楽なので……ん」


 タオルケットかなにかと思われる、衣擦れの音。


「このバイノーラルマイクって、ほとんどマネキンの頭なんですよ。だからこうやってしゃべってると、リスナーさんと添い寝してるみたいな感じです。よかったですね、ヘンタ……特殊な趣味のリスナーさん」


 足音が止まる。


 しばらくして、再び歩きだす音。


「そういえばリスナーさん、先週の時点でだいぶこっちに近づいてましたよね。いま頃どの辺りなのかな。もしかしたら……あさってくらいには会えたりしますか?」


 ふうと、少女のため息。


「さすがにないですよね。というか、急いだりしないでくださいね。この辺り、【ニビト】の数が増えてますから。特に多いのが【ただれる君】……あっ、リスナーさんが住んでるエリアでは、【焼かれた男】って書いて、バーナードってルビ振るんでしたっけ。中二病って感じですね」


 くすくすと、聞こえる少女の笑い声。


「うそうそ。冗談です。でもあのドロドロが歩き回ると、そこら中に腐った肉が落ちるので臭いがきついんですよね。おかげで【野ザメ】も集まってくるし――あ、集まってくると言えば、ごく最近、人間がきた形跡もあったんです」


 足音が止まる。


「わたしのお気に入りの、駅ビルの書店なんですけどね。本棚がぜんぶ、ドミノみたいに倒されてました。食料がぜんぜんないから、いらいらして八つ当たりしたんですかね。【ニビト】よりも人間のほうが怖いって、リスナーさんが以前にコメントしてましたね」


 間。


「あ、ごめんなさい。わたしはぜんぜん平気ですよ。普段はこのシェルターから出ること、ほとんどないですから。ここにはまだまだ、食料もいっぱいありますしね。いまのところわたしひとりですし、一年くらいはもつと思います。安心しました?」


 再び歩きだす音。


「だから、リスナーさん。無理にわたしを捜そうとしないでくださいね。危ないと感じたら、戻ってくださいね。たしかに配信で助けは求めましたけど、それは、その……病気とかじゃなくって、さびしかっただけですから……」


 消え入りそうな少女の声。


「なんか、恥ずかしくなってきた……話題を変えましょう。そういえば、さっき書店の話をしましたよね。めったに外に出ないわたしですけど、ひとりぼっちのシェルターは退屈で死にそうなんです。だからときどき、娯楽を求めて外に出るんですよ。ちょっと、お水飲みますね」


 ぐびぐびと、喉を鳴らす音。


「あー、おいしい。貴重なお水、開けちゃったんです。もうすぐリスナーさんに会えるから前祝い、みたいな感じで。今日はなんていうか、わたしとリスナーさんのことを振り返りたい気分なんですよね。えっと、どこまで話しましたっけ?」


 再び水を飲む音。


「そうそう。外に出るって話ですね。もちろん、十分に警戒していますよ。もともとわたし、気配を消すのがうまいんです。なにしろ【冬】がくる前だって、友だちの子から『胸以外の存在感がない』って言われて……いっ、いまのなし! 忘れて! 忘れてください!」


 少女の声は大きく、エコーがかかっているかのよう。


 同時に聞こえた、衣擦れの音。

 そしてなにかやわらかいものをたたくような、ばんばんという音。


「すいません。大きな声を出して。シェルターに反響する自分の声で冷静になりました。壁はコンクリートだし、いるのはわたしだけだしで、ここってすごく音が響くんですよ……って、そんな話じゃなくて! あの、お願いですから、想像しないでくださいね。別にそんなに大きくありませんから。わたしと会ったときに胸ばかり見ていたら、軽蔑しますよリスナーさん」


 こほんと、うるさくない程度の咳払い。


「まあそんなわけで。あの日のわたしは、百貨店跡地をうろうろしてました。わたしは本が好きなんですけど、物理書籍はあんまり残っていません。これは【冬】の生存者たちが持ち去ったわけじゃなくて、もとから書店には本がなかったみたいです。昔の人は、あまりテキストを読まなかったみたいですね」


 うんうんと、間をつなぐような少女のうなずき。


「だから、書店に置いてあるのは雑貨ばかりです。キャンプ用品だったり、文房具だったり。それで書架の引き出しを開けてみたら、これが見つかったんですよ」


 とんとんと、マイクを軽くたたく音。


「最初はマネキンの頭だと思ったんですけど、一緒に見つかった『Vチューバー特集』のムック本を読んだら、これがマイクだとわかって。それから本を読んで、見よう見まねでASMR配信を始めました。ただのごっこ遊びのつもりでしたよ。なのに視聴者がいきなり『1』になって、わたし、死ぬほどびっくりしたんですから」


 ふふっと、笑う少女の声。


「あのときから、リスナーさんとコメントでいっぱいおしゃべりしましたね。リスナーさんのコミュニティは、神戸にある地下鉄のホームだとか。なんとかってライトがあるから、危険な地上に出なくても野菜を栽培できるとか……」


 回想をうながすような間。


「リスナーさん、いま『うんうん』ってうなずきました? そんな話、わたしが聞いたのは最近ですからね。リスナーさんはそういう大事な情報より先に、『お疲れさまはいらない。ASMRは疲れてなくても聞いていい』とか、『ASMRは耳ではなく脳で聞くもの』とか、わたしの配信にダメ出ししてきましたから」


 止まる足音。


「わたし、落ちこみましたよ。久しぶりにコミュニケーションを取ってくれた人が、どうしようもないヘンタ……特殊な趣味の人だったので」


 しばしの間。

 くすくすと、少女の笑い声。


「まあそれでも、コメントを通じてリスナーさんとおしゃべりするのは楽しかったですけどね。たとえ『草』の一文字でも、誰かとつながっているって感覚って、すごく安心できました」


 再び歩きだす音。


「でもわたしって、基本ネガティブじゃないですか。それでひとりぼっちがつらいとか、ほかのコミュニティを捜すのはしんどいし怖い、って愚痴を言ったら、ノリだと思いますけど、リスナーさんは『ヘラるな』って厳しくて。それでわたし、泣いちゃったんですよね」


 思いだしたのか、少し鼻声の少女。


「そしたらリスナーさん、急におろおろとコメントしてきたんですよね。『泣かないで』って。わたし怒って言いました。『泣かしたのはリスナーさんなんだから、責任取ってなぐさめてください』って。そしたら『いまからいく』ですもん。わたしはますます頭にきて、その場で配信を切りました」


 反省を促すような間。

 そして、少女が忍び笑う声。


「あのときのわたしは、『リスナーの立場だからって適当なこと言いやがって』って怒ってたんです。でもわたしには、そんなリスナーさんでも大事なつながりなんですよ。だから次の日も、お昼に配信しました。そしたらリスナーさん、『こんにちは』の挨拶もなしに、第一声が『いま奈良』ですもん。わたし驚きましたよ。『めちゃめちゃ北上してる!』って。あのときはまだ、相棒の自転車が動いてたんですよね」


 足音が止まる。

 ごいそごそと、ファスナーを開ける音。


「だからわたし、謝りました。そして言いました。『危ないからこないで』って。そしたらリスナーさん、『危険なのは主だ』なんて言って。思わずきゅんとしかけましたが、その後の『おれが配信主をなぐさめてやる。いっぱい頭をなでてやる』ってコメントを見て、シンプルに『キモ』って思いました」


 唐突に聞こえる、蚊が羽ばたくような音。


「でもキモくても、わたしの大事なリスナーさんですからね。だからわたし、がんばってリスナーさんの要望にこたえたでしょう。耳かきしてあげたり、シャンプーしてあげたり。わたしのために危険な外を歩いているリスナーさんを、少しでも癒やしてあげたかったんですよ」


 間。


「そういうことをしてる間、わたしはずっと想像してました。リスナーさんは今日もやっぱり、外音取り込み機能のついたイヤホンをして廃墟になった街を歩いているのかな、とか。青空の下で緑が生い茂ったビルを見上げながら、わたしの配信を聞いているのかな、とか。それともバールのようなものを手に持って、周囲を警戒しつつも配信は聞き逃さないのかな、とか」


 再び、蚊のような羽音。

 ごそごそと、リュックをまさぐるような音。


「でもリスナーさん、コメントに書いてましたよね。『俺はASMRを聴きながらじゃないと眠れない体だから』って。【冬】の前はそういう配信もたくさん聴けたでしょうけど、いまじゃわたしだけです。だからリスナーさんは、荒れ果てた家具売り場のベッドとか、寝袋の中で太陽を見ながら、わたしの配信を聴いてるのかな、とか」


 再び歩きだす音。


「でも今日は、歩きながら聴いてくれているような気がします。ときどき安全な場所で立ち止まって、ドローンを飛ばして進行方向の危険を確認したりして。それならわたし、ちょっと外に出てみようかな。屋上まで上って、ドローンの見えるほうにに手を振ったらリスナーさんからもわたしが見えるかも」


 焦ったように、少し早まる足音。


「もちろん冗談ですよ。さっき言ったみたいに、この辺りに流れてきた人がいるみたいですからね。こんな時代ですから、人間も完全には信用できませんし」


 安堵したように、元のペースに戻る足音。


「いまリスナーさん、『なんで自分のことは信用できるのか』って思ったんじゃないですか? それはねえ……顔を見ているからですよ。わたし、このダミーヘッドのマイクをリスナーさんだと思いながら、こうして、ささやいてますから」


 右、左と、交互に聞こえるささやき。


「……いま、顔を動かしてるとき、マイクの口の部分にちょっとわたしの唇が触れちゃいました。すっごいどきっとしちゃった。というか、まだどきどきしてる。これ心臓の音、聞こえるんじゃないかな……」


 ごそごそという衣擦れに続き、リズミカルに聞こえてくる心音。


「前からリクエストされてましたもんね、心音。どうでした? 聞こえました?」


 間。


「でも実際に会ったら、きっともっと、どきどきしちゃうと思います。最後にコメントもらったときが伊勢だったから、もうすぐですよね。あれ、なんかまたどきどきしてきちゃっ――」


 ふいに少女が息を呑む。


「視聴者数が『3』になってる! うそ! 生存者ですか? コメントください!」


 立ち止まる足音。


「『どこにいるの』? 東京です。八王子市のシェルターからです。わたしひとりぼっちだから、さみしくて配信してます。リスナーさん……じゃ、誰かわからないですよね。えっと、新しいリスナーさんの『test099』さんは、どこで聴いてますか」


 間。


「『シェルターどこ』って、ええと、市役所です。入り口にバリケードがありますけど……っていうか、あの、そちらはどこから――」


 遠くに反響している、がーんという金属をたたくような音。


「えっ、なんの音? うそ。まさか、もうきてるんですか? 『test099』さん、もう市役所にいるんですか?」


 走り出す足音。


「えっ、うそ、どうしよう……怖い、わたし、えっ……」


 さっきよりも大きな音で、耳に金属をたたくような音が響く。


「いやっ、こないで! リスナーさん、助けて!」


 重い扉が開く、きしんだ音。


 反響する、少女の悲鳴。

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