第57話

 文化祭ライブ終了後。聡太達は会場の体育館を後にした。


 生徒や教職員達が戻り、ほどなくしてから過去にお世話になった先生方に挨拶をしに職員室を訪れた。聡太の担任を務めた横川や何度か授業を受けた田村は彼らの訪問を喜んだ。しばしの間、過去の昔話や現状を語り合った。


 教職員、校長、そしてオファーをしてくれた生徒会長の由衣に別れを告げ、聡太は母校を去った。


 翔と大成はホテルで泊まり、聡太と海斗は実家に戻ることとなった。事前に母親には連絡を入れているから、いつ帰っても大丈夫だった。


「ただいま」


 聡太が帰ると、足音を立てて真っ先に玄関にやって来たのは葉瑠だった。「おかえり」と元気よく聡太を迎えた。


「ただいま。葉瑠、今日はバイトはないのか?」


「うん、今日は休み。というよりお兄ちゃん帰ってくるから休みにした」


「そう。大丈夫なのか? そんな理由で」


「病院に行かなきゃいけないって言ったよ」


 葉瑠はなんとも悪びれてない様子だった。


「そう…」聡太はこれ以上は突っ込まないようにした。


「それよりさ、どうだった? 久しぶりの母校! もうそこら中で話題になってるよ」


「そうなの?」


 聡太は知らなかった。


「うん。ネットニュースやTwitterでトレンドになってるくらい」


「え、そうなの?」


「うん。ここじゃあれだし、あとでいっぱい聞かせて」


 そうして聡太はリビングに入り、母と久々の再会をした後、先の文化祭ライブについて語った。



◆◆◆



『城蘭行ってライブしたって聞いてビックリしたよ!! 私もライブ見たかったなあ』


 一件のメッセージが届いていた。聡太は口元に笑みを覗かせた。


 美優には地元に帰ることは伝えてはいたが、母校に行くことは伝えていなかった。というより、今回はサプライズだったため、ごく一部の関係者のみにしかライブを行うことを知らせていたのだ。だから彼女は知らなくて当然なのだ。


『田村先生とかともお話しできて、久々の母校はすごく楽しかったよ』


 そう返信をすると、すぐに既読がついた。


『いいなあ! 羨ましい!』


 そんな文と一緒に可愛いスタンプも送られて来た。聡太はそれを見てくすりと笑った。


 すると、連続で彼女からメッセージが来た。


『今回って、いつまでお休み? もし良かったら明日でもご飯とかどうかな?』


 今回の帰省休暇は明後日までの予定だ。明日は特に何も予定はない。


 それに聡太自身も、美優とは会いたかった。


『うん、いいよ。明日は特に何もないから。けど、明日平日だけど仕事は大丈夫?』


 すぐに返信が来た。


『本当!? やった! 仕事なら大丈夫! 速攻で片付けるから!』


『そう? ならお店はこっちで手配しとくね』


『ありがとう! 明日が楽しみ!』


 文面から明日が待ちきれない様子が伝わって来る。彼女の笑った顔が聡太の脳裏に浮かんだ。


 聡太は柔らかく微笑んだ。自分も明日がとても楽しみな日となったから。



◆◆◆


(よしっ、これで終わり!)


 美優は今日中の仕事をキリよく切り上げて、帰り支度をした。


「あれ、美優ちゃん。今日早いね」


 声をかけてきたのは先輩の塚原美来だ。美優と彼女は仲の良い先輩後輩の関係であった。


「はい。ちょっとこれから予定が」


「ふーん」美来は何かを察したようにニヤけた。「もしかして、男?」


「まあ、はい…」美優は少し周りを気にした素振りを見て、「何で、わかるんですか?」


「わかるよー。だって美優ちゃん、いつも定時に帰ることなんてあんまりないじゃん」


「それだけ?」


「ま、あとは何となくかな。美優ちゃん何か今日一日中そわそわしてたから」


「えっ、そんな風に見えてたんですか!?」


「いやいや。周りからはそんなのわかんないよ。でも私はいつも見てるからね」


「はあ…」


 美優は一応納得した声を出した。


「で? 相手はどんな人?」美来はうずうずした様子で訊いてきた。


「それは…、また今度でいいですか?」


 さすがに聡太の名を出したら驚かれるのは明白だ。


「えー」美来は不満そうだ。


「絶対教えますから。今、ここではちょっと」


「わかった。じゃあ絶対よ」


「はい」


 そうして美優は会社を出た。ちなみに後日、食事の相手が聡太だと教えた時の美来の驚きっぷりは、当然の反応だった。


◆◆◆


 美優は事前に指定されたお店の前に到着すると、メールで聡太に確認した。


『もう、中にいる?』


 すぐに返信は来た。


『申し訳ない。少しだけ遅れます。神谷って伝えたら案内されるはずだから、先に入ってて』


 美優は言われた通り先に店の中に入ることにした。店員に、神谷で予約してます、と伝えると個室に案内された。


(何か、すごく良いお店じゃない?)


 店に来た時から思っていたが美優が想像していたお店より数段と良さげだ。お金は一応入ってはいるが、大丈夫かと不安になってくる。


 それに何より、聡太を待つこの時間が一番緊張していた。あれだけ仕事の時は楽しみだったのに、今は楽しみが緊張でかき消されていく。そわそわと引き戸を何度も見て、彼が来るのを待った。


 美優が来てから数分後。部屋の外から声が聞こえて来た。来たかも、と美優は身なりを素早く確認した。


 ノックがされた。美優は「はい」と応答すると、がらがらと引き戸が開かれた。戸の向こうには、彼女が待ち望んだ人物が立っていた。


「久しぶり。新谷さん」


 聡太は開口一番、そう言った。美優はそんな彼の柔らかな笑みに見惚れていた。


「ごめんね、遅れちゃって。結構待った?」


「ううん、全然大丈夫! 私もさっき来たばかりだから」


 美優ははっとして首を振った。緊張の次は興奮で胸の鼓動が加速していった。


 聡太は手に持っていた伊達の眼鏡を一度机に置き、ケースに入れた後で鞄の中にしまった。


 聡太が座り、二人はようやく向かい合う形となった。


 個室に聡太と美優の二人だけ。二人だけで過ごす時間は正月の一件以来だった。


 美優は改めて聡太の顔を見た。長いまつ毛、綺麗な肌、端正な顔立ちはいつ見ても素敵だった。そんな彼を前にすると、緊張する癖は学生時代から依然として治らないのは無理もない。


「今日仕事だったんだよね。お疲れ様」


「ありがとう。神谷君は一日何してたの?」


「せっかくの休みだから、実家でのんびりとしてたかな」


「あ、そういえば城蘭でライブしたんだよね。その時のこと詳しく聞かせて」


 緊張がほぐれてきた。楽しい。もっと彼と話したい。美優の心は踊り始めた。


「いいよ。その話をする前にまずは注文しようか。新谷さん、お酒は飲む?」


「んー、じゃあ最初だけ。飲もうかな」


「わかった。俺も強くないから、少しだけ」


 端末に入力して注文する。そうして二人だけの一時が始まった。


◆◆◆


 

 正月の一件以降、聡太とは連絡を定期的に連絡を取り合ってお互いの事情は確認していた。


 美優にとって今日この時間は夢のようだった。ずっと恋焦がれた人と二人きりで何時間も会話をする。妄想でしかしたことがなかったのに、現実でこんな日が来るなんて思わなかった。


 明らかに彼との関係が変わっている。美優はそう自覚していた。彼を追い続け、彼と向き合い、彼から逃げなかったからこそ、美優は今、聡太とこの関係を築くことができた。


 以前までは翳りが強かった聡太も、今はそれが薄くなっている。前より明るくなって、笑顔が増えたような気がした。そんな彼の顔が見れて、美優は堪らなく嬉しい気持ちになる。


 でも、そんな幸せな関係から一転して、この先どうなるんだろう。そう美優は考えたことがある。美優の目標は聡太と恋人関係に至ることだ。けど、今交際を強く申し込んだら、せっかく築いた関係が崩れてしまうんではないかと懸念している。それに自分のことを好きなのかどうか確証はない。だからもう少し時間を置いた時でいいんじゃないかと思っている。


 だが、聡太は全国にファンを持った大人気アーティストである。仕事は多忙で、彼と会える日なんて一年に年末年始かライブでの帰省の数回しかない。

 

 美優も自身の年齢に思うことはあった。もう数年後には三十になるし、今後の人生を考えると彼との関係はさらに変えないといけない。けど、もしも彼と離れる運命になったら辛い。


 一体どうしたらいいか…。楽しい一時の裏で、美優はそんな思いを胸に抱えていた。


 食事はあっという間に時間が経った。母校でのライブの話、ツアーで行った各地の話。お互いの近況と愚痴話。濃密な時間はすぐに過ぎていった。


 どことなくもうすぐ終わりが見えて来た予感がした。まだ話したい。まだ帰りたくない。ずっとこのまま話していたい。美優は少し酔った意識で彼の顔を見つめた。でも口にはできない。彼にも予定はあるから。


 もっと近くにいれたら…。美優はあと少しの距離を縮めることができない。悔しさで涙が込み上げてきそうだった。


 美優の視線に気づいた聡太が、見つめ返して来た。どうかした? そんな意図が瞳から発せられているように感じた。


 けど、次の瞬間、

 

「好き、です…」


 不意に彼が言った。


「えっ…?」


 美優は自分が今、何を聞いたのか耳を疑った。


 

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