第56話

 こんなに近くに自分の大好きな人がいる。芽衣は興奮する心を抑えるのに必死だった。


 照明に照らされた四人。そしてサポートメンバーはライブでいつも見た形と一緒だった。こんな形でまたライブが味わえるなんて思ってもいなかった。


 四人がステージに現れると会場からとんでもない歓声が上がった。


 嘘でしょ? 本物? やばいやばい!ーーそんな生徒達の声が周りから聞こえた。


 スピーカーを通して聴こえてくる聡太の声に、誰もが圧倒された。気づけば歓声は落ち着き、じっと聡太に視線を送っている。


 アウトロのピアノの音色が鳴り止むと、割れんばかりの拍手が会場に響き渡った。


 拍手が鳴り止むと、二曲目に入った。これまた特徴的なイントロで、すぐに何の曲か芽衣にはわかった。明るいポップな曲で、某ドラマの主題歌にも起用され、彼らを代表する曲の一つだった。イントロが響くと、また会場からは歓声が上がった。


 そうして二曲目、三曲目が続けて終わると、「城蘭高校の皆さん」と声が響き、ステージに照明が照らされた。その声は聡太だった。


 簡単な自己紹介が行われると、少しの間MCが始まった。芽衣の視線は聡太にだけ注がれていた。


「一曲目に皆さんが盛り上がってくれてほっとしました。こういう形でサプライズするのは初めてなので、幕が上がるまですごく緊張しました」


 柔らかい笑みを浮かべて語る聡太の顔は、芽衣の肉眼でもはっきりと確認できた。


(かっこいい…!)


 芽衣の顔は完全に恋する乙女になっていた。


「今回ですね、こうして出演になった経緯を話しますと、生徒会長の白石由衣さんから、出演していだけないか、とオファーをもらいましてーー」


 その発言に「ええー!?」と生徒達がどよめいた。すぐに誰もが由衣を探し出した。由衣はステージから三列目ほどの席に座っており、皆からの注目に恥ずかしそうにしていた。凛々しい彼女がそんな顔するのが意外だった。


「私たちは現在ツアー中なのですが、こんな機会滅多にないことなので、是非やらせてください、と出演することを決めました」


 すごい、と会場から拍手が鳴った。誰もが来てくれてありがとう、という意味を込められているだろう。


 聡太はステージの上から辺りを見渡した。


「懐かしいですね。約十年前に文化祭のこのステージに立って演奏しましたが、まさかこうしてまたここに立って帰ってこれるとは思っていませんでした」


 生徒のほとんどは聡太と海斗が城蘭高校の出身ということを認知している。城蘭の卒業生で間違いなく二人はスターだ。


「先生方は僕のいた時よりやっぱり変わっていますねーーあっ、でも何人か知っている先生もいらっしゃいますね。知っている方だと、横川先生、お久しぶりです」


 そう聡太に指名された横川教師に生徒達の視線が刺さった。横川は五十代の女性教師だ。眼鏡をかけたふくよかな体型をしている。彼女は突然教え子に呼ばれて驚いていたが、周りの目も気にせずにステージに大きく手を振った。彼女の顔から嬉しさが滲み出ていた。彼女が過去に聡太の担任をしていたという話を芽衣は聞いたことがあった。


「それと…、田村先生もお久しぶりです」


 聡太が田村に会釈した。田村は口元に笑みを浮かべて、おじきで返した。彼も卒業生に覚えてもらっていたことが嬉しそうだった。


「また後で、時間があったらお話ししましょう」聡太は区切った後で、こう続けた。


「実は今回ですね、ただ文化祭でライブをしに来たわけではないんですよ?」


 どういうことだろう? 芽衣は聡太の言葉に疑問を浮かべた。

 

「実は四人、ライブをする前に変装して文化祭を楽しんでいました」


 微笑む聡太に、会場から「えー!」とまた驚きの声が上がった。芽衣も同じように声を上げた。

 

「四人それぞれ異なる変装をしていたわけですが…、じゃあ大成から順に発表していこうか」


 聡太が大成に振り、順に発表することになった。大成は生徒達の注目を浴びるように、右手を高く挙げた。ちなみに聡太の立ち位置は芽衣達から見て、左から三番目である。


「ベースの武田大成です。僕はマスコットキャラクターになってました! いたでしょ? 正門から入ってすぐに風船配ったやつ。あれです」


 大成がそう発表すると、生徒達が驚き、盛り上がった。誰も大成だと気づかなかったそうだ。まあ顔を完全に隠していたらバレるはずはないのだが。


「それでね、ちょっと怖いことがあってね」


「怖いこと?」


 大成に返したのは海斗だ。


「その、あんまり学校という教育現場で言うのはよくないと思うんだけど…」


「いやいや、もうそこまで言ったら気になる」


 ギターの毛利翔がすぐに突っ込んだ。


「だわな。あのね、風船配ってる時に俺のことが面白かったのかな、四人組の男子達が俺の周りを囲んで、うぇい!って押してちょっかい出してきたの」


 手振りを交えて大成が言うと、生徒達から笑い声が聞こえた。


「集団リンチよ? むちゃくちゃ怖かったよ!」


「それは気の毒に」


 翔が笑って大成に返した。


「じゃあ次、海斗は?」


 聡太は次の海斗に目を向けた。


「はい、先ほども紹介がありましたが、ここの卒業生でドラム担当してます松浦海斗です。自分は、サングラスと帽子を被ったチャラい男に変装してました!」


 海斗は横に置いてあったサングラスと帽子を被った。すると生徒達からは、「あっ、いたいた!」と声が上がった。結構な人数が海斗のことを見かけた様子だった。


「海斗は何かあった? 大成みたいなこと」


「いや、ないわ」翔の問いに、海斗は素早く返した。「で、そういう翔は何をやってたんだ?」


 芽衣達から見て一番右の翔が、生徒達が自分に注目するように右手を挙げた。


「ギター担当してます毛利翔です。自分は警備員になってました」


 生徒達は顔を見合わせている。「いた?」「うん、いたよ!」「知らなかった」なんて言葉が耳に聞こえた。ちなみに芽衣は知らなかった。


「あんまり反応ないな。本当に警備員と思われたってことじゃない?」海斗は言った。


「てことかな。いや警備員だからさ、真面目に誘導棒持ってクルクル回してたのよ。車来ないけど」


「なにそれ」海斗は笑った。


「しかも、本当に警備員と間違えられたのか、小さい子供が近くにやってきてね、お巡りさん頑張ってね、て言ってきたの。俺、ありがとう頑張る、としか言えなかったわ」


 会場から笑い声が上がった。


「警備員ではない、なんて言ったらじゃあ何だよな。変装してるなんて言えないよな」大成が笑いながら言った。


「そう。だからちゃんと警備員全うしたのよ。ここの学校誰一人として警備員雇ってないけどさ」

 

「なんか悲しいな。そんなことしてたなんて」


 翔の行動に海斗も笑っていた。


「じゃあ最後に、聡太は?」


 大成が聡太に訊いた。聡太は何の変装をしてたか言う前に、改めて自己紹介した。


「ボーカル、キーボードを担当してます神谷聡太です。僕も海斗と似ているんですが、サングラスとチョビ髭をつけて変装してました」


 聡太の発言に生徒達は驚きの反応を見せた。その生徒達の中で芽衣は、


「えっ! 嘘!?」


 口を手で覆って、驚きを露わにしていた。


「ビラを配っていた女の子に聞いて、二年四組のフランクフルト食べに行きましたよ。とても美味しかったです」


 二年四組の生徒達が集まる場所から歓声が上がった。


 芽衣はあの時の男性が聡太だということ。そして彼と話せたことが嬉しくて涙を浮かべていた。


「聡太は何か面白いことあった?」


 翔がそう尋ねると、聡太は一瞬考え込むように黙った。


「おっ、何かあったなこれは」翔がわずかな反応を逃さずにそう口にした。


「まああったけど…、聞きたい?」


「聞きたい聞きたい。生徒のみんなも聞きたいよね?」翔が生徒の方を向いて言った。生徒達は「聞きたーい!」と声を上げた。


 聡太は「わかりました」と苦笑し、話し始めた。


「二年四組のフランクフルト食べた後に、一人でぷらっと歩き回ったのね。どんな店がやってるか気になってたから」


「うんうん」翔は相槌をした。


「そしたら二人組の女子生徒がね、突然、あの、って話しかけてきたんですよ。マズいバレたかも、と思ってすごいびっくりしたの」


「ほうほう」


「もし名前言われたらどうしようと思って、すごい焦ったんだけどね。それでね、その女子生徒はこう言い出したの」


「なに、何て言ったの?」と海斗。


「お兄さん、暇なら一緒に遊ぼうよって」


 その瞬間、会場がどっと笑いに包まれた。


「えっ! ナンパ!?」大成は目を見開いた。


「そう。びっくりしちゃって。バレたら仕方ないと覚悟決めてたからさ。まさかそんなこと言われるとは思ってなくて、固まっちゃったよ」


「で、結局その子達と遊んだの?」と翔は笑いながら尋ねた。


「いや遊ぶわけないでしょ」聡太は呆れたように苦笑いした。


「じゃあ何て断ったの?」と翔。


「いや、普通に。連れがいるからごめんなさいって」


「そしたら女の子はすんなり諦めた?」と好奇心丸出しで訊く大成。


「うん。そっかーじゃあ仕方ないね、ってどっか行っちゃった」


 芽衣は誰がナンパなんてしたのか気になった。まあ当然彼女らも聡太だと知らずに行為に及んだのだろうが。


「いやあ、でもすごいね。さすが聡太。イケメンオーラはこんなところでも隠せないか」


「なにそれ」


 大成の言葉に聡太は呆れた。


「けどそれ以上にすごいのはその女の子二人だよね。それともなに、今の高校生ってそんなにガンガン行くの?」


 興奮したように大成は言う。生徒達はどうだろうと近くの友人と顔を見合わせていた。芽衣は絶対ナンパはできないと思った。


「恐ろしいね高校生」と海斗は言った。


「ね。俺、聡太にナンパした子が気になるわ」大成はニヤニヤとした。


「まああの時は連れがいるからってことで断ったけど、本当の理由を言っておきますね。事務所的にNGです。ごめんなさい」


 聡太が生徒に向かってそう言うと、また会場は笑いに包まれた。芽衣も面白くて笑みを浮かべた。


「さて、立ち話もあれですから、そろそろ歌の方にいきましょうか。では生徒の皆さん、先生方。短い時間ではありますが、是非楽しんでいってください。それでは最後までよろしくお願いします」


 そうして聡太はMCを締めると、メンバー全員も一緒に一礼した。


 それからの時間、芽衣は楽しすぎて一生この時間が続けばいいなと思った。人生で一番の最高の思い出が彼女の中で刻まれた日となった。





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