第55話

 城蘭じょうらん高校文化祭二日目。土日開催の日曜日に当たる今日は一般公開されていることもあり、外部からの多くの人が来場していた。城蘭は県内でも有数の文化祭の質の高さを誇り、毎年一般公開をしている。近隣の幼稚園や他校の生徒が集まり、昨日よりも賑わいを見せている。


 まだ秋とは呼べない気温の高さに多くの人が額から汗をかいてハンカチで拭っていた。うちわで顔を扇ぐ人も多い。


 今日も体力勝負になりそうだなーーと、城蘭高校二年四組の有原芽衣ありはらめいは思った。彼女の組はフランクフルトの模擬店を行っている。彼女は作る係ではなく、ビラ配りを担当している。


 作るよりビラ配った方が楽だろう。そんな魂胆から芽衣は選んだが、意外とこっちも大変だった。暑い中外を歩かなければならなくて、足が疲れる。おまけに汗もたくさんかいてインナーが濡れている。それが気持ち悪くて仕方ない。早くシャワーを浴びたい思いに駆られる。


「暑いね。どっかで休憩しない?」


 隣を歩く友人、悠香ゆうかが不意に言った。芽衣は、「賛成」と口にして近くにあった日陰を見つけた。第一校舎と第二校舎を繋ぐ廊下の段差に二人は腰を下ろした。


「もうヘトヘト。かき氷食べたい」芽衣は右手で熱い顔を扇いだ。


「それ思った。あとで食べに行こ」


「でもすごい人だったよ。まだ当分並んでそう」


 そこは三年生の店だった。この気温の中で食べるかき氷は最高だろう。出店を計画した人は何と頭のいいことやら。


「じゃあもうちょっと後から行こっか」悠香はそう言ってから、「おっ、あれは白石生徒会長」と前方を見た。


 芽衣もそちらに目を向けた。第一校舎の方から歩いてくる人物が一人。白石由衣生徒会長だ。綺麗な顔立ちに、凛とした表情を見せる彼女はいつ見ても美しかった。


 そんな彼女と芽衣は知り合いだった。というのも芽衣は生徒会に属していることから由衣と関わりを持つのは当然だった。由衣とは最初のうちはどこかぎこちない先輩後輩の関係だが、ある一つのことをきっかけに、今ではとても仲良しな関係だ。何度も遊んだこともあった。


「あら、芽衣ちゃん。どうしたのこんなところで。平野さんも」


 由衣が芽衣に気付き話しかけてきた。由衣はあまり関わりのない悠香にもしっかりと目を向けていた。


「あはは、ちょっと疲れちゃって。休憩中です」


 芽衣は照れたように笑った。


「そう。今日も暑いから無理しないでね。気分悪くて保健室に行く人も多いらしいから。ほどほどに」


「はい。ありがとうございます。そういや由衣さんは何してたんですか?」


 芽衣は気になって訊いた。彼女はクラスTシャツでも着ているわけでもなく、制服で一人行動しているから。


「あ、いや、うん。ちょっと、先生と話が会ってね…」


 由衣はどこか歯切れの悪い答えを示した。芽衣はそんな彼女の様子を見て小さく首を傾げた。どうしたのだろうか。


「じゃあ私行くから。二人とも熱中症にだけは気をつけてね」


「ああ、はい」


 由衣はそうして芽衣の横を通過していった。まるで逃げるように。彼女の後ろ姿を見て、またしても芽衣は首を傾げた。


「どうかした?」悠香が尋ねてくる。


「ううん。別に」


 何だかわからない。芽衣は、まあいっか、と由衣の行動について考えないことにした。


 ちなみに芽衣が由衣と仲良くなったきっかけは、二人とも神谷聡太のファンということが判明したからであった。



◆◆◆


 芽衣が神谷聡太のことを知ったのはおよそ二年前の中学三年である。何気なく音楽番組を見ていると、聡太達の曲がランキングで流れた。芽衣の好みのメロディで、良い曲だな、と感想を抱いた。当時は聡太達のことは全く知らなかったから、すぐにスマホで検索してみた。


 検索画面に表示された聡太のジャケット写真を見て思わず、「かっこいい」と呟いた。初めてしっかりと顔を見たが、彼女が知る男性でこんなにもタイプな人は初めてだった。一目惚れだった。


 その日を機に、芽衣は聡太達のことをさらに調べ始めた。すると、すぐに芽衣は衝撃を受けた。何と神谷聡太とメンバーの一人、松浦海斗は自分が進学する高校の卒業生ではないか。出身が同じところだということも驚いた。


 それから彼らの楽曲を全て聴いた。ほとんど全ての曲が自分好みだった。どうして今まで知らなかったのだろう、と後悔した。芽衣は瞬く間に、彼らのファンになってしまった。


 高校に入学し、ある程度月日が流れてから担任の田村に聡太達のことを知っているか尋ねてみた。彼は在籍期間の長い教諭だからだ。すると田村はよく覚えていると答えた。彼は聡太が文化祭で披露したライブは、鮮明に覚えており、「神谷君は当時から天才だったよ」と懐かしげに語った。聞くところ聡太は勉学は優秀で、常に学年一位だったとか。それを聞くだけで彼の凄さが理解できた。


 彼らのライブには一度だけ行ったことがあった。ステージから遠い席ではあったが、聡太の姿、そして圧巻の歌唱力、眩い照明の演出を生で見れたことに感動した。芽衣はライブ後にすぐファンクラブに入会した。


 由衣と仲良くなったのは生徒会室で彼女のスマホのロック画面を見たことが始まりだった。ロック画面には聡太が力強く歌っている写真が設定されていた。芽衣は、「もしかして聡太君のファンなんですか? 私もです!」と由衣に言った。由衣は「本当!?」と嬉しそうな顔をして、その後聡太の魅力を熱く語り出した。彼女の思いは痛いほど芽衣も共感できた。


 何度か由衣と遊ぶようになり、今度ライブが会ったら一緒に行こう。そう約束をした。その約束が早く叶えば良いなと芽衣は思っている。



◆◆◆


 休憩が終わり、芽衣は再び宣伝活動を再開した。学年で一位になれるように、頑張ってビラ配りしないといけない。そう自分を奮い立たせた。


「二年四組、フランクフルトやってまーす」と周囲に声をかけ続けていると、一人の男性が芽衣の前に現れた。帽子とサングラスをしていて鼻下と顎に髭が生えている。年齢は二十代後半に見える。はっきりとわからないが、端正な顔立ちをしていると思った。


「二年四組です。フランクフルトやってるので、もしよかったら寄って行ってください」


 そう言って男性にビラを渡した。


「フランクフルトか…」


 男性はビラに目を通すと立ち止まってそう口にした。


「この店はどこにあるのかな?」


 男性は芽衣に尋ねてきた。芽衣はびくりとしながらも、


「えっと、この先を真っ直ぐ行き、突き当たりを右に曲がるといっぱい店があります。その中に私たちのクラスの店もあります…」


 そう指で方角を指して、男性に説明をした。しかし内心、こんな説明で理解できただろうか、と焦っていた。


「ありがとう。お腹が空いていたから行ってみるよ」


「あ、はい。ありがとうございます」


 芽衣は礼を言ってもう一度男性の顔を見た。男性は既に歩き出していて横顔しか見れなかった。やっぱり良い顔をしていると思った。


 しばらく男性の後ろ姿を目線で追った。男性はもう一人の連れの男と合流し、もらったビラを見せて会話していた。もう一人の男も帽子とサングラスをしていた。


 芽衣は不思議と男性のことが気になった。どこかで聞いたことのある声だったから。

 


◆◆◆


 ビラ配りの役目を終えた後、芽衣は念願のかき氷を悠香と一緒に食べた。疲れ切った体に氷の冷たさは心地よく沁みた。幸せな一時だった。


 昼食を終え、午後一時半。芽衣をはじめ生徒達は体育館に移動した。これから文化祭の表彰式が行われるのだ。例年は三時近くまで行うのに今年に限っては短い。その理由はこの後に職員会議があるからだ。芽衣もそのことは今朝伝えられた。時間が短いのは残念だが、仕方ない。先生も日曜日なのに大変なことだ。


 三学年合わせて約千人の生徒が体育館に集まり、ほどなくして表彰式が始まった。パイプ椅子に腰掛け、文化祭実行委員の話を聞いた。


 文化祭実行委員は壇上の下で、スタンドマイクに声を通していた。普段なら壇上で話すはずだが、壇上は大きな幕によって遮られ、使えないようになっている。ちなみにここの高校は有志発表に力を入れているのか、ステージのセットや照明も本格的だ。本当のライブみたいな感覚を味わえる。


「二年生、最優秀賞はーー五組です!」


 残念ながら芽衣達のクラスは表彰台には上がれなかった。悔しい思いはあるが、クラスの皆は表彰台に上がるクラスを聞いて納得した顔をしている。五組はパンケーキを出していた。一度食べたが、あまりの美味しさに芽衣はおかわりをしたくなったほどだ。


 各学年のクラス代表者がスタンドマイクの手前まで行き、校長から表彰状をもらう。もらった後に何か芸をしている者もおり、会場から笑いを取っていた。


 表彰式が終わり、校長が最後に締めの話をし始めた。芽衣はぼんやりと話を聞いた。校長は話が長くなる時があるから困るのだ。


 案の定、校長の話は長かった。最初らへんは聞いていたが途中から耳に入ってこなかった。芽衣は寝ないように必死に目を開けた。


「えー、皆さん。いつもなら三時頃までは文化祭は行うはずなんですが、今年はこの後に職員会議があって、例年より早く終わってしまうことについては申し訳ありません。もっと遊びたいと思うでしょうが、先生達に急遽都合が出来てしまいました」


 ようやく話が終わりそうだ。芽衣の意識も次第に回復してきた。


「ーーと、まあそんなの、本当は嘘なんですが」


「えっ」


 芽衣は小さくそう口に出した。けどすぐに、やばっ、と思い口を抑えた。校長が急に変なことを言い出すから驚いてしまった。


 芽衣は周りをちらりと伺った。どうか自分に視線が集中していないことを祈りながら。


 しかしそれは杞憂だった。生徒達の反応を見て、芽衣は目を見張った。というのも、生徒達もわけがわからない顔をしていた。


「え、どういうこと? 嘘?」


「なになに、どういうこと?」


「意味わかんないだけど?」


「なにこれ! 怖い怖い!」


 やがて会場の空気は静寂から一変した。誰もが声に出して状況の整理を必死に行なっている。


 壁際に立つ教師達も同じだった。どういうこと、と互いに顔を合わせている。その反応からこちらと同じ側であることが芽衣には理解できた。


「皆さん、少し落ち着きましょうか」


 姦しくなった体育館に、校長の声が響いた。校長はしてやったといわんばかりに、顔がニヤけていた。


「生徒の皆さん、あと先生の皆さん。本当は職員会議なんてありません。全部嘘です」


 その言葉でさらに生徒達の声のボリュームは上がった。これから何かが起こるとする予感に、気持ちが抑えられないのだろう。芽衣もそのうちの一人だった。


「なにこれ、やばくない! 超ドキドキするんどけど!」


 隣に座る友人が芽衣に言った。芽衣は「うん、そうだね」と気持ちの整理がつかず、落ち着かない様子で頷いた。


「皆さん、文化祭が本当にこれで終わってもいいのですか?」


 校長は言った。生徒達の何名かが、「やだー!」と返した。もう会場の熱気は最高潮だった。


 校長は嬉しそうに、柔らかく微笑んだ。


「あと皆さん、今日の私を見て不思議に思いませんか? 私は普段、壇上で話すのが基本なのですが、今日はおかしなことに、ここで話しています」


 校長は背後の壇上をちらり振り返った。その仕草で、芽衣ははっとした。幕の奥に、誰かがいることに。


「ふふ。皆さん、本日はですね。凄いゲストの方に、この文化祭を盛り上げてもらうべく来ていただきました! ではゲストの皆さん、お待たせしました! 後はお任せします!」


 校長はそうしてマイクを手に持って、そそくさと壁際にはけて行った。


 すると、会場の照明が一気に落とされ、暗転した。その一瞬で、会場はさらに湧き上がった。


 芽衣は正面を見ていた。幕が上がっていくのがわかったから。でもステージに誰がいるかはわからない。


 そして、幕が上がり切ったところで、会場全体に爆音が響き渡った。


「えっ…」


 その特徴的なイントロは聴いたことはあった。というより、ほぼ毎日聴いている。そして一人ライトに照らされて、その特徴的なギターの音を弾いているステージの男にも見覚えがあった。


 そして、ステージ全体が一気に照らされた。その瞬間、ステージにいた者達の正体が判明した。


 生徒達は戸惑いから急変。歓喜の声を上げた。


 芽衣は両手で口を覆った。驚きと歓喜が胸に広がった。


 だってステージには、彼女が愛してやまない神谷聡太がピアノを弾いていたから。



 


 

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