第53話

『去年ライブに行ってから聡太君のことが大好きになりました。初めて手紙なんて書くし、何て書いていいかわからないですけど、もしこの手紙が届いたなら読んでくれると嬉しいですーー』


 都内マンションの自宅で聡太は一通の手紙を読んでいた。差出人の名前と住所は封筒の裏面記載されている。住所は鹿児島県からで、とても遠い場所からの送り主だ。


 手紙から伝わってくる素直な思いが聡太の心を温かくしてくれる。不思議と口角が上がってしまう。


 聡太の元には定期的にこうしてファンレターが送られてくる。他のメンバーの元にも送られてくるらしいが、聡太は群を抜いていた。差出人にはほとんど女性で若い人が多い。時折、聡太より一回り以上の方から来ることもある。


 ファンレターは事務所によっては廃棄されることもある。誹謗中傷。怪しいのプレゼントボックが本人に届いたなんてことが過去にあったからだ。基本的に各事務所はスタッフが危害が及ばないかを確認してから、本人に届くというシステムになっている。もちろん聡太の場合もそうだった。


 ちなみに、今のところ誹謗中傷とかいたずらといった類の内容は送られてきたことはない。


『ーー聡太君の作る音楽は本当に最高で大好きです! これからもずっと応援しています!』


 手紙を読み終え、聡太は、どうしようか、と思い、ボールペンをノックした。


 聡太はファンレターに対して、毎月返信をしている。多い時だと二十枚ほど書いている。こうした彼の行為はファンの間ではとても有名であり、「聡太から返信をもらいたい」と願う人が多い。だから、彼の元に集まるファンレターは他のメンバーよりも多いのだ。


 聡太がこうしたことを行うようになったのは、少しでもファンの人の思いに応えたい、喜んでもらえることをしたいと思ったからだ。なるべく多くのファンと交流し、自分の思いを声だけでなく、文字でも届けたい。こうして想いを綴ってくれる人への感謝のために、聡太はこの行いを続けている。


 相手の顔がわからなくても、文字だけでここまで心踊らされることはない。自分が音楽を作り続ける限り、この行いは止めるつもりはなかった。


「これで、よし」


 聡太は文字を書き連ねて、紙を封筒に入れた。書き終えたものを横に移し、新たなファンレターを手に取った。


 封筒の裏面に書かれていた名前を見て、聡太は目を見張った。『乾春奈』という名前がそこには書かれていた。


 同姓同名? いやそんな偶然ーー聡太はそんなことを思いながら手紙を取り出した。折り畳まれた手紙を開き、読み出した。


『神谷聡太さん。いや、やっぱり先輩の方がいいかな。お久しぶりです。乾春奈です』


 その一文を読んで確信した。間違いなくこの手紙の送り主は春奈だと。


『今回こうしてお手紙を書いたのはファンだからというのもありますが、私事で伝えたいことがあったため、手紙を書くことを決めました。先輩は今年の正月に一度会ったことがあると思いますが、以前からお付き合いしていたその男性と結婚することになりました。私事で先輩にはすごくどうでもいいことかもしれませんが、どうしても先輩だけには伝えたかったです』


 結婚。その文字を見て少々驚いた。けどすぐに、おめでとう、という思いが心の中で広がった。


『先輩は私の初恋でした。初めて会話したのは図書室でしたね。今思うととても懐かしいです。あの時は毎日先輩と話せることが学校での楽しみでした。だから先輩が大学に行った後、また一緒にいたい、そんな思いで私も同じ大学を受けました。大学でも先輩とたくさん話せてすごく嬉しかった。本当に良い思い出です。

 今年の正月、先輩を見かけた時は驚きました。何でこんなところに?って目を疑いました。だって今や有名人の先輩が地元にいるんですから。本当にわずかな時間でしたけど、また会えてすごく嬉しかったな。けど、欲を言うなら二人だけでお話でもしたかったです。先輩の話いっぱい聞きたかったです。私、ファンクラブに入会してるだけじゃなく、ライブにも行ったことがあるんですよ。だから結構なファンなんです。なので今度もし会えたら、色んな話聞かせてください。毎日曲も聴いてますし、今度のツアーもすごく楽しみにしてます。前回のツアーも行ったので、今回も当てて行きたいと思います。』


 手紙を読み進め、終わりかけに次のようなことが書いてあった。

 

『先輩には振られちゃったけど、今でも先輩のことは好きです。けどその想いは昔抱いていた恋心とは少し違ったものです。先輩と出会えて、本当に良かったです。一人の女性として、そしてファンとして、先輩のことを心から応援しています』


 手紙を読み終えると、何で名前をつけていいかわからない感情が胸に広がった。嬉しさもあり、どこか寂しさある。そんな気持ちだった。


 聡太は新紙を取り、少し考えてからペンを走らせた。この気持ちが彼女に届くことを願った。


◆◆◆


 三日、四日分の材料とその他生活必需品をスーパーで買い、旦那が運転する車で自宅アパートに帰ってきた。このアパートに住み始めてまだ数ヶ月。最初は見慣れない景色だったが、ようやくこの景色が馴染んできた。


 旦那である凌が、材料いっぱいに入ったバックを持ち、春奈は小さめのバックを持った。重たい荷物を持っている凌に玄関を開けさせるわけにもいかないので、春奈が鍵を差し込み、玄関を開けた。


「ん、何か入ってるよ」


 凌がドアポストから何かを取り出して、春奈に見せてきた。横長の茶色い封筒だった。


「株式会社ーー。何これ? どこか知ってる?」


 会社名を聞いて、春奈は首を傾げた。知らない、と口に出そうとしたが、思いつくものが頭に浮かんだ。はっとした様子で、封筒を見た。


「ねえ、それちょっと見せて」


 バックを机に置いて、凌にそう言った。少し焦った様子の妻に凌は変に思いながらも、すんなりと封筒を渡した。


 春奈は封筒を手に持ち、凌が数秒前に言った会社名を見た。株式会社〇〇。やはりそうだ。


 春奈は急速に胸の鼓動が速くなったのを感じた。すぐに封筒を開けて、中身を取り出した。


 封筒の中には一枚の紙が入っていた。それを見て春奈は、


「ごめん、ちょっとあっちで見てくる」


 そう凌に言い残して隣の部屋に入った。ドアを閉めて、ふぅ、と高鳴る鼓動を抑えるように深呼吸した。


 二つに折り畳まれた紙を開き、中身を見た。


『乾春奈様』


 一番上に書かれた文字も見て、春奈はすぐに理解した。この手紙の送り主を。


 春奈はもう一度深呼吸して、手紙を読み進めた。


『乾春奈様。お久しぶりです。神谷聡太です。お手紙ありがとうございました。手紙を拝読して驚きました。ご結婚おめでとうございます。心からお祝い申し上げます』


 春奈は聡太の元に手紙が届いたこと。そしてしっかりと読んでくれたことを嬉しく思った。


『乾さんとは今年の正月にばったりと会ったね。乾さんと同じように、自分もびっくりしました。驚いたのと同時に、嬉しかったです。大学の卒業以来、あなたと顔を合わせていなかったから、顔を見れて良かったです。

 今思うと、初めて乾さんと話したのは図書室だったね。懐かしいです。その時のことをよく覚えています。私が落とした消しゴムを拾って、声をかけてきてくれたことを。その時から図書室でよく会話をするようになりましたね。乾さんは自分より一学年下ですが、高校、大学で一緒に過ごせた時間はとても素晴らしい思い出です。

 乾さんは、真っ直ぐ私にぶつかってきてくれました。その想いに私は応えることはできませんでしたが、乾さんのような素敵な女性に好かれる私は本当に幸せ者だと思います。あなたに出会えて良かった。本当にありがとう。

 正月の時は会話ができなくてとても残念でした。なのでもし今後、どこかで会うことがあったら、その時はたくさんお話しましょう。

 最後になりますが、改めてお手紙ありがとう。健康には気をつけて、どうか幸せな家庭を築いてください。乾さんにこれからたくさんの幸せが訪れることを心から祈っています』


 手紙の最後には、神谷聡太、と書かれていた。


 ぽたぽたと、手紙に涙が落ちた。涙が落ちた場所はじわっと跡が広がった。春奈は涙を指で拭った。


「ほんと、ずるい人…」


 ふっと春奈は微笑んだ。けど涙が止まらなかった。


 かっこよくて、優しい聡太の顔が浮かんだ。文字でも彼の想いはしっかりと春奈に伝った。


 昔流した悲しい涙とは違う。嬉し涙だ。初めて心の底から恋をした人からの手紙は、春奈の胸に強く刺さった。


 しばしの間、春奈は涙を流し続けた。

 

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