第52話

 一月七日。聡太は午前中の新幹線に乗るために支度をしていた。


「今度はいつ帰ってくるの?」


 鞄に荷物を詰め込んでいると葉瑠が聞いてきた。聡太は手を止めて、妹の顔を見た。


「どうだろ。もしここでライブがあれば帰ってくるけど、なかったらまた年末かな」


「えー、そんなぁ」


 残念そうに葉瑠は言った。


「まあたぶんだけど、今年もライブあると思うから」


「え、そうなの? もう決まってるの?」


 葉瑠の顔は一転して嬉しそうになった。


「確定ではないけど、そういう話は少し出てるから。まだどこでやるかとかは、これからかな」


 昨年は十一月にここでライブをしたが実家には寄らなかった。だから今度はちゃんと寄ろうと、聡太は決めた。


「何かお兄ちゃん、嬉しそうだね」


 突如、葉瑠がそんなことを言い出した。


「なに、急に」聡太は目をぱちくりさせた。


「前より表情が豊かになったっていうか、笑顔が多くなった気がする」


「そう? 変わってないと思うけど」


 自分では何も変化していないと感じる。


「お兄ちゃんはわからないと思うけど、変わったよ。前より全然良い」


「そう?」確かに自覚はなかった。


「うん。何か良いことあった?」


「良いことね…」


 聡太は考えた。良いことというべきか、変化したことはあったと思う。


「良いこと、あったと思うよ」聡太は微笑んだ。


「やっぱり。教えてよ」


「それは秘密。教えないよ」


「えー」


「ほら、葉瑠も早く支度しないと大学遅れるぞ」


「わかってるよ」


 話を逸らしされた妹は膨れっ面でリビングを出て行った。


「聡太。今日は何時の新幹線に乗るの」


 母親に訊かれ、聡太は、「十時半の」と答えた。


「そう。気をつけてね」


「ああ」


 母の表情は息子がいなくなるのが寂しいのか、悲しそうな笑みだった。


 そんな母の顔を見て聡太は、


「たぶん帰ってくる時があるから、その時はお土産を持って帰るよ」


 そう口にした。母は嬉しそうに微笑んだ。


「そう。楽しみにしてるわ」


 数十分後、聡太は母と妹に見送られて家を出た。数日過ごしただけだが、実家を離れるのはやはり寂しい気持ちになった。毎年同じ感情を覚える。


 駅に着き、ホームで新幹線を待っていると見知った顔が側にやってきた。海斗だった。彼は、ぜえぜえ、と息を切らしていた。


「あぶねえ、遅れるところだったわ」


 彼が到着したのと同時に、新幹線が来る知らせが入った。 


「ギリギリだな」


「流石に焦ったわ」


 そうして二人はホームに停車した新幹線に乗り込み、東京に着くまでの間、背もたれに寄りかかってのんびり過ごすことになった。


「何かいつもより良い顔してるな」


 出発して何分か経って、海斗がふと口を開いた。


 窓側に座る聡太は彼を見た。どういう意味、と視線で返した。


「昨日、あの後新谷と何かあったか?」


「まあ、ね」聡太は再び窓の外に目を向けた。


「そう」海斗はふっと笑った。「その様子だと、良いことでもあった感じだな」


 海斗も葉瑠も同じことを言う。そんなに顔が変わっただろうか。確認するように聡太は手で頬を触れた。


「新谷には別れ告げてきたのか」


「うん。昨日のうちに。彼女、今日は仕事だから。海斗は?」


 海斗の相手はもちろん、沙耶に向けてだ。


「俺も昨日言っといた。また帰ったらよろしくなってな」


 その時、スマホからメールを告げる着信音が鳴った。画面をオンにさせて、内容を見た。


 内容を見て、聡太は微笑んだ。


「どうした。急に笑って」


「いや、別に」


「ふーん」


 気になる様子で海斗は聡太を見ていた。でも、不思議と彼はおかしそうににやけていた。まるでメールの内容を見たかのように。


「なに、何で笑ってるの」


「いや、良かったなと思って」


 海斗はそう言って立ち上がり、お手洗いに向かった。彼の背中を聡太は訝しげに見た。


 手元のスマホをもう一度オンにして、画面をつけた。そしてメールを開いた。


『いってらっしゃい! 仕事、お互いに頑張ろうね!』


 こんな内容が聡太の元に届いた。送信者は美優だ。


 昨日、彼女と別れる際に連絡先を再度交換したのだ。学生時代の友人は今のスマホにはなかったからだ。


 聡太は指を動かして、


『いってきます。仕事頑張ろう』


 そう返信した。


 窓の外を見やり、彼女のことを考えた。とても気分が良いのは自分でもわかった。


 良い顔している。海斗と葉瑠がそう言った意味がわかった気がした。


 次に、彼女に会える日が楽しみだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る