第51話

 全てを話し終えた聡太は、どこか心が楽になった気がしていた。ずっと口にしなかったことを打ち明けるのは、こんなにも軽くなるのかと、少し驚いていた。


 聡太は、彼女の表情を伺った。予想通りだった。彼女はどういう反応を示せばいいかわからず、困惑に満ちた顔を浮かべていた。


(まあ、そうだよな。急にこんな話をしてもな…)


 自分もたぶん困惑するだろうなと、彼女の反応を見て苦笑した。


 彼女は、何て答えるだろうか。


 じっと、彼女が声を出すのを待った。その時間がとても怖く、妙に緊張してしまった。


 やがて、その時がやってきた。


「それは、辛かったね…」


 とても、苦しそうで優しい声をだった。思わず彼女の声音を聞いて、えっ、と聡太は声に出した。


 無様、憐れ…。そんな言葉が来ると思っていた。だから彼女の言葉は想定外だった。


「私、知らなかった。神谷君がそんな辛い過去を抱えて生きてきたなんて。それなのに、私はいっぱい神谷君に迷惑かけちゃって…。本当、ごめんなさい」


 美優は今にも泣きそうだった。彼女は何も悪くないのに。


「いや、何で新谷さんが謝るの。ずっと言ってなかったことだし、知らないのは当然だよ」


「そうだとしても、私は昔から困らせること、いっぱいしたから…」


 彼女の言う困らせることとは、聡太に対するアプローチのことだろう。


「大丈夫だから。本当に…」


 聡太な説得に、彼女はまだ言いたそうだったが、ぐっと飲み込んだようだった。


 それからは静かな時間だった。何を話したらいいか、わからなかった。それは彼女も同じはずだった。


 過去を知って、これからどうなるのか。これまで通り、彼女との関係は続いていくのだろうか。


 もし、このまま会えなかったら。そう考えると、胸の奥が痛んだ。


「神谷君はさ」


 長い静寂を打ち破ったのは、美優だった。聡太は彼女の顔を見た。


「誰かと付き合ってみたい、ずっと一緒にいたいって、思ったことはある?」


 彼女の瞳を見て、素朴な疑問のように感じた。


「もちろんあるよ。好きな人とお付き合いしてみたい、隣にいてほしいって考えたことある」


 でも、と聡太は続けた。


「そう思っても、やっぱり怖いんだ。怖くて、自分じゃ無理なんだって、諦めてるよ」


 話していて、笑みが溢れた。情けない笑みだ。


「無理じゃないよ」


 澄んだ声が響いた。えっ、と聡太は聞き返していた。


 美優は聡太の前にしゃがんで、目を合わせてきた。


「無理じゃない。神谷君なら絶対できる」


 聡太は、彼女の視線から目を逸らした。


「な、なんでそんなこと。何を根拠に」


「私が、神谷君は本当は強い人だってことを知ってるから」


 強い人? 自分が? 何を彼女は言っているーー頭にいつものノイズが走り、聡太は不思議そうに彼女の顔を見返した。彼女は冗談を言ってるわけではなく、真剣な表情を浮かべていた。


 聡太は膝の上に置いていた拳を強く握りしめた。


「弱いよ。弱いから今もまだ昔のことを引きずっている。こんな大人になっても、全然成長していない。強くないよ。俺ほど弱い男はいない」


 何度もこの悔しさは体験してきた。口にすればこんなに無様な姿はなかった。


「違う、そんなことない!」


 心臓が一瞬だけ止まったような感覚だった。彼女が発したその声に聡太は息を呑んだ。彼女からは聞いたことのない、叫びにも近い大きな声だった。


「神谷君は自分を弱く言うけど、全然そんなことない。それ以上自分を責めないで」


「けど、それは事実ーー」


 聡太がそう言おうとした時、


「じゃあ、何であの時私を助けてくれたの?」


 そんな言葉が彼女から返ってきた。


「あの時…?」聡太は眉を寄せた。いつの日のことかわからなかった。


「うん。大学生の時、バイト先の人から守ってくれたことあったよね」


 その内容にピンときた。一気に記憶が蘇る感覚が頭に走った。


 大学二年生の頃、彼女に必要に迫ってくる男がいた。その男に対し聡太は、「俺の彼女だから」と言って、彼女を守ったことがあった。


「私、あの時すごく嬉しかった。弱い人ならあんなことできない。強い人だからできたことなんだよ」


 彼女の言葉に、聡太は押し黙るしかなかった。けど、心の中ではまだ否定していた。


「でも、やっぱり怖い。自信が持てないんだ」


 顔を歪めて、聡太はそう口に出した。


 その時、右手にひんやりとした感触が伝わってきた。冷たく、柔らかい彼女の左手が右手の上に乗っていた。


 美優はそっと、手を優しく握ってきた。

 

「そっか。じゃあゆっくり、これから自信つけていこ」


 顔を上げると、彼女の顔が近くにあった。彼女は包み込むように、もう片方の右手を聡太の手に重ねてきた。


「神谷君は周りの人と比べて自分を卑下してるけど、それは神谷君だけじゃない。周りの人だって同じだよ。皆、周りと比べて自分の存在価値を確認してる。私だってそう。皆、自信がない人ばっかりなんだよ」


 彼女は微笑んだ。少し照れたように。


「私もね、周りと比べちゃうタイプなんだ。それで落ち込んで、自信なくしての繰り返し。昔も今も、たぶんこれからもずっと同じことを繰り返すと思う。でもね、それでも頑張っていられるのは自分の近くにいる存在だと思うんだ。友達、仲のいい職場の人、家族…、そういう人のおかげで少しずつ自信がついて、苦手なことでも頑張れてるんだ」


 彼女の言葉ではっとした。聡太は何かを見落としていたものに気づいた。


 あの時を境に聡太の日常は変わった。それでも自分を支えてくれる、常に心配してくれる人は近くにいた。


 聡太はそうした人とあまり向き合ってこなかった。話そうとしなかった。自分で勝手に諦めをつけているだけだった。今になって、そのことに気づいた。


「神谷君にもいると思う、ずっと支えてくれる人が。だから、神谷君も少しだけ、その人達のことを頼ってみないかな。そうすれば、前とは何か変わると思うから」


 胸の奥が熱くなる感覚があった。自分の馬鹿さに、目頭が熱くなってきた。


「私は、神谷君が大好き。だから、離れていてもこれからもあなたの味方だから。それだけは覚えといてね。いつでも悩みがあったら話してくれていいんだから」


 その優しい眼差しと声に、聡太は救われた気がした。ずっと溜まっていたものが出るように、右目からすっーと涙が溢れた。


「俺でも、今から変われること、できるかな…?」


「うん、絶対できる。私にできることがあったら何でも力になるよ」


「本当かな…?」


「大丈夫。神谷君なら、絶対大丈夫。だから自信持って」


 聡太は彼女の手を、きゅっと握り返した。


「ありがとう、新谷さん…」俯いて、そう口に出した。


 次の瞬間、彼女の顔がすぐ横まで来た。彼女の手が聡太の頭に優しく触れていた。暖かい抱擁だった。我慢していたのに、さらに涙が溢れてきた。


 聡太もゆっくりと、自然に彼女の背中へ手を回していた。頭の中に走るノイズは聞こえなかった。


 二人はしばらくの間、何も話さなかった。お互いに温め合うように、ただ強く抱きしめ合った。


 






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