第45話

「あれ、沙耶達来たの?」


 飲み会の会場に入るなり、大きな声でそう言われた。声の主である高宮桜は顔を高調させており、既に出来上がっていた。


「桜が来てって言ったんじゃん」沙耶は言った。


「だって寂しいんだもん」


 美優は空いていた端の席に腰を下ろした。美優の右隣に葵、沙耶も順に座った。


「いやあ嬉しいね、女性が増えるのは」


 美優の反対側に座る元クラスメイトの久野くのが嬉しそうに口にした。彼は同窓会の幹事の一人だった。


「欲を言えば、神谷君と海斗にも来て欲しかったんだけど」


「流石に二人はダメでしょ。今回来てくれただけでもすごいことなのに。私ももっと二人と話したかったな」


 桜の言葉はもっともだった。だからこそ二人とはもっと同じ時間を過ごせなかったのが残念なのだろう。


「そういえば俺、神谷君と海斗に無理言ってサインもらったよ。ファンだからマジで嬉しかった」


「いいな。私もサインもらっとけばよかったあ」


 桜がグラスに口をつけて勢いよく酒を飲んだ。


「売ったら結構値がつくんじゃない?」桜が悪そうな顔をして言った。


「そんなこと絶対しない」


「ま、冗談だけどね」


 二人の会話を聞いていると、美優達の前にチューハイが置かれた。葵と沙耶と、乾杯、と言ってグラスを合わせた。


「ねえねえ、新谷とカキサヤはさ、今どうなの?」


 ふと、美優の向かいにグラスを持った一人の男がやって来た。男は酒井拓真。彼も元クラスメイトだ。


 学生時代、美優はあまりこの男のことを好いてはいなかった。すぐに相手を見下すような言動を繰り返していて、不快に思ったことが多いからだ。


「どうって?」なんとなく意味はわかるが、美優は一応聞いてみた。


「そりゃ男のことよ」拓真は笑みを見せて、はっきりと言った。「で、どうなの?」


「今は、いないかな」


 美優は首を振って答えた。


「残念ながら、いませーん」沙耶も首を横に振った。


「えっ、そうなの? なになにあんまり興味ないとか?」


「いや、そういうわけじゃないけど…」


 美優は苦笑混じりに言った。めんどくさいな、と心の中で呟いた。


「焦らないと拙くない? もうすぐ三十だぜ? もう周りの皆、大抵結婚してるよ。それに女って妊娠とかあるから結婚は早めの方がいいと思わない?」


 余計なお世話だ、と言い返してやりたくなった。何故勝手に人生を決めつけられるのか。


「別に。ってか、そんな世間体気にしてどうすんの? 自分のしたい時にする。それで良くない? ダメなの?」


 煽るように沙耶は口にする。けど美優はそんな彼女を見て、心がすっきりした、彼女は自分の言いたいことを代弁してくれた。


「いや、ダメってわけじゃないけど…」拓真は沙耶の態度に驚いていた。


「じゃあ、酒井君にそんなこと言われる筋合いはないよね。というより、酒井君も結婚まだでしょ?」


「えっ、まあそうだけど」


「恋人は?」


「いないけど…」


「そっか。まあ、今のままだとモテないよ。ねえ?」


 沙耶は近くにいる女子に顔を向けた。美優はじめ全員が首を縦に振っていた。


「まあ、お互い頑張ろう。ね?」


 沙耶は拓真に向けて目を細めた。拓真は返答に窮したのか、ちょっとトイレ、と慌てた様子で席を立った。


「確かに、あれじゃモテねえな」


 久野が酒井の後ろ姿を見て、ニヤリと笑った。


「どうしてあいつはすぐ相手を怒らすようなことを言うかな。昔と変わってねえな」


「あれは苦労するよ。できたとしても別れる」


 ははは、と久野は笑った。もしかしたら久野も拓真に対し不満はあったのだろう。美優にはそう見えた。


「なに、そんな面白いことあった?」


 頭上から声がした。一人の男が久野の横に立っていた。橋本渉だった。


「いや、それがさーー」


 久野から先の話を聞きながら、橋本渉は拓真が座っていた場所に座った。元は彼がこの位置に座っていたのだろう。


「相変わらずだな。ちょっと口悪いけど、根は良い奴なのに」


「な。顔も悪くないし。本当もったいない」


 男どもはそう言うが、美優にはさっぱりわからなかった。男と女では見方が異なるのだろうか。


「二人は結婚してるの?」そう言って美優は男二人の左手をさりげなく見た。


「俺はまだ」渉は言った。「でも恋人はいる」


「じゃあその人と?」と沙耶が尋ねた。


「まあ、たぶんな」


 彼の中では結婚を決めているようだ。あとはタイミングだけってことか。


「俺はしてる」渉の次に久野が言った。美優は彼の左薬指に指輪が嵌められているのを気づいていた。


「いつ結婚したの?」


 美優の問いかけに、「三年前かな」と久野は答えた。「もうじき二歳になる娘がいる」


 へえ、と話を聞いていた周りが久野に興味を示した。結婚、妻子持ち。それだけでどこか特別な扱いされているみたいに思えた。


「二人はあんまり結婚は興味ない?」


 久野が反対に訊いてきた。美優は「興味ない、ことはない」と答えた。その思いは事実だった。


「私はあんまり。もし生涯共にして良い人がいたら、しよっかなってくらい」


 へえ、と今度は男達が感心した様子になった。


「そういう人がいたら良いな」久野はそう言った後、「あっ、海斗なんてどう? カキサヤ仲良いじゃん?」


 その時、沙耶の顔がぶわっと紅くなった。美優は驚き、まじまじと彼女を見た。


「何で、松浦なのよ! いやよ、あんな男!」


「おお、そうか…。何か悪い」


 久野は目を大きくし、口を半開きにしていた。呆気に取られるとはこういうことなのだろう。


 沙耶は勢いよく酒を飲み始めた。その様子を見て、美優はため息ついた。隣の葵と目を合わせて、お互いに苦笑した。


 ほんと素直じゃないなーー美優は沙耶を見て思う。沙耶が海斗のことを好きなのは昔からわかっているのだ。



◆◆◆



 長居しないようにしていたが、結局長い時間いることになってしまった。酒はそこそこにしておいたが、沙耶はひどかった。いつも以上に飲んでいた気がする。おかげで葵に抱きついて寝てしまっている。葵は嫌な顔せずに、むしろ嬉しそうに沙耶を介抱していた。


「ちょっと吸ってくるわ」


 橋本渉が席を立った。美優はその時、チャンスだと感じた。今なら彼と二人で話せる。


「美優、どこ行くの?」


 上着を持って席を立つと、葵にそう言われた。美優は「トイレに」と、笑みを見せてその場をやり過ごした。


(トイレに上着なんて持っていかないよね)


 絶対変に思われた、と考えながら、店の外に出た。喫煙所はすぐ側にあった。人、数人が入れる小さなブースだ。


 声をかける前に彼が気づいた。「どうしたの?」


「ちょっと、聞きたいことがあるの」美優はそう切り出した。


 渉はじっと美優を見つめた。彼は重大なことだと思ったのか煙を消した。


「こんなとこじゃあれだから、中で」


 渉が中に入り、美優も続いた。上の宴会席には行かず、一階のテーブル席についた。彼は店員に宴会席の人間だということを説明して、席の使用を確認した。店員は大丈夫だと了承した。


「何か飲む?」彼は端に置かれたメニュー表を取って、テーブルに置いた。


「いや、大丈夫」


 美優が言うと、彼は、そう、とだけ口にした。酒は飲まない代わりに彼はお冷を二つ注文した。


「それで、話って?」


 渉が目を向けてくる。彼と二人きりで、こうして向かい合わせで話すのは初めてだった。


「もしかして、聡太のこと?」


 美優が口にする前に、渉がそう言った。驚きを隠さず、なんで、と口にした。


「何となくそうかなって。新谷、昔から聡太のこと好きだろ?」


 見事に的中され、何も言えなかった。テーブルに置いていた、お冷をぐっと飲んだ。お冷があって助かったと思った。


「聡太と話したの?」渉は訊いてきた。


「うん」美優は視線を落としながら口にした。「話したよ。ほんのちょっとだけ」


「そう。俺も少しだけ話したよ。ますますかっこよくなってたな」


「そうだね」少しだけ、美優は笑みを見せた。


「それで、聞きたいことって? あいつに関わることなんだろ?」


 美優は、ふうと息を吐いて、心を整えた。心臓の鼓動がいつもより早く、緊張していた。


「神谷君の、過去について知りたいの」


 口に出すと、さらに緊張してきた。でももう引き下がれない。


「昔から何となく思ってけど、神谷君って女性が苦手なところがあるよね。それって昔に何かあったからじゃないの?」


 渉は何も答えない。美優の話をじっと聞いているだけだった。


「色々調べたけどわからない。けど、橋本君なら知ってるかも知れないと思って…」


 そこで言葉を区切った。ここまで話せばもう彼もわかっているはずだから。


「ねえ、何か知ってる?」


 美優は問い詰めるように聞いた。人の回答がここまで気になることは滅多になかった。


 数秒、彼は何も言わなかった。それがとてもじれったかった。


「新谷はさ」やっと橋本が言葉を発した。「どうしてそこまで知りたいの? 聡太のこと」


 えっ、と美優は口に出した。それは好きだから、と心の中で回答した。


「今も、好きだから?」


 美優は彼の視線を受け止めて、「…うん」と答えた。


「そう。何年も同じ人を想うことはすごいな」彼は一瞬、口角を上げた。「けど、その理由では教えることはできない」


「どうして?」美優は目を大きくして、尋ねた。


 渉は落ち着いた様子で言った。


「確かに、俺は聡太のことをよく知ってる。なんせ小学生の頃から一緒だったからな。聡太がどうしてああなったことも、もちろん知ってる」


 やっぱり知ってるんだ、と美優は彼を見つめる。落ち着いた様子が少し腹立たしくなった。


「知ってるなら、どうして教えてくれないの。絶対に他の人には言わないから」


 少し口調を強めて言った。けど渉は落ち着いていた。


「さっきも言ったけど、好きな人だからなんて理由だけだから。それに、他の人に言わない、なんて保障はどこにある。新谷が他の人に問い詰められ、簡単に教えてしまうことも十分あり得る。もし簡単に打ち明け、世間に広まったら必ず騒ぎになる。秘密は勝手に打ち明けることは聡太の人生をも狂わす可能性があるんだ」


 彼の説明に、美優は黙って聞いてしまった。彼の人生をも狂わす? 一体何があったのだ。


「もし、そんなに知りたいのなら、それは聡太が、いい、と言ってからだ。それまで友人の秘密を他者に打ち明けることは絶対にしない」


 彼の視線は美優の胸を貫いた。反論する気持ちもなくなった。彼の主張は正しいのだ。


「あとは、本人に直接確かめる、だな。こっちの方が知れる可能性はあると思うけど」


「本人に?」


 そっちの方が難しいのでは、と美優は思った。その思いに気づいたように渉は、


「聡太は確かに女性があまり得意ではない。新谷の思っている通りだ。けど、過去にあいつとしっかりと向き合ってきた分、あいつも少しは相手のことを信頼をしていると思うけどな」


 信頼。彼からそう思われているのだろうか。


「大学でも、聡太とよく一緒だったんだろ?」


「えっ、まあ、そうだけど」


「なら、あいつもそれなりに新谷のことは、考えているはずじゃないのか?」


「そうかな」そう思う自信がなかった。


「たぶんな。とにかく俺からは何も言えない。あとは新谷次第だ」


 渉はそこまで言うと、お冷を一口飲んだ。


「なら、本人に直接確かめてみるよ」


「えっ」渉ははじめて驚いた顔を見せた。「聡太と遊ぶの?」


「いや、沙耶とか松浦君も一緒。初詣誘ったら良いよって言ってくれた」


「はは、それは良かったな」


 渉は笑みを見せた。こんな顔をするんだな、と彼に抱いていた印象が変わった気がした。


 今、していることは自分勝手だと自覚している。けど、自分のこの行動が彼との関係を大きく変える気がする。そんな予感を美優は抱いた。



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