第44話

 車に乗り込もうとしていた聡太を見つけた時、美優は反射的に叫んでいた。


「神谷君!」


 駆け足で彼の元まで行った。彼は美優に気付き、目を見開いていた。


「久しぶり…、神谷君」


 彼が目の前にいるのはいつ振りだろうか。こんなにも近い距離で接するのは久しぶりで、妙に緊張した。


「うん。久しぶり。新谷さん」


 彼は薄っすら微笑んだ。美優だけに向けられた声。それを聞いただけで、目頭が熱くなってきた。


「おお、カキサヤ! 久しぶりだな!」


「久しぶりね、松浦。あんまり変わってなくて安心したわ」


「こら、昔に比べてさらにかっこよくなっとるわ」


 沙耶と海斗も再会の言葉を交わしていた。沙耶の表情から、海斗との再会をとても嬉しそうにしているのを、美優にも伝わった。


「大学卒業以来だよね。こうして会うの」


 沙耶の言葉に美優は、そんなに経ったんだ、と思った。あれから五年。仕事ばかりの毎日で月日が経つのが恐ろしく早く感じる。


「そうだな。三人とも仕事頑張ってるの?」


 三人の中に、何も口を開いていない葵も入っていた。


「仕事やってるよ。毎日大変」


「私もー。何度転職考えたかわかんないよ」


 沙耶と葵が続けて言った。葵は保育士として働いている。しかし、子供好きでも仕事は大変なのだろう。保護者からのクレームも多いことを同窓会の時にこぼしており、精神的にも辛い日々を過ごしているらしい。


「新谷は?」海斗は発言していない美優にも振った。


「うん。辞めずに頑張ってるよ」


「そっか」


 海斗は微笑んだ。皆の近況が知れて嬉しそうに思えた。


「そういえば、神谷君。見たよ紅白!」


 葵は聡太を見て言った。聡太は微笑んで、「ありがとう」と返した。


「私も見た。神谷君、また歌上手くなったんじゃない?」と、沙耶は口にする。


「私も見てた。すっごく良かった」


 もっと伝えたいことはあるが、口にしたら止まらなくなりそうな気がした。美優は語りたい衝動を抑えた。


「ありがとう。すごく緊張してたけど、本番でちゃんと力出し切れて良かったよ」


「そうなの? いつも通りに見えたけど?」沙耶は言った。


「紅白はやっぱり緊張するよ。日本全国の人が見てるからね」


 神谷君でも緊張するんだーー美優は聡太の落ち着いた顔を見た。


「なんかこう話してると、本当に二人って有名人なんだって思わされるよね」


「確かに」葵の発言に、美優は頷いた。


「そういえば私と美優、この前ライブに行ったよ」


「おっ、マジで? どこの公演?」


 海斗の問いに、沙耶は一ヶ月以上前のことについて簡単に答えた。


「ああ、二日目ね」海斗はぽつりと言った後で、「ん? そういえば聡太」と視線を聡太に向けた。


「なに?」


「その日さ、終わった後言ってなかったか? 新谷とカキサヤみたいな人を見たって」


「えっ、うそっ」沙耶は驚き、聡太をまじまじと見る。美優も同じだった。


「二日目…。ああ、MCの時、地元だから観客席に誰か知り合いがいないかって、ステージ上から探したんだっけ」


「そうそう。その時のことよ」海斗は何度も首を縦に振った。


「うん、覚えてる。二階席の奥の方に、二人に似ている人がいたから、もしかしたらって思ってたけど」聡太は美優と沙耶を交互に見た。「やっぱり二人来てたんだ」


「そうそう! 私たちあの時二階席にいたんから、たぶんそうだよ!」沙耶は飛び上がって喜んだ。「ね、美優!」


「うん!」喜びを美優は隠せなかった。彼が見つけてくれたことが素直に嬉しかった。


「でも、よくわかったね。結構ステージから離れてたよ」沙耶は聡太に尋ねた。


「意外とステージからお客さんの顔は見えるから。アリーナやホールだったらよく見えるよ」聡太は答えた。


「確かにな。ホールとかだったら、特に近いもんな。すっごいよくわかる」海斗もそう答えた。


 そんな裏話に美優は興味津々だった。立ち話の場じゃなかったら、もっと聞いていたいと思った。


「二人は、いつまでここにいるの?」


 葵は二人に訊いた。その質問は、美優もしようと思っていた。


「七日までかな」海斗が言った。「八日の朝には新幹線で東京に戻る予定」


「三日しかないの? 正月休み」沙耶が訊いた。


「去年も似たような感じだったよ。だいたい三日、四日程度じゃないか?」


「うわ、忙しいね。年末年始、一週間は休みあったよ。また月曜から仕事、行きたくないなあ」


「そうだよね。私もいやー」げんなりとした顔を葵は浮かべた。


「そういや、三人は二次会行かなくていいのか? 皆、行ってるけど」


 海斗の質問に、美優は沙耶と葵と視線を合わせた。三人とも、あはは、と笑った。


「なんて言うか、そこまで乗り気じゃなくてさ。行けたら行くよって言っただけ」


 沙耶の言葉に、海斗は笑った。


「なんだよそれ。ま、人付き合いも面倒だしな。わかるわ」


「それに話なんて、結婚や恋愛のことばっか。すぐにマウント取る人ばっかだもん」


 わかる、と葵と美優は口を揃えて言った。二人は驚いて、お互い見つめ合って笑った。


「この歳になるとな。三人はそういう相手いないのか?」


「私はいないね。というより、結婚する気があんまりなくて」沙耶は自然な口調で話した。


「私も、今はいないかな」美優はそう言った。


「私はいるよ。二年ほど付き合ってます」


 葵の発言に、へえ、と海斗は興味を持った目になった。「もしかして、もうすぐゴールインとか?」


「どうだろ? わかんない。でも、その時はその時かな」


 相手との結婚を葵は既に準備できているように美優は思えた。


「二人はどうなの? 今、そういう人いるの?」


 葵が逆に尋ねた。美優は少しどきりとした。有名人なのに訊いても大丈夫なのか、と不安になった。


「あっ、これ訊いても大丈夫だった?」葵が自分の発言の意味に気付いたようだ。「ごめんね」


「あ、いや。大丈夫よ」海斗は何も気にすることなく口にした。彼は続けて質問に答えた。


「俺は、今はフリーかな。残念ながら」


「へえ。今はってことは、前までいたの? そういう人」


 沙耶が面白そうな顔して訊く。海斗は、「まあ、そうだな」と答えた。


「誰だろう、気になる。有名人?」葵も話に乗っかった。美優は口にしないが、気にはなっていた。


「違う違う」海斗は呆れたように首を振った。「普通の人。一般人だ」


「なんだ。つまんないの」沙耶は口を尖らせた。


「あっ、でも」葵が何かに気付いた声音を発した。「有名人と付き合っているといえば…」


 葵はそのまま視線を動かした。視線は聡太に向けられていた。


「あっ」沙耶も気がついた様で、口を開けた。「神崎桃華…」


 名前まで口にしてしまった沙耶に、美優は内心どきどきが止まらなかった。こんなことを本当に訊いてもいいのかと。けど、彼女自身とても気になっていることだった。


 聡太は顔色変えずに葵の視線を受け止めていた。反対に海斗は、何故か笑っていた。


「やっぱり、世間にはそう認知されているんだな」海斗は突然そう口にした。その言葉は誰にも向けられてはいなかった。


「えっ、どうゆうこと?」美優は気になって声に出していた。


「そういうのは本人の口から聞いた方がいいな」そう言って海斗は聡太を見る。


 聡太は少しうんざりな表情をしていた。「もう何回目? これ話すの」


「わからん。十はいってるかも」海斗は答えた。


 美優は聡太を見やった。会話の続きが気になって仕方がなかった。


 彼は口を開いた。


「神崎さんとは別に何もないんだ。彼女とはただ一度食事をしただけで、それ以外は特に関わりないよ」


「じゃあ交際してないってこと?」沙耶は言った。


「そうだね。本当、あの記事のせいで大変だよ」


 彼の口ぶりが嘘には思えなかった。美優の心の中で、ほっとした感情が生まれていた。

 

「事務所からもすごい問い詰められてたもんな」海斗は依然笑っていた。


「そうだったんだ。それは初知りだよ」葵は目を大きくした。「ネットって怖いねえ」


「あの記事のせいで、聡太ファンが泣いてるぜ」


「神谷君ロスやね」沙耶は面白そうに言った。


 彼らの人気にも影響が出そうだな、と美優は苦笑いを浮かべた。


「二人は、残りの二日は何か予定あるの?」


 美優は二人に尋ねた。単純に彼らがどう過ごすのか気になった。


「んー、特にないな」海斗は言った。「聡太は?」


「俺は、明日予定あるよ」


 聡太の発言に、皆気になった様子だった。


「何だ、デートか?」からかうように海斗は言った。


「妹とね」聡太はほんの少し笑みを浮かべた。


「何だ葉瑠ちゃんとか」


「そういや神谷君の妹って、今、大学生?」


 沙耶はそう尋ねた。聡太は、そうだよ、と答えた。


「めっちゃ美人だぜ。前会った時びっくりしちゃった」


「えー、写真とかないの? 見たい!」葵は聡太にせがんだ。


 聡太は嫌な顔せずに、ポケットからスマホを取り出して操作した。すぐにスマホの画面を、美優達に向けた。画面に表示されているのは、聡太と美優が家のソファに座っているツーショト写真だった。


「うわっ、めっちゃ可愛い」葵はびっくりして口に手を当てた。「モデルさんみたい」


「スカウトもされたことあるらしいってよ」海斗は画面を見て口する。「そりゃこのルックスだもんな」


 美優も画面を見ていた。彼の妹と会ったのはもう十年以上も前だが、あの時から整っている顔をしていると思っていた。大人になった彼女は、あの時と比べて女としての魅力が増していた。


「うわお。確かに美人さんだね」沙耶はそう口にする。「これはモテるわ」


「そりゃそうやろ。けど、葉瑠ちゃん、ブラコンだから聡太にべったりなんだよ。今も」


 美優は葉瑠と会った時のことを思い出した。あの時も彼女は、聡太にべったりだった記憶がある。


「何それ、可愛いな」沙耶は聡太を見た。


「もう大学生だから、兄離れしてほしいけどね」


 聡太は困っているようだ。けど、嫌そうには見えなかった。


「神谷君、その妹ちゃんとの予定は一日中入ってる感じ?」


 沙耶の問いに、聡太は、いや、と言った後、


「たぶん夕方前には終わるんじゃないかな?」


 そう続けた。


「そう。なら明日の夜さ、このメンバーで初詣行かない?」


 美優は、えっ、と声に出した。「沙耶、大丈夫なのそれ?」


「二人はどう? あんまり女と一緒にいたらまずい?」


 聡太は海斗を見た。海斗は、うーん、と唸った後で、


「たぶん大丈夫。変装すればいいだけだし」


「やった。美優はいいとして、葵は?」


(何故、私は行く前提なんだろう。まあ行くけど)


 少し気になったが、美優は触れないことにした。


「ごめん。明日は彼氏とデートなんだ」


 葵は顔の前に両手を合わせた。


「そっか残念。彼氏となら仕方ない」


 沙耶の計らいに、美優は困惑していた。二人は良いって言っているが、本当に大丈夫だろうか。


「明日の六時とかどう? いい?」


「うん、いいぜ」


 あれよあれよと話が進んでいく。でも嬉しい気持ちであることは間違いなかった。まさか聡太ともう一日会えると思っていなかったからだ。


「じゃあ、そろそろ帰るか。外寒いし、三人とも送ろうか?」


 海斗はそう言うが、美優含め三人は、大丈夫、と口にした。


「そっか、なら気をつけて。じゃあまた明日」


 聡太と海斗は車に乗り込み、程なくして、車は発進した。美優達は見届けた後、歩き出した。


「ちょっとだけ寄ってく?」車が見えなくなってから、葵がそう口にした。「二次会。桜達から連絡が来てる」


「うーん。どうする美優?」沙耶は答えに迷ってるようだ。


「私は、ちょっとだけならいいよ」


 あまり長居する気はないが、昔の友人ともう少し語りたい気分だった。


「そう? じゃあ行こっか」


 そうして美優達は歩いて十五分ほどの居酒屋に向かった。その居酒屋は大通りに面していた。


 すると、店の前で誰か喫煙している影が見えた。近づくと、それが誰なのか判明した。


「ん? あれ、橋本くんじゃない?」


 葵が、その人影の名を口にした。それと同時に、彼も美優達に気付いたようだった。


「あれ、三人とも今から参加?」

 

 橋本渉は煙を吐いて、そう言った。


「そんな感じかな。友人達も何人かいるっぽいし」


 発言したのは沙耶だった。


 美優は渉とは学生時代ほとんど交流がないが、クラスメイトだった。サッカー部で、少しチャラついた印象を覚えている。


 そんな彼は、聡太と小学校からの友人だと、昔聞いたことがあった。


 同窓会の席では、彼とは話をしなかった。しかし、美優はふとあることを思いついた。彼に尋ねたいことができた。


(あとで、聞いてみようかな…)


 渉と再会できたことは幸運だと思った。自分が知りたいことを彼なら知っているかも知れない。そう思ったからだ。




 

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