第43話

 ホテルの料理はやはり美味しいものばかりだった。本当なら座ってゆっくりと食べたいところだが、今日立食形式だからどこか落ち着かない。知り合いが多いこともあって、あまり量も食べれないのが残念だ。美優はそんなことを考えながら、一口サイズのケーキを口に入れた。


 同窓会が始まってから一時間以上経過した。美優は高校時代、仲の良かった友人達と再会し、楽しく会話をした。何年振りに会う人がいれば、高校卒業以来に会う人もいる。皆、歳を重ね、多少の容貌の変化はあるけど、高校当時と何も変わらない人ばかりだった。


 美優は沙耶や友人達と、テーブルの傍で固まって話していた。久しぶりの友人達との会話は、楽しくて仕方なかった。

 

 そんな時だった。少し離れた場所から、大きな声が上がったのは。その声は、悲鳴ではなく、歓声に近かった。


 美優は気になって、そちらに目を向けた。


 心臓が止まりそうになった。はっ、と口を少し開いた。


「嘘…」誰に言ったわけでもなく、美優はぽつりと呟いた。


「ええー!? 神谷君と松浦君!? うそぉ!!」


 誰かが言った言葉に、会場は歓声に包まれた。女性達の、きゃー、という声が、会場内に響いた。


 会場の入り口付近に、聡太と海斗が並んで立っていた。そっくりさんではないことは、確かだった。


 二人はあっという間に人だかりで囲まれてしまった。その状況に美優はあっけに取られてしまった。


「二人が来るの、嘘じゃなかったんだね…」


 沙耶も信じられないといった顔を浮かべていた。彼女のそんな顔を見るのは、美優は久しぶりだった。


『はいはいー、皆さん落ち着いてー!』


 幹事の代表がマイクを使って混乱をおさめようとした。


『神谷君と松浦君、ちょっと壇上に上がって、もらっても良い? 軽く挨拶だけ』


 聡太と海斗は、申し訳なさそうな顔をしながら人混みを抜けていく。二人は壇上に立って、幹事からマイクを受け取った。


「えー、本日はこのような催しに誘っていただき、本当にありがとうございます。松浦海斗と申します。お食事中なのに、騒がせてしまって申し訳ないです」


 海斗は少し恥ずかしそうに喋った。


 聡太と海斗が互いに見やった。終わりのサインを受け取ったのか、聡太がマイクを口に近づけた。


「同窓会のお誘いを受けた時は驚きましたが、本日はこのような催しに出席することができ、本当に嬉しく思っています。神谷聡太と申します。どうか皆さん、本日は楽しい一時を過ごしましょう」


 聡太は口元に笑みを浮かべて言った。話し終えると拍手が湧いた。


 最後に会った時とはまた違う雰囲気を彼は纏っているように美優は思えた。有名人のオーラとでもいうのか。学生時代の時からさらに大人びたように感じた。


『お二人とお話ししたいと思っている方も多い思います。そこは皆さんしっかり分別をつけて、楽しい時間を過ごしてくださいね』


 ありがとうごさいました、とマイクを持った幹事が締めると、聡太と海斗は壇上を降りた。


「美優、行かなくていいの?」


 突然の沙耶の言葉に、美優は、えっ、と声を出した。


「神谷君に話す時なんてもうないよ。チャンスだよ、チャンス」


「そうだけど…」

 

 美優は自信のない声音を出した。彼と再会できることは嬉しいが、いざ話そうと思うと緊張するのだ。


「頑張って! 私も一緒に行くから」


 沙耶はじっと視線を合わせてくる。そんな彼女の言葉に、美優は救われた気がした。


(そうだ。今、動かなければもう彼と話す機会なんてもうない。行かないと)


「うん。わかった!」


 美優は沙耶と一緒に、動こうとした。けどすぐに、足を止めた。


「うわあ、すごい…」沙耶が呆れたように言った。


 二人の周りには、すぐに人だかりができていた。主に女性達のだ。聡太と海斗はグラスを手に持って、一人一人と会話している。


「もう少し落ち着いたら行こっか」


「うん、そうだね」


 流石にあの状況では、ゆっくりとお話しすることはできない。美優は沙耶の言う通り、今は諦めることにした。



◆◆◆


 聡太と話す前に、美優は友人、教師達と話して、その時を待った。


 しかし、会が進むにつれ、美優は焦りを浮かべていた。


(人が減らない…!)


 彼の周りから人が減らないのだ。ひっきりなしに人が集まってくる。握手を求める人や、どこから持ってきたのか、色紙持ってサインを求める者もいた。彼は嫌な顔せずちゃんと答えていたが。


「何か、一曲歌って!」


 そんなリクエストの時は、さすがに困った顔をしていた。どうする、と海斗と相談していた。


「じゃあ、一曲だけなら」


 聡太が言うと、歓声が上がった。遠くから聞いていた美優もそれには喜んだ。こんな近くで彼の歌を聴けるなんて、思ってもいなかったからだ。


 会場の端に隅に置かれていたピアノに聡太は近づいて、腰を下ろした。弾き語りをしようとする彼を、周囲は固唾を呑んで見守っている。


「では、一曲。この曲をお聴きください」


 そうして、彼の指が鍵盤に触れて、弾き始めた。聴き覚えのある特徴的なイントロに、わあ、と歓声が上がった。その曲は結婚式でよく使用される曲であり、ファンのみならず、多くの人から知られている曲であった。当然、美優も知っていた。


 彼のピアノの演奏と共に、彼の歌声が会場に響く。美優は彼の美しい姿に、見惚れてしまった。


「どうも、ありがとうございました」

 

 彼は歌い終えると、そう口にした。その瞬間、盛大な拍手が鳴った。曲を聴いていた人の中には、涙を浮かべている人もいた。


(やっぱり、かっこいいな…)


 遠くから彼を見ていた美優は、そんなことを思う。胸の奥に閉まっていた想いが、再び開いてしまったような気がした。





「ねえ、この後の二次会行く?」


 お手洗いから帰ってきた葵が、急に尋ねてきた。美優は、


「うーん、まだわかんない」


 と、答えた。けど、心の中では、行かない、の方に傾きかけている。


「話では居酒屋か、カラオケに行くって聞いたけど」


「そう」


 その話を聞いて美優はますます行く気がなくなってしまった。飲みならいいが、カラオケはあまり得意ではないのだ。


「そういえば美優、神谷君達と話した?」


 葵は話を変えて、そう言った。美優は、ううん、と首を振った。


「私、さっき話してきたよ」


「えっ、そうなの?」


 いつの間に…。美優は彼女の顔を凝視した。


「うん、ちょっとだけね。二人とも私のこと覚えててくれて嬉しかったよ」


「そ、そう。良かったね…」


 かろうじて言葉を絞り出した。いいなあ、と心の中で思う。


 羨ましそうに彼の周りを見ると、今もまだ多くの人が彼と話している。その光景を見てなんだか泣きたくなった。もうすぐ会が終わるのに結局、彼とは話もできない。今、彼の元に行っても、挨拶を交わすぐらいしかできない。せっかくのチャンスなのに。


「美優」


 葵に名前を呼ばれ、美優ははっとした様子で彼女を見た。


 すると、葵は美優の両手を握って来た。


「同窓会が終わったら、一緒に行こ。好きだったんでしょ。神谷君のこと」


 美優は目を大きくして、彼女を見た。葵は昔と変わらず、優しく表情を浮かべていた。


「いいの?」


「もちろん。そりゃ、友達ですから」


「…ありがとう」


 胸の奥が暖かく感じた。彼女は昔から優しい人だった。美優はそんな彼女と友達になれたことを心の底から嬉しく思った。


「沙耶も行くでしょ?」


「えっ、なにが?」ちょうど沙耶がお手洗いから帰ってきた。


「神谷君と松浦君のところ」


「ああ…、うん。そうだね」沙耶は会話の内容をすぐに理解し、微笑んだ。


 それから五分ほどして、幹事が終わりの挨拶を述べた。参加者全員拍手をして、幹事達に感謝の意を表した。幹事達が最後に二次会のご軽い案内を告げ、同窓会は終わった。



◆◆◆


「松浦君達は二次会行くのー?」


 一人の女性がそう言って、聡太は海斗と目を合わせた。大分前から何故かこの女性は隣にいて、なかなか離れてくれない。


「悪いね。二次会には行けないかな」海斗が言った。


「ええー、行こうよー!」


「ごめんな。事務所から二次会はダメって言われてんだ。すまねえが理解してくれ」


 海斗が優しい口調で言うと、女性は諦めた顔になった。その顔を見て聡太はほっと胸を撫で下ろした。周りにいた人も残念な顔をしたが、すぐに理解した表情を浮かべた。ちなみに事務所からダメとは言われていない。


「今日は本当にありがとう。来てくれて」


 幹事代表の田中が、会場を後にする際にそばにやって来た。聡太は彼とクラスメイトにはなったことがなく、話したこともなかったが、愛想良く、礼儀正しい人物であることはわかった。彼と接して嫌な気分になることはなかった。


「こちらこそ。また機会があれば声をかけてください」


 聡太はそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。彼がまた幹事をするかはわからないが。


 田中と別れ、次第に聡太達の元から人が離れていった。皆、二次会に向かうのだろう。居酒屋やカラオケに行くと言っていた気がした。聡太と海斗は手を振って彼らを見送った。


「じゃあ、俺達も帰るか」


「そうだね」


 海斗と共に、お手洗いに行き、駐車場に戻った。助手席を開け、車に乗り込もうとした時、


「神谷君!」


 そう、呼ばれた。聡太は動きを止め、声のする方向に顔を向けた。三人の女性が、駆け足でやってくるのがわかった。その内の一人に、聡太は目を見張った。


「新谷さん…」


 海斗の車の前で彼女達は足を止めた。はあ、と少し疲れた声を美優は出した。白い息が彼女の口から出た。


「久しぶり。神谷君」


 彼女と会うのは、大学を卒業して以来、約五年振りだった。

 

 

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