第40話

 ライブから月日が経ち、平凡な日々に戻った。社内はクリスマスが近いことで、当日は土曜日だから恋人と過ごすのか、飲み会にいくのか、一人で楽しい夜にするのか、話題が尽きない。


「美優ちゃんは、当日どうするの? 恋人とデートとか?」


 休憩中、ニヤニヤして聞いてきたのは、先輩の塚原美来つかはらみくだ。美優より三つ年上の女性社員だ。彼女には入社時からよくしてもらっている。


(私は、特に何もないけど…)


 美来の考えとは裏腹に、自分の予定は何もない。いや、まだこれからできるかもしれない。


「私はーー」なにもないと、言いかけたところで、美優は口を止めた。


 先日、クリスマスの日はどうしているのかと先輩の男性に聞かれた。男性は当日どこか行かないかと誘ってきた。しかし、美優はそれを断った。単純に面倒だったから。もちろん、予定がある、とその時は理由をつけた。


 なにもない、なんて言ったら嘘だとバレてしまう。それに、もしかしたら気がない男から言い寄られる可能性もある。それは避けたい。


「その日は友人とパーティーするんです」咄嗟に浮かんだ理由を美優は口にした。


「いいなあパーティー」美来は羨ましいそうな顔をした。「私なんて何もないよ」


「家族でどこか行けばいいじゃないですか」


「それがさー、夫がそういうの全く興味なくて。普段通りでいいって言うから、いつも通り家で食事するだけだよ」


「へえ、意外」美優は目を大きくした。「クリスマスに何も思わないなんて」


「ほんとよね。子供にプレゼントあげるだけで、あとは何にもよ」


「でも、サンタさんにはなるんですね。良い人じゃないですか」美優は微笑んだ。


「まあ、プレゼントはそうだけどさあ、私的にはもうちょっとパーティーっぽくしてもいいと思うんだよねえ」


 美来は華やかなクリスマスが送りたいらしい。これまで、ぱあっとはじけるクリスマスをきっと経験してきたのだろう。子供を持つと、自分のやりたいことが制限されるから物足りないのだろう。


 どちらかというと美優は美来の旦那と意見が合う気がした。派手にやり過ぎても疲れるだけだ。飾り付けとか面倒だし。


 当日はピザでも買って一人で晩酌でもするかな。美優は頭にクリスマスの計画を練った。それだけで十分な気がした。


 しかし、数日後。美優の元に一通のラインがきた。それはクリスマス当日、二人で飲まないかとのことだった。


(一人よりは、二人の方がいっか)


 美優はオッケーと返信した。


◆◆◆


 十二月二十五日。クリスマス当日は雪が降った。ホワイトクリスマスなんて人生で初めてかもしれない。美優はベランダから空を見上げた。


 夕方に沙耶が自宅にやってくる予定だった。それまで彼女は会社の子と遊んでくるらしい。


 四時半頃に沙耶はやって来た。玄関を開けると、やっほ、と手を上げた彼女が立っていた。入って入って、と美優は彼女を招き入れた。


「久しぶり、美優の家入るの」沙耶は靴を脱ぎながら言った。そのままリビングまで歩き、「はいこれ」と手提げ袋を美優に差し出した。


「なにこれ?」美優は手提げ袋を掴み、中を覗いた。


「ケーキだよ。それもアルブルの」


「え、うそっ」美優は沙耶の顔をまじまじと見た。「並んだの?」


「うん。でもちょうど空いてるタイミングだったから、運良く買えたよ」


 アルブルは自宅最寄り駅近くにあるケーキ屋だ。それなりに名のあるケーキ屋なので、地元客が多く来店する。毎年クリスマスは店の外まで並んでることもある。


「嬉しい! ありがとう!」


「どういたしまして」沙耶はニッと白い歯を見せた。


 美優はテーブルの上に、買っておいたチキンやポテト、事前に作っておいたスープやらを置いて準備を進めた。


「わっ」


 ソファに腰を下ろしていた沙耶が突如声をあげた。美優はびくりと肩を上下させた。「びっくりした。どうしたの」


「いや、その…」


 沙耶の視線が泳いでいた。明らかに動揺していていることに、美優はすぐわかった。

 

「なに。そんなに話しにくいこと?」


「そういうわけじゃないけど…」


「じゃあ、なに?」


 沙耶は覚悟を決めたように、真剣な顔を向けてきた。


「美優にとって悲しいニュースだけど、いい?」


「えっ、私?」美優は驚いた。それに悲しいニュースってなんだろう。気になる。「まあ、いいけど…」


「これ」沙耶は自分が見ていた画面を、美優に向けた。


「んー?」美優は画面に近づいて見た。


 画面にはこんな内容が映っていた。


『大人気バンド ○○ ボーカル 神谷聡太。人気急上昇中モデルと熱愛か』


 心臓がどくんと跳ねた。美優は声を発することなく、続きを読んだ。


 十二月上旬。聡太とモデルの神崎桃華が東京都内の飲食店で二人きりで食事をしていたとのこと。記者がその時の様子を複数のカメラに収めていた。写真には帽子を被る聡太と伊達メガネをつけた神崎桃華が隣並んで歩いている姿、店内で何か話している様子などが映っている。


「神崎桃華、ねえ」沙耶が少しして言った。「可愛いから、最近ドラマやバラエティによく出てるもんねえ」


「そうだね」美優はありがと、と言って画面から離れた。「ほんと、よく出てる」


「美男美女カップルかあ…。美優、大丈夫?」


 沙耶が心配そうな目つきで聞いてきた。美優は笑って答えた。


「大丈夫だよ。昔とは違うんだから」


「そう。ダメージ少なそうでよかった」


「ちょっとだけ、ダメージ負った」美優は笑って、人差し指と親指でジェスチャーをした。


「でも、神崎桃華かあ。可愛いもんねえ」沙耶はどことなく言った。


「そうだね。神谷君なら女優とか全然釣り合いそうだもんね」


 美優は聡太が神崎桃華と並んで歩く写真を思い返した。彼はどういう心境で、彼女の隣を歩いてたんだろうか。


「そういやさ」沙耶は思い出したように言った。「神谷君ってさ。恋人いたことあったっけ?」


 美優は、顎に手を置いて考えた。


「東京行ってからはわかんないけど、こっちにいた時はたぶんいなかったと思う」


「だよね。すごく言い寄られたり、誘われたりする所は見たことあるけど、彼女がいたってことは聞いてないよね」


 美優は記憶を掘り返した。高校、大学…。彼に恋人はいなかったはずだ。好きな人のことだから、間違ってはないと思う。


「神谷君のルックスなら、彼女なんてすぐ作れるのに。何で作らないんだろ」


「うん。確かに」美優は頷いた。


「そういえばさ、高校の時話題になったよね」そう言って沙耶は持参していたペットボトルのお茶を一口飲んだ。「神谷君、女性が苦手なんじゃないかって」


 美優もその話題は知っていた。多くの女子生徒が神谷君のことをよく話しており、彼の女子を寄せ付けない防御力と性格からそんな話題がいつからかあがったのだ。しかし、話題はすぐに消えてしまった。


 それに美優は、彼と接してなんとなく理解していた。彼は女性に対して、どこか恐怖心を抱いているのではないか、と。


「もしかしてそれが本当で、彼女作らなかったのかもね」

 

「そうかもね。はい、これで完成と」美優は全ての料理をテーブルに置いた。


「うわ、おいしそう! 美優いつからこんな料理上手になったの?」


「頑張って自炊しようと思って、色々勉強したんだ。そうしたらハマっちゃって」


「おお、それはすごい。私も見習わないと」沙耶はテーブルに置かれた料理を、スマホで撮影した。


「さ、食べよ食べよ。冷めちゃう」美優は沙耶の隣に腰を下ろした。


 お互いグラスにビールを注ぎ、かんぱーい、とグラスをこつんとぶつけた。美優はグラスに口をつけ、ビールを口の中に入れた。炭酸とビールの苦味が喉に伝わるこの快感が最高だ。グラスを置いて、はあ、と息を漏らした。昔は苦手だったビールも今や欠かせない品だ。


「んー! おいしいこのだし巻き卵! どうやって作ったの!?」


「これはねえーー」美優は沙耶に料理の作り方を教えた。


 沙耶の話を聞いて美優は、聡太が女性が苦手になった理由が気になって仕方なかった。けどそれは頭の隅に置いておくことにした。



◆◆◆


「あ、この曲。前ライブでやってたよねえ」


 テレビCMから流れた曲に沙耶が反応した。その曲は聡太達の曲だ。以前のライブでも披露していた。


 二人で全部の料理は食べ切ることはできなかった。ちらほら完食したものはあるが、まだ残っているものもある。けどそれは想定済みだった。


 美優もお腹いっぱいで休憩していた。これ以上食べたら気持ち悪くなってしまう。


「ちょっと休憩してからケーキ食べよっか」


 沙耶からもらったケーキは冷蔵庫にある。どんなケーキがあるのか楽しみだ。


「ん、なんかきた」


 沙耶がスマホを手に取って言った。とろんとした目で操作している。ビールにワイン、結構飲んだから酔うのも当然だった。美優も、結構酔っていた。


「あっ、ルイからだあ」


 ルイ、というのは高校時代の友人だ。高校時代、美優も彼女とはよく一緒にいた。


「んー、えっ! はあ!??」


 酔っ払った声が突如、素っ頓狂に変わった。その変貌に美優は驚きのあまり、固まった。


「ど、どうしたの沙耶。そんなびっくりして」


 美優は沙耶の顔を伺った。彼女は、口を半開きにして、スマホを指差した。


「来るって…」


「え、何が?」美優は首を傾げた。


 沙耶は完全に目が冴えた様子で、ふぅ、と一旦深呼吸した。何が彼女にあったのか、と美優は不思議でならなかった。


「ルイも他の子から聞いたらしいんだけどーー」


 次の瞬間、沙耶はとんでもないことを口にした。


「神谷君と松浦。同窓会に来るって」


「…えっ?」


 数秒何も言えず、やっと出た言葉がそれだった。


「本当かどうかわからないけど、二人が来るらしい。同窓会に」


「うそ…」


 重かった頭がすっと軽くなるぐらい、目が冴えた。


「でも、二人来たらすごいよね。ウチらの世代じゃ、有名人だし」


「本当に、来るのかな?」美優はまだ信じられなかった。


「私にもわからないよ。けど、その話が広がってるってことは、もしかしたら本当なのかもしれないよね」


 同窓会は正月明け。1月の第一週の土曜日と予定が決まっている。


(神谷君が本当に…?)


 酒を飲んではずなのに、今日は眠るまで時間がかかった。



 


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