第37話
神谷、とネットで検索すると、検索候補に聡太という名前が続く。しかも一番上に表示される。神谷聡太という人物はそれだけ世の人から興味を持たれているのだ。
上京から五年が経った。今、日本で神谷聡太を知っている人は、数えきれないほど存在する。若者から世代問わず、今や絶大な人気を誇る四人組バンドのボーカル兼キーボードとして、名が知られている。
バンドメンバーは神谷聡太、毛利翔、武田大成、松浦海斗の四人。彼らの人気に火が付いたのは二年前だった。連続ドラマの主題歌がスマッシュヒットをしたのをきっかけに、次々とテレビCMで彼らの曲が起用されるようになった。そしてその勢いそのままに、ある劇場版主題歌を手掛け、それが大ヒットと化した。ライブのチケットがすぐ完売し、今や一番チケットが取れないほど、彼らは令和を代表するバンドにまで成長した。
作詞作曲は主に聡太が行っている。編曲はメンバー全員だ。彼らが作る曲はとにかく幅広いのが特徴だった。心浮立つようなポップ曲。人間の恋心を考えもつかない歌詞で、痛い程共感できるバラード曲。一転して、ダークな印象を持ったハードな曲まで手掛けるのが、彼らの人気を象徴させていた。
中でも、ボーカルの聡太は、ファンをはじめ、様々な人達から天才と評されている。聡太の作るメロディーは不思議と世の人たちを虜にする。ヒット曲製造機なんて一部からは言われている。それだけではない。特に彼の圧倒的な歌唱力がバンドの魅力だった。ライブではCDとほぼ変わらない歌声で観客を魅了する。天才と言われても無理はなかった。
聡太の人気はバンドとしてではなく、彼個人としてもあった。彼の容姿が多くの女性ファンを引き付けているのだ。俳優にも劣らないその容姿のおかげで、彼らのファンの層は十代、二十代の若い女性がとても多かった。容姿もそうだが、聡太の落ち着いた性格や悪い噂も何一つ報じられないことも、彼の人気を支える理由でもあった。
しかし、人気の裏には挫折もあった。上京してすぐは全くといっていいほど名が売れず、街に出てビラを配って宣伝もした。ライブハウスに全く観客が来ないという悔しい思いもした。それでも、諦めず、夢を追い続けた結果、少しずつ人気が出て来た。そして、ある一人のプロデューサーに彼らは発見され、ドラマの主題歌をやってみないかと提案を受けたのだった。
上京して五年経っても結果が出ないなら帰る、と家族に伝えた。でもその言葉に従わなくて済みそうだと聡太は思った。
▼ ▼ ▼
「あっ、こんにちは! お久しぶりです」
テレビ局の廊下を歩いていると、声をかけられた。聡太は視線を動かした。そばにはテレビ用の衣装に着替えた整った顔立ちをしたモデルが立っていた。白と黒を基調とした衣装だった。
「ああ、どうも。お久しぶりです」
聡太は会釈して応じた。
(確か、
頭の中で女性の名前を必死に思い出した。歳は二十五だったはずだ。彼女と会ったのは一ヶ月程前だった。
都内喫茶店でディレクターと打ち合わせをしている時だった。ディレクターがお手洗いに行っている際、不意に左隣の席から声をかけられたのだ。
「あの、もしかして、○○の神谷聡太さんですか」と。
聡太は一応変装はしておいたが、伊達眼鏡をかけただけだった。隠すつもりもなかったので、眼鏡を外して正直に答えた。「はい、そうです」
「やっぱり! あのっ私、モデルをしています、神崎桃華といいます」彼女は無邪気な笑みを見せて言った。
彼女も帽子や伊達眼鏡で変装をしていたが、今はそれを机に置いていた。
聡太は彼女の顔を見た。数秒凝視して、どこがで見たことある顔だな、と思っていると、あっと口を少し開けた。車のCMで出演する女優と同じ顔をしていたからだ。
「打ち合わせでもされてたんですか」彼女は尋ねた。
「ええ」聡太は頷いた。「次の曲について、少しだけ」
彼女は興味深そうに目を大きくした後、言葉を発した。
「実は私、デビュー以来ずっとファンなんです! ずっと似た人が横にいるなって思ってたんですが、まさか本当に本人だったなんて…。もう嬉しすぎて手が震えてます」
聡太は微笑んで、「そうでしたか。それはありがとうございます。嬉しいです」と返した。
「今度、ライブ行きます! 神奈川公演の二日目に」
「そうですか。ありがとうごさいます。是非楽しみにしていてください」
そこでディレクターの佐々木がお手洗いで帰って来た。佐々木は三十代後半の男だ。彼は帰ってくると一旦桃華の顔をちらりと見たが、特に何も反応しなかった。しかし、物凄いスピードで彼女の顔をもう一度見返した。「あれ、神崎、桃華だよね…?」
彼女は、はい、と少し照れて応じた。佐々木は口をあんぐり開けて「はあ…」と言って聡太を見た。「聡太君、知り合いだったの?」
「いえ、そういうわけでは…。自分もさっき知って驚きました」そう答えて聡太は席を立った。薄着の上着を着てから彼女に視線を移した。「では、これで」
「あ、はい。お疲れ様です」彼女は頭を下げた。
店を出てから佐々木はずっと彼女の話をしていた。聡太はあまり知らなかったが、話を聞いて彼女がテレビ業界で人気の人物であるということを知った。
そんな彼女と再会した。彼女と会うのは約一ヶ月ぶりだった。
「先日のライブ。本当に最高でした!」
「ありがとうございます。楽しんでいただけてなによりです」
その言葉には聡太は素直に喜んだ。純粋にファンが楽しんでくれることは歌手としてこれほど最高なことはない。
桃華ちゃーん、と廊下の奥から脂ののった声が聞こえた。桃華は、はーい、と声に出して応じた。
「お仕事頑張ってください」聡太は、彼女と別れる際に言った。
「ありがとうございます!」彼女は嬉しそうに笑った。「あっ、神谷さん。ちょっと待っててもらっていいですか」
「え? あ、はい」聡太は急な彼女の要求に驚いた。
彼女は廊下を小走りに走って、どこかに消えてしまった。それから一分も経たずに小走りで帰って来た。
「これ、もし良かったら」彼女は一枚の折り畳まれた紙を聡太に差し出した。
聡太は紙を受け取ると、彼女は「では」と去っていった。
彼女がいなくなったあと、聡太は紙を開いた。そこには彼女の電話番号と思われる十一桁の数字が書かれていた。数字の下には、『今度、もしよかったらお食事にでもどうですか』とさらに書き込まれていた。
「聡太君、本当モテるねえ」
隣に立つマネージャーが言った。聡太はその言葉に心の中で、この後の対応が大変なんですよ、と返した。口からは決して言えない言葉だが。
聡太は現在二十七歳、いわゆるアラサーだ。この歳になると周囲から結婚の話がすぐにあがる。飲み会でもそうだ。気づいたらその話題になってることが多い。
聡太は話を振られると、あまり考えてないですね、と言うのが定石だった。半分は本心だが、半分は嘘だ。本当は結婚なんてできる領域に達していない。
今まで色んな異性から誘われ、告白をされてきた聡太だったが、交際した人は一人もいない。恋愛ができない男なのだ。
それでも過去に二人、気になる女性はいた。彼女達は何度もぶつかってきてくれて、何度も心を揺さぶられた。しかし結局、彼女達とは別れることになってしまった。
彼女達は今どうしているだろうか。聡太はふと彼女達の顔を思い浮かべた。上京してから二人とは再会していない。どんな生活をしているのかも知らない。
女性は二十代で多く結婚する。だから彼女達もきっと結婚しているだろう、と聡太は思った。あれだけの女性なのだ。寄ってくる男はすぐにいる。
考えると何故あれほど彼女達に好かれたのか、不思議でならなかった。自分の何が良いのか聡太にはわからなかった。
来週、聡太は地元でライブがある。地元には年に一回、主に年末年始に帰省はしているが、友人達にはまともに再会していない。
もしかしたら誰かがライブに来てくれるのかもしれない。なんてことを聡太は考えた。もし来てくれるのなら、自分の成長した姿を見せれるからこの上なく嬉しい。
まだ始まってもいない事に、聡太は胸を膨らませた。来週が楽しみだ。
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