第34話

 季節は夏から秋、そして冬に近づいた。後期授業がスタートしてから、聡太の日常は大学とバイトの行き来ばかりだった。けど、退屈ではなかった。授業は興味深い話が聞けて、実に為になる。バイトは忙しいが、お金のことが貯まることを思えば、苦にはならなかった。


 しかし、残念なこともあった。それは大学祭だ。聡太は昨年と同様に海斗らとバンドを組んだ。もちろん今回はボーカルを自ら進んで希望した。だが、本番二週間前。海斗が手を骨折してしまったのだ。自宅の階段ですっ転んだらしかった。そのことを聞いて、出場は仕方なく断念した。


 クリスマス、お正月過ぎ、期末試験が終わると二回目の春休みを迎えた。三ヶ月の間、海斗達と旅行に行ったり、美優や春奈の二人から連絡が来ることもあった。もちろんデートの誘いだ。聡太は二人とも充実な時間を過ごした。


 そうして春を迎え、三年生になった。やることはなにも変わらない。授業を受け、バイトをする。もちろん遊びもだ。退屈を感じさせないほど、充実した日々を過ごしていた。


 そうした日々に少し変化が起こったのは夏頃だった。きっかけは翔の発言だった。


「そろそろ就職活動しないと、やばいかなあ」


 軽音部の部室にて。翔は椅子にもたれ、だらけた姿勢をとっていた。机を真ん中にし、それを囲むように全員は座っている。


「もう? 早くない?」


 発言したのは大成だった。


「でも三年の今頃からって言うぜ。俺の友人でも前にインターンの予約したって言ってた」


「まじかあ。皆まじめすぎないか」


 大成の発言には聡太も同意見だった。まだ焦る時期ではないと思ったからだ。


 聡太自身、現段階で将来のことに関しては特に何も考えていなかった。もう少し時期が経ってから、行きたいと思える場所を探せばいいと決めているからだ。大企業じゃなくてもいい。それなりの安定した会社に就いて、家族を安心させれば良いと思っている。


「俺、なんも考えてねえぜ将来のことなんて。翔はもう考えているのか?」


「うーん、大体はね。今のところエンタメ系がやりたいかな」


「エンタメ系って?」


「映像や音楽。あと出版とかかな。そういう系」


 その話を大成はへえ、と頷いて聞いた。「じゃあ、大企業目指してるのか」


「まあね。受けるつもり」


「樹はどうなんだ」大成は話をふった。


「俺は公務員かな。やっぱり安定だから」


「そういえば公務員講座取ってたな」口にしたのは翔だ。「なに、市役所とか目指すの?」


「たぶんね。警察や消防には向いてないから、そういうところ受けると思う」


「いいなあ、公務員かあ。安定してるもんな」翔は羨ましそうに言った。


 聡太は、と翔に続けて話を振られた。聡太は何も考えていないことを口にした。


「意外。聡太は一番将来のこと考えているかと思った」大成は仲間がいたことに喜びを見せた。


「もう少し後になってから考えようかなと思ってる」聡太は言った。


「そうだよな。まだ焦る時期じゃないよな」大成は納得したように頷いた。


「海斗はどうなんだ? 何か考えてる?」翔は海斗に顔を向けた。


「俺はー-」海斗は考え込んだ後に言った。「バンドやりたいと思ってる」


 この発言を聞いて皆がおおと声をあげた。


「良いね。夢があるわ」大成は白い歯を出して笑みを見せた。


「てことは、就職はする気ない?」訊いたのは樹だ。


「それはわからん。最近になってやりたいって思い始めたから、来年になったら変わってるかもしれんな。それにやるとなったら家族に説得しないとダメだし、意外と面倒だろ」


「確かに。親は就職してほしいと思ってるからね」大成はどこか遠い目をして口にした。日頃から親に言われているのかも知れないな、と聡太は感じた。


将来の話はここまでとなった。それからはいつも通りの日常に戻った。



◇ ◇ ◇



「え、将来の夢?」


 電車内で美優はそう訊き返していた。彼から質問されることはあまり多くないので、意外だった。


「うん。新谷さんは何か考えているのかなって」


 彼の目が近くにあるのを見て、ほんと整ってるな、と再確認する。まるでどこかの俳優さんだ。そんなことを考えてしまって、いけない、と頭を振った。


「私は、どうだろ。まだ何も考えていないかも。普通に地元か、県内のどこかに就職するんじゃないかな。まだ何かやりたいなんて考えたことなかった」


 季節は秋となり、大学三回目の文化祭が間近に迫っていた。来年四年生だから、この時期から就職を考えないといけないのかもしれない。早い人はもう面接を受けた、とどこかで聞いた。でも焦りは何も感じなかった。来年で良いと思ったからだ。しかし、彼が尋ねてきたことによって、美優は若干の焦りを覚え始めた。


「神谷君は就活どう? もうやってるの?」美優は訊いてみた。


「いや、まだ何もやっていないよ」聡太は前を向いたまま答えた。「だから他の人はやってるのかどうか気になってたんだ」


「そうなんだ」美優は彼の横顔を見て、意外だなと思った。彼なら既に動いていると思ったからだ。


 美優は彼が働く姿を思い浮かべた。脳内でかっこいい彼の将来が再生された。五年後。十年後。歳を重ねたらまたそれは味のある姿になりそうだ。その時は誰かと一緒に暮らしているのだろうかー-。


「そういえば」聡太は言った。その声で美優は現実に引き戻された。「学祭。今週あるね


「あ、そうだね」美優は妄想を必死に振り払って、彼を見た。「今年は大丈夫?」


「うん。今年はちゃんと出るよ」はっきりした声で彼は言った。


「良かった。楽しみにしてるね」美優は微笑んだ。


 昨年はトラブルがあって出場せず、残念な思いに駆られた。一年長かったが、やっとだ。彼の歌を見れることに、数日前から楽しみで仕方なかった。彼の歌を聴けるのは高校三年生の文化祭以来だ。


「頑張るよ」彼の声は自信で満ちていた。どんなパフォーマンスを見せてくれるのか楽しみだ。



▼ ▼ ▼ 



 会場の体育館にいる観客は全員ステージに注目していた。彼らが出てくるまでは隣の友人と会話していた人も、今は黙っている。それだけ、彼らの演奏が魅力的に映ったのだろう。


 やっぱりすごいーー美優はステージで歌う聡太を見た。ピアノを弾きながら、力強い声が会場に響く。


 これが見たかったのだと美優は改めて思た。高校の文化祭で見た時と同じ興奮を胸に感じていた。


「すごいね。神谷君」隣に座る沙耶が言った。「やっぱ天才だわ」


 その言葉には同意見だった。彼ほど才能を持った人物を近くで見たことがない。


「かっこいいなあ」美優はぼそりと呟いた。思わず言葉が漏れてしまうほど、酔いしれた


 ふと、彼が将来の夢について語ったことを思い出した。


 神谷君なら日本を代表するアーティストになったりしてーーそんなことを美優は思った。


 

 

 彼らの出番が終わり、美優は体育館を後にした。これから何をしようかと思った時、体育館横で人だかりが出来ているのを見つけた。


 美優はそれが何の意味を指すのかすぐに理解できた。なぜなら同じことが高校時代にもあったから。


 少し近づくと、やっぱりな、と笑みを浮かべた。人だかりの中心には聡太がいた。


 彼は複数の女性から話しかけられていた。写真を迫られたり、スマホを手に取って連絡先を聞こうと誘っているのがわかった。彼は驚いた表情を見せるも嫌な顔はしていなかった。それが彼の良いところだ。


「美優も参戦する?」横から沙耶が話しかけてきた。さすがに今は、と断っておいた。


「私は後で参戦するから」美優は沙耶を見た。


「さすが神谷君に近い女。自信が違うね」沙耶はからかうように言った。


(近いけど、遠いんだよなあ)


 美優は心の中でそう答えた。本当に遠い。いつも諦めそうになるけど、やっぱり諦めたくないの繰り返しだ。


 気づけば三年生で、来年一年間が終われば卒業。そうしたら彼と出会える機会も少なくなるだろう。


 カウントダウンはもう既に始まっているのだ。例え彼に好きと言われなくても、自分が選ばれなくても、最後まで諦めない。後悔だけはしない。そう美優は心に決めていた。


 

 

◆ ◆ ◆



 やっぱりかっこいいなーー春奈は観客席からステージを見てそう感じていた。久々に彼が舞台に立って歌う姿はやはり素晴らしい。何度でも見たくなる。


 春奈の周りにいた観客は、先ほどまでは何やら騒がしく喋っていたが、彼がステージに立って歌い始めたら、急に静かになった。彼女のらの視線が一気にステージに向いた。それを見て春奈は口を緩めてしまった。すごいでしょ、と自慢したくなった。彼の魅力なら長々と紹介できそうだった。


 手を叩き、腕振りしてライブを楽しんだ。まるでアーティストのライブに来ているかのようだった。


 そういえば、と春奈はふと思い出した。数日前、彼と食堂で休んでいた時のことだ。彼から将来の夢についてどう考えているか問われたのだ。


 まだ二年生だから考えてもしなかったのが春奈の回答だった。何もというわけではないが、皆が言う、安定した仕事に就ければいいとざっくりと頭の隅には思っていた。


 彼は三年生だからもうじき本格的な就活が始まる。少し焦りを感じているからそんな質問をしてきたのかもしれない。彼に訊くと、そうだね、と春奈の思った通りの回答が返ってきた。


 そんな内容を思い出して、春奈はステージを見ていた。彼ならミュージシャンにでも向いてそうだなと思った。彼の才能からいずれは日本中の多くの人が彼のファンになるだろう。そんな予感がした。


 人一倍大きな拍手が会場に鳴った。観客全員彼らのステージに虜になっていた。


 会場の裏では、人だかりができていた。この現象は高校生の時にも見た。人だかりに近づくと、彼はその中心にいた。多くの女性から声をかけられていた。


「高校の時もあったね」横から楓が言った。「やっぱりすごいね。神谷さんは」


「そうだね」春奈は憧憬の思いで彼を見ていた。「ほんと、すごい」


 こんなすごい人が近くにいる。そのことを改めて春奈は再認識した。こんなに近いのに、中々あと一歩、距離が縮まらない。


 彼が大学を卒業したら、会う回数は減るだろう。もしかしたらずっと会えなくなる可能性だってある。


 何とかしてこの学生期間に、彼を振り向かせたい。でもどこか諦めてしまう自分がいる。不安と曲げない信念が混ざった日々を繰り返している。けど悔いだけは残したくなかった。


 諦めない、そんな決意を春奈は固めた。



□ □ □


 季節はあっという間に過ぎ、学生時代は終わりに近づいていた。


 今思えば、彼女らと過ごした生活はとても素晴らしいものだったと、聡太は思い返した。


 しかし、そんな生活も終わりが近づいている。


 聡太は言わなければいけない。彼女らに想いを伝えなければならない。


 別れが決まっていようとも、素晴らしい学生生活を共に送ってきた友人には伝えねばならない。


 この選択がどうなるかわからない。けど海斗の提示したこの道をやってみたいと思ったのだ。


 彼が話がある、と言って呼び出したのは春頃のことだった。




 





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