第31話

「おお! 海だ!」


 車窓から映る水平線の景色に、一同は目を大きくさせた。反応の薄い聡太も、こればかりは驚いた。


「天気も良いし最高だな!」


 海に入ることが待ちきれないのだろう。海斗は無邪気な子供のようだった。


「春奈ちゃんは海行くの初めてだったけ?」


 運転席でハンドルを握る毛利翔が春奈に尋ねた。春奈は翔から斜め左の後部座席に座っている。


「そうです。楽しみです」


 春奈も待ちきれない様子だった。聡太はそんな彼女の横顔を見た。


 海に行くことが決まったのは、一週間前だぅった。提案者は海斗はだった。


「夏らしいことがしたい!」と海斗が言ったのがきっかけだった。そこから夏休みに海に行こうという計画が立ったのだ。


 海斗の呼びかけに、聡太、同じく軽音部の翔、高野樹、斉藤亮太、武田大成の男子六人が集まった。後の二人は即決だった。


「でも、男だけじゃ、つまらないよな」


 亮太の一言で女子も誘うことになった。そうして集まったのは、春奈とその友人の楓と早川沙希の三人。全員一年生だ。


 そしてもう三人。美優、沙耶、その友人の吉野舞。こちらは全員二年生だ。


 早川沙希と吉野舞とは、海斗は以前から交流あった。そのことは後に聡太は本人から聞いた。ともかくその二人から春奈や美優達に繋がったのだ。


 一泊二日の海旅行。海の近くの旅館に今晩は泊まることになっている。大学生の良い思い出になりそうだった。


 さすがの大所帯なので、車は三台出した。運が良いことに、車を持っている者が三人いたのだ。翔、樹、大成の三人の車に分かれて、それぞれ乗車した。聡太は翔の車に乗った。車内には海斗が助手席、春奈が聡太と並んで後部座席に座った。


 車を走り始めて数時間。駐車場に車を停めて車内から出た。海水の匂いが鼻をくすぐった。少し遅れて二台到着して、全員が車から降りた。


「おお!」

 

 一面に広がる海の景色に、また驚く。車窓から見るのとはまた違った。


 海の家に更衣室があるらしく、全員で向かった。既に水着に着替えている者もいた。海斗や翔は自宅から履いてきたらしい。


 更衣室で着替えを済ませて、外に出ると焼け付くような光が目に入った。日焼け止めを持ってきて良かったと心から思った。前に海に行った時、日焼けをしたせいで熱は出る、体は痛い、熱いで散々だった。これ以降、日焼け止めを塗ることは欠かさないようにしたのだ。


 男子全員で女性陣を待つこと数分。更衣室から全員出てきた。


「おお、素晴らしい…」


『この驚きは海を見た時とはまた違うもの。男だけにしかわからないものだ』後になって翔が聡太に言った言葉だ。


 聡太を除く男子がそう声を上げると、吉野舞を除く女性陣は少し恥ずかしそうにやって来た。吉野舞だけは堂々としていた。

 

「どうよ! この引き締まったウエストは!」


 腰に両手を当て、男子全員に訊いた舞。黒の水着を纏い、女性の体を全面に出していた。


「大変素晴らしい。でももう少しーー」


 大成の視線は胸元に向けられていた。


「なに? なにか言いたい事ある?」


「いやなんにもないです」


 舞の目が笑ってなかった。大成は自分の身に危険を感じたのか、謝罪した。


 聡太も彼女の胸元に目を向けた。平らではないが、わすがに膨らみが見られる。確かに小さい分類に入るのだろうと思った。


「神谷君? どうかした?」


 舞に見ていたことが気づかれてしまいどきりとした。舞の目が怖い。その後ろにいた二人の人物の視線も感じられた。


「いや、…」


 聡太は考えた。この場面を乗り切るにはどうすべきなのかを。


「その、水着。似合ってるなと思って…」


 いつもの調子でそう口にした。


「…そう? ありがとう」


 舞は意外そうに目を瞬いた後、少し照れたように言った。


 危なかったーー聡太は内心ほっとした。


「おお。これはこれは可愛らしい」


「惚れたな完全に」


「さすが聡太。女を落とすの上手い」


 男子が舞の様子を見てニヤニヤしだした。最後のは気にはなったが。


「俺もそう言えば良かったのか。舞ちゃん! その水着ーー」


「あんたは遅いわよ!」


「ええ…」


 大成はしょんぼりした様子で肩を落とした。舞はちょっとご機嫌になっていた。


「早く遊びましょ! ほら行こ!」


 そうして舞と翔、大成は海に走って行った。それに倣ったのか、楓と春奈、海斗、樹も海に走って行った。


 残されたのは聡太、美優、沙耶の三人になった。


「私もちょっくら行ってくるわ!」


 沙耶は二人を交互に見て、連中の後を追った。聡太と美優だけがその場に残された。


「とりあえず、パラソルでも立てる?」


 美優が少し呆れたように皆を見ている。


「そうだね」


 聡太も海で皆がはしゃぐ姿を見て、答えた。




▽ ▽ ▽


 

「新谷さんは、遊ばなくていいの?」


 パラソルの下には二人。聡太と美優が座っている。視線は海に向けられている。


「私はいいかな。海水があんまり好きじゃなくてね。こうして日陰でのんびりしてる方が楽しい」


「そっか」


 聡太は美優に目を見た。彼女は白い水着を纏っていた。胸元にはフリルが付いている。


 彼女と視線が重なった。聡太は少し気まずさを覚えた。


「…変、かな?」


 自分の水着を見て、自信なさそうに美優は言った。


「ううん。似合ってる、と思う」


 聡太はもう一度彼女の水着姿を見た。彼女の白い肌と、モデルなような体つきに見事に合っていた。


「そう? ありがとう」


 美優は照れ臭そうに笑った顔を見せた。


「黒色の方が良かったかな」


「どうして?」


「だって神谷君、さっき舞の水着見て、似合ってるって。黒色が好きなの?」


「そういうわけでは。単純にその人に合っているなと思ったから。新谷さんはその水着で良いと思う」


「そう? でもごめんね、ビキニスタイルじゃなくて」


 美優は聡太の顔色を覗くように視線を送ってきた。


「なんで謝るのさ」


「だって男の子はみんな好きじゃん。視線で分かるんだからね?」


 聡太は返答に困った。まるで変質者扱いされてるみたいだ。そういう気は本当にないのだが。


「今度はビキニにしてみようかな。どうかな、似合うと思う?」


 彼女の顔は悪い顔をしていた。聡太の反応を楽しんでいる。


「どうだろう。似合うんじゃないかな。だって新谷さんスタイル良いし」


「へ、へえ、ありがとう。何か恥ずかしいね」


 美優はまた照れ臭そうに笑った。


 海では、黄色い声と野郎の声が混じり合ってよく聞こえた。その光景は遠くから見ても十分楽しめた。


「あっ! ふふっ、なにやってんの沙耶」


「すごい勢いで落ちたね」


「うん。皆、爆笑してる」


 聡太も口元を緩めた。何とも微笑ましい光景だった。


 聡太は、何気なくあることを訊いてみた。


「そういえば、もう大丈夫なの」


 美優はきょとんとして、「なにが?」と答えた。


「あの人、木部って男。新谷さんに迷惑かけてた」


 ああ、と美優は視線を落とした。でもすぐに安堵した表情を見せた。


「大丈夫だよ。神谷君に彼氏役やってもらってから、全然話してこないし。何もないから安心して」


「そう、なら良かった」


 ほっとした様子で聡太は言った。


「でも、神谷君にはもう少し彼氏を続けてほしいかな」


 その言葉とともに、手の上に柔らかい感触が乗った。視線を落とすと、美優の手だった。それに彼女との距離が近い。


「その、またいつ面倒なことになるかわからないから。ダメかな」


 美優との距離に、聡太は驚きながらも、わかった、と口を動かした。


「美優ー! 神谷君! 皆でビーチバレーするから、一緒にやろー!」


 心臓に電気が流れたようで、びくりとした。美優も瞬時に手をどけて聡太から離れていた。


「う、うん。わかったー! 今行く!」


 動揺を隠さずに美優は声を出した。顔が赤か見える。


「じゃあ、神谷君。行こ!」


 美優が立ち上がって、言った。


「そうだね」


 聡太も立ち上がって、日向を出た。


 灼熱の日差しが体に降り注いだ。顔が熱いのは、日差しのせいだろう。


 彼女の手の感触が、まだ残っていた。



▽ ▽ ▽


 ひたすら遊び、夕方になった時は体はもうクタクタだった。


 ビーチバレー、スイカ割り…、海でやる定番の遊びを、遊び尽くした。日焼け止めを塗って本当に良かったと聡太は思った。海を出る時、皆(特に男子)は全身日焼けで真っ赤だった。


 着替えを済ませて、車に乗り込んで、旅館に移動した。


 旅館の内装は綺麗で、十分といえる場所だった。聡太達と同じような、大学生も宿にいた。


「うわあすげえ、何だこれ!」


 机に並べられた夕食の豪華さに、一堂は歓喜した。


「写真撮ろ! 美しいわ!」


 スマホを取り出してシャッター音を鳴らすのは沙希だ。その光景を見て、春奈と楓が笑っている。


 いただきます、と綺麗にみんなの声が揃って、食材に手をつけた。どれもとても美味しく、至福の一時だった。


 そんな一時を終えた後。海斗が言った。


「そういえば、花火いくつか買ったんだけど、後でやらね?」


「最高! やろやろ!」


 全員、頷いた。一同は食事を終えた後、旅館を出て、少し歩いて海に向かった。


「わあっ、すごすご! めっちゃ出るじゃん!」


「こういう花火、小学生以来!」


 皆、花火を一つ持って、回したり、じっと眺めたりしだした。


「ちょい松浦! 火の粉が熱いんじゃい!」


「んあ? ああ! わりぃわりぃ!」


「もうちょっと誠意込めて謝らんかい!」


 沙耶と海斗がまた言い合い始めた。今日、何度も見た光景でも、皆可笑そうに見ている。


「本当、仲良いですよね。あの二人」


「そうね。早く付き合っちゃえばいいのに」


 聡太が目を向けた先に、珍しい光景があった。美優と春奈が、二人で話していた。


「付き合ってないんですか? アレで?」


「付き合ってないよ。絶対両思いだと思うんだけどな」


「いや、あれはそうでしょ!」


 そんな光景を見て、聡太は自分の花火に視線を戻した。


 ばちばちと燃え盛る火の粉に、目を奪われた。



▽ ▽ ▽


 花火を終えて、一同は旅館に戻った。美優も部屋に戻った。


 時刻は十一時を過ぎていた。疲れて、部屋の布団で横になった。目を閉じたら、意識が飛んでいきそうだった。


 布団の上でぐったりしていると、部屋の扉が開いた。入ってきたのは沙耶だ。同じ部屋で寝ることになっている。今までどこかに行っていた。


「美優、起きてる?」


「起きてるよ。目、開いてるでしょ」


「いや、今にも寝そうな顔だから。それはそうと、今からちょっと飲まない?」


「今から? 誰と?」


「皆と。二十歳組限定で」


 今日のメンバーで二十歳を超えてるのは美優、沙耶、舞、海斗、大成、聡太だ。


「ん、まあいいよ。どこで飲むの」


「男子の部屋。行こ」


 重い体を起こし、美優は立ち上がった。部屋には舞はいない。既に飲んでいるのだろう。


 美優は部屋の出て行き、隣の部屋に移動した。


 扉を開けて入ると、やはり舞はいた。大成と海斗もいた。


「美優連れて来たよー。さっ、飲も飲も」


 机にはビール、チューハイの缶がたくさん置かれていた。沙耶がチューハイの一つをとって、プルタブを開けた。ぷしゅっと炭酸の弾く音が聞こえた。


「神谷君は?」美優は全員に尋ねた。彼の姿だけ見えない。


「わかんない。海斗知ってる?」大成は訊いた。


「いやわからん。どこか行ってるんじゃないか?」


 海斗も知らない。沙耶は…、と目を向けたが、首を横に振っていた。舞も同じだった。


 美優は少し残念に思いながら、チューハイ缶を取って、開けた。ぐいっと一飲みした。炭酸が喉を通って、爽快だった。


「ま、すぐ帰ってくるだろ。それより飲もうぜ」


 お酒があると不思議と話が盛り上がる。どうでもいい話題でも、面白い話になるのだ。


 お酒を飲みながら、美優は会話を楽しんだ。眠くて仕方ないけど、話が楽しくて寝る気にはならなかった。


 しばらく会話が盛り上がっていると、不意に扉がトントンとノックされた。海斗が扉に向かい、鍵を開けると、外にいたのは坂井楓だった。


「おお、楓ちゃん。どうしたの。未成年にお酒はダメだぞ」


 海斗が楓に言った。楓は飲みませんよと笑った後で、


「春奈いませんか? まだ部屋に帰って来てないので」


 と口にした。


「乾ちゃん? いや、いないけど」


 海斗がこちらを見てくる。美優はいないよ、という意味を込めて頷いた。


「そうですか」


「なに、どうかした?」


「いや、ちょっと。外に行ってくるって言ってから、さすがに帰ってくるのが遅いから、気になって」


「ん、そうなのか。また、外行ったのか」


 二人のやり取りは美優にははっきり聞こえていた。


(外にまた? 何でーー)


 楓の言葉を聞いて美優は考えた。けど、その問題を解くのに、時間はかからなかった。


「ごめん! ちょっと!」


 気づいた時には、美優は思わず走り出していた。後ろから「どうしたの」という声が聞こえてるが無視をした。


 部屋を出て、急いで玄関に向かった。スリッパだから走りづらい。


 そのまま宿の外に出て、海の方に向かった。何故かわからないけど、たぶんそこだろうと頭が思ったからだ。


 夏の涼しい風を浴びながら、懸命に走った。


 美優の直感は間違ってなかった。海が近づくと、二人のシルエットが見えた。間違いない。聡太と春奈だ。堤防の上に、二人が並んで座っていた。


 美優は疲れて一度足を止め、膝に手をついた。せっかく汗も流したのに、また汗が出て来そうだった。


 息を整えて、顔を上げた時、


「えっ…」


 美優は目を見張った。


 シルエットが動いた。春奈と思われる影だ。


 春奈の顔がゆっくりと、彼の顔に近づいている。


 そして、ごく自然に二人の影が重なった。


 美優は後ろから、呆然とその光景を眺めた。


 




 


 

 




 



 



 



 

















 



   



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る