第30話

「先輩、どういうことですか!」


 週が明けた月曜日。授業終了で多くの学生が教室を出ていく。


 そんな中、聡太は乾春奈に詰め寄られていた。突然目の前にやってきた彼女はバン!と強く机を叩いた。友人の海斗はいつの間にか場にはいなかった。


 聡太は困惑しながらも、極めて冷静に、


「えっと、なんのこと?」


 と口を開いた。本当に何故彼女に怒られているのかわからなかった。


「あの人とのことです!」春奈は無意識に聡太の顔に近づいた。「新谷美優のことです!」


「ああ…、そのこと…」


 聡太は苦笑混じりで声を漏らした。あまり知られたくなかったことだ。


「あの人となんで遊んでるんですか? 彼女にでもなったんですか!?」


 春奈はじっと見つめてくる。その視線を合わせたら、呑まれそうな予感がした。なるべく合わせないように答えた。


「別に、付き合ってないから。あれには色々あってね」


「色々って何ですか!」


 春奈は逃がさないとばかりに、机をまたも叩いた。まるで取り調べみたいだな、聡太は思った。


 彼女が強く迫るのはワケがあった。それは二日前の土曜日のことだ。


 新谷美優との一件で聡太は、彼女と連絡をやり取りし、デートをすることになった。11時にN駅で待ち合わせをすることになった。


 5分前に駅に着いた。待ち合わせの時計の真下に、彼女は既にいた。大勢の人が行き交う中、不思議と彼女はすんなりと見つけられた。


「神谷君! おはよう!」


 聡太に気づくと、彼女は満面な笑みで迎えてくれた。彼女は白のシャツにミニスカートの装いだった。


「うん、おはよう」


 聡太は返すと、彼女の横に立った。


「それで今日は何するの?」


 聡太は彼女に尋ねた。メールのやり取りの中で、彼女は当日のプランは任せてと言ったのだ。だから何も知らなかった。


「それはお楽しみ。行こ!」


 美優は歩き出した。聡太も彼女に並んで歩いた。


 彼女の立てたプランは至ってシンプルだった。昼時に女性が好きそうな綺麗な内装の店で食事を摂った後、電車に乗って水族館に移動した。小さい頃以来の水族館に心が踊った。イルカショーは大人になっても十分に楽しむことができた。


 帰りは電波塔に登って夜景を見た。周囲にいたのは恋人同士がほとんどだったのを覚えている。側から見れば、自分達も同じに映るのではないかと思った。


 彼女が一緒に写真を撮りたいと言うから、側に寄った。嗅いだことのない、良い匂いがした。


 写真は家に帰ってから送られてきた。夜景を背景に、美優がスマホを手に持って撮ったのだ。慣れているのか、しっかりと綺麗に撮れていた。思い出として、写真フォルダに保存した。


 デートをしたことのなかった聡太だったが、自然と楽しめた。彼女と過ごした時間はお世辞なしで楽しかったと言えた。


 そんな土曜日のどこかで、春奈は二人が一緒に歩いているのを見たのだろう。だから、こうして尋問しているのだ。無論、春奈の気持ちを知っているからこそ、こうした状況になっているのだ。


「少し話すと長くなるんだけどね」


 隠すことでもないので聡太は春奈に事の顛末を語った。


「ふーん、そういうこと…」


 春奈は納得したように言った。でも普段より声音は低かった。


「状況はわかりました。でも」


「でも?」


「許しません。有罪です」


 彼女の言葉に、聡太はまたも困惑した。自分はどうすればいいのかわからなかった。そもそめ許さないとは何なのか。罪を犯した覚えはなかった。


「俺は、どうすれば解放されるのかな?」


 苦笑して訊いた。彼女はそうですね、と続けて、


「私ともデートしてくれたら許してあげます」


 と答えた。それはなんとなく予想していた回答だった。


「大学に入って、先輩とまだ一度も遊べてないですからね。良い機会です」


「そう、だったね」


「今度の土日のどちらかに行きましょう」


「えっ、土日?」


「何か予定ありますか?」


「いや、特には…」


「じゃあ決まりですね」


 あっという間に彼女の思惑に進んでしまった。


 彼女はいつの間にかご機嫌になっていた。



▽ ▽ ▽



 週末の土曜日。まさか二週続けてデートをするとは思いもしなかった。しかも別の子とだ。


 聡太は地上線と地下鉄線が交じり、多くの人が行き交うS駅で彼女を待った。予定では11時に集合と彼女に言われたのだが、既に予定時刻から五分経過している。


 一度、連絡をしてみようか、聡太はそう思ってスマホをポケットから取り出した時、視界に彼女が映った。


「ごめんなさい、遅れて!」


 春奈は駆け足でやってきた。疲れたのか息がだいぶ上がっていた。ヒールを履いてるから大変だったはずだ。


「いや、大丈夫だよ」聡太はそう言った。


「本当申し訳ないです!」


 春奈ははあ、と息を吐いた。彼女の装いは、長めの白のスカートにデニムジャケットを羽織っている。


 彼女が落ち着いたところで、今日はどうしようかと聡太は訊いた。当日に決めましょう、と彼女に言われたからだ。


「行きたいと思ったところに行く、というプランでどうでしょう?」


 彼女の提案に聡太はいいよと頷いた。綿密に計画が練ってあるよりも、こっちの方が気楽に思えた。


 歩き出してからすぐにショッピングしたいと彼女が言ったので、さほど距離のない場所にある大型商業施設に移動した。休日だから周辺は車は渋滞していた。


「先輩、どっちのほうがいいと思います?」


 春奈は二着のトップスを手に取って自分の体に照らし合わせた。


「どっちも似合うと思うけど」


 聡太は答えた。本心から出た言葉だ。


 でも、こういう時はこの回答はダメらしい。


「それじゃダメです! どちらか選んでくださいよ!」


 聡太は困ったように頭を掻いた。悩んだ末、左手に持っていた、白の服を指で差した。


「こっちですね。じゃあこれ買ってきます!」


 春奈は喜んでレジに並びに行った。無邪気な子供のように思えた。


 二人はとりあえず面白そうな所に次々と入っては商品を物色した。不思議と退屈になることはなく、春奈と話している時間は楽しかった。


 昼時より少し遅い時間になって、ファストフード店に入った。そこでハンバーガーとポテトを注文して、向かい合って席に座った。


「そういえば先輩。気になってたことなんだけど」


 ポテトを口に入れた春奈が訊いてきた。聡太は視線を彼女に向けた。


「去年の学祭はどうして歌わなかったの?」


「あれは歌いたいって言った人がいたから。それにそこまでボーカルをやろうって気はなかったから」


「そうだったんですか。でも私は歌ってる方が好きだけどなあ」


「そう? ありがとう」聡太は意外そうな目をした後、微笑んだ。


「今年は歌うんですか?」


「まあそうだね。今年は歌おうかな」


「じゃあ、見に行かないと」


 春奈は嬉しそうに言った。


 春奈は終始楽しそうに喋っていた。去年学校で聡太達を真似した文化祭が行われたこと。飲食店のバイトを始めたこと。大学の授業の話など。会話が尽きることがなかった。聡太は主に聞いて答えるの繰り返しだったが、彼女の話は十分に面白かった。


 商業施設を出て、五分ほど離れた場所には広大な敷地を持った、緑地公園があった。


「少し、のんびりしませんか」


 春奈の言葉に聡太はもちろんいいよと言った。二人は空いていたベンチに座った。


 公園には犬を連れた散歩客。走り回る子供たち。聡太と同じように男女でデートしている者。様々な人がいる。それをベンチからぼんやりと観察した。


「なんか、良いですね。こういうの」


 春奈がぽつりとそう漏らした。彼女を見ると、視線は前に向けられていた。温かな表情で公園にいる人々を見ていた。


「先輩は、こういうの好きですか?」


「嫌いじゃないよ」


「先輩ぼっーとしてるの多いですもんね」


「ひどいな。そんなことないけど」


「してますよ。出会った時、いつも窓の外見て、黄昏てましたもん」


「そんなんだったかな、俺」


「そうでしたよ」


 春奈はふふ、と笑い声を漏らした。


「なんか今日は、ずっと楽しいです」


 春奈は聡太を見て、目を細めた。


 その嬉しそうな顔を見た時、鼓動がわずかに速くなった。


「先輩は楽しかったですか?」


「楽しかったよ」


「良かった」


 春奈は微笑んだ。


「どっちの方が楽しかったですか?」


「えっ、どっちって」


「新谷さんの方か、私の方か」


「それは…」聡太は困惑した。春奈は口元に笑みを浮かべている。今はその笑みが悪魔に思えた。


「…さすがに決められない」


 聡太が出した答えはこうだった。優劣をつけることはできなかった。


「そうですか。まあ先輩ならそう言うと思ってましたけど」


「なんで聞いたのさ」


「ちょっとした悪戯です。ごめんなさい」


 春奈は舌を少し出して、胸の前に両手を合わせた。


「さすがに勘弁してよね」


 どっと疲れた気分になった。もし美優の方が良かったなんて言ったらどうなっていたことやら。


「もうしませんから。それより後でアイス食べに行きませんか? あの子供見てたら食べたくなっちゃって」


「いいよ。暑いもんね」聡太は近くにいた子供をちらりと見て言った。


「ねえ、先輩」


「なに?」


「また、二人でどこか行きましょうね」


 聡太は一拍遅れて、そうだねと首肯した。


 その時の彼女の顔は、不覚にも可愛いと思ってしまった。


 









 













 


 

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