第28話

 まだ高校生の幼さが残っている新入生達を、新谷美優は食堂の窓からぼんやりと覗いていた。髪が明るい人がとても多く、無理にでも幼さを脱皮したように思えた。それでも抜けきれてはいないが。


「どうしたの美優。何かぼっーとしているけど」


 向かいの席に座る沙耶に訊かれ、美優は別に何も、とぶっきらぼうに答えた。


「何か新入生って感じのする子が多いね。私たちも去年はあんな感じだったのかなあ」


 沙耶も窓の外を見た。美優は彼女を一瞥した後、再び窓の外に目を向けた。


 美優の視界に彼女が入ったのはすぐだった。


(あの子ここ受かったんだ)


 横の二人と仲良く話ながら、乾春奈が左から右へと消えていく。やがて美優の視界では捉えられなくなった。


「今の子、うちの高校の後輩じゃなかった? 三人組の真ん中にいた子」


「うん。そうだよ」


 沙耶の問いに応じて、美優は机に置かれた配膳を見た。もう既に食事は終えていた。水を一杯喉に通すと、気持ち悪かった口の中がスッキリとした。


「結構可愛かったね。顔見たことあるけど名前は知らんなあ」


 沙耶が締めのデザートを食べながらぶつぶつと言うのを聞きながら美優は小さく溜め息をついた。


 最大のライバルの出現に、頑張らなくてはと自分に言い聞かせた。



◇ ◇ ◇


 授業を終えた美優は沙耶と共に大学を後にした。これからバイトの予定があるのだ。電車の席が二つ空いていたので、二人は並んで座った。


 少しして沙耶が、


「そういやさ、あの大学生とはどうなったの」


 と訊いてきた。美優はスマホを操作はする手を止めた。


 曖昧な質問だったが、美優はすぐに理解した。


「なにもない。向こうが一方的なだけ」

 

 そう言うと美優は再びスマホを操作し始めた。興味のない男のことなんて考えたくないのだ。


「冷たいねえ。デートしてあげようと思わなかったの?」


「全く。正直ちょっと鬱陶しいよ」


「うわお。美優はあんまりその人のこと好きじゃないんだ」


 美優はうん、と言って再びスマホの操作を止めた。


「そうだ。もし良かったら沙耶のこと紹介するよ。沙耶のタイプだと思うよ」


 実に悪い笑みを浮かべたものだと自負した。沙耶は美優のその顔を見て、ぷっと吹き出した。


「嫌だよ。美優が嫌って言ってる男なんて絶対ろくでもない。どうぞ他の人に紹介してください」


「そっか。残念だなあ」


 美優はそんなことを言いながらも、内心は憂鬱だった。今日はその男とバイトのシフトが重なるのだ。



 沙耶と別れ、途中下車した美優は駅から5分ほどにある、全国的に有名なファッション店に入った。


 おはようございますとスタッフ達に挨拶をして、ロッカーで準備をした。憂鬱な気分でもしっかり働かなきゃいけないのはどうしてかと、自問自答しながら表に出た。


 憂鬱な原因となる男は、扉を開けた先に立っていた。男は美優の姿を見つけると、嬉しさからか顔の頬が上がった。美優からしてみればそれは嫌悪でしかなかった。


「美優ちゃん。おはよう!」


 ちゃんをつけるな、と心の底で突っ込んだ。


「おはようございます」


 美優は彼の顔を見ずに軽く頭を下げ、その場を離れた。鬱陶しく話されたら厄介だからだ。


 男の名前は木部淳哉きべじゅんやという。大学三年生。長身で髪をセンター分けにした男だ。周りは彼の容貌をカッコいいと評するが、美優は理解できない。誰隔てなく接する姿が評判らしい。しかし美優の目にはそんな評判は嘘に思える。本当の姿は別だ。気に入った女にすぐ近寄り、遊びに誘ってくる。気に入らない人がいれば豹変したように対象の人物にだけ冷たく、嫌がらせをする。美優の知る木部淳哉という男はそういう人物だ。


「そういやさ、美優ちゃん」


 撒いたはずだったが、後ろから近づいて横に並ばれた。どっかいけと思った。


「前、ドライブに行こって話したじゃん? あの件どう?」


 淳哉に言われて美優は思い出した。以前、彼に誘われたのだ。バイト仲間でドライブするんだけどどうだ、と。


 しかし美優は直感でこの言葉は嘘ではないかと思った。その場では後日返事しますとだけ言っておき、仲の良いバイト仲間に淳哉からの誘いを受けたかどうか確かめた。答えは、誘われていないだった。


 つまりあの言葉は建前で、本当は二人きりで行くこと密か計画している。美優はさらに淳哉に対して嫌悪を抱いた。


「ああ、ごめんなさい。その日は他の子と遊ぶ予定があるんです。では私はこれで」


 さらっと答えを言って、美優は淳哉から離れた。彼の顔は見なかったが、きっと期待で満ちていた顔が、さぞかしショックで呆然としているだろう。


 今度店長に、セクハラ被害に合っているから彼とは極力シフトを被らないようにして、と相談でもしてみようか。そんな幻想を頭に思い浮かべた。

 


▽ ▽ ▽


「はあ、疲れた」


「ねえー」


 店を出た第一声がそれだった。美優と共に駅に向かうのは桃谷明日香ももたにあすか。童顔でショートカットの似合う子だ。同じ年齢ということもあり彼女とはすぐに仲が良くなった。


「美優は明日シフト入ってる?」明日香が訊いた。


「ううん。明日はなにも」


 体が重く、今すぐ家に着いて寝転がりたい気分だった。電車に乗るのが面倒だ。


「今日もしつこかったね。あの人」


 明日香は笑って言った。彼女も木部淳哉に対して良い感情を持っていない。


「本当だよ。少し私の手が空いたと思ったら話しかけてくるし。仕事中だぞって言ってやりたいよ」


「あの人ほんとに懲りないよね。自分の思い通りにならないと気が済まない人なんだよ。少し前まで穂花ほのかちゃんいたじゃん? 先日遊んだ時に言ってたよ。あいつが嫌で辞めたって」


 へえ、と興味深い話に聞き耳を立てた。穂花は一つ年下の妹みたいな存在だった。美優ちゃん、と言ってよく寄ってきた。


「知らなかった。まああまり言えないだろうね。店長らに言ってもどうせあの男はしらばっくれるだろうし。下手したら嫌がらせでもされるし」


「そうだよね…」明日香は悔しさを押し殺した顔で言った。


 できるなら早く辞めてくれないだろうか。淳哉を快く思っていない者はそう思うだろう。美優もその一人であることに違いなかった。



◇ ◇ ◇


 翌日、美優は今日分の授業を終えると、少しの間沙耶と大学で仲良くなった友人と駄弁っていた。話の内容は主に授業の内容、恋愛の二パターンだ。


「美優は最近ないの? 出会いとか」


 大学で出会った友人の一人、秋華しゅうかが言った。長身でスタイルの良い大人っぽい女性だ。


「なんにもないよ。素敵な出会い募集中だよ」


 美優は回答した。大学の友人達には聡太のことは言ってない。


 秋華はえー、と声を出したあと、


「こんなに美人なのに、まだ大学入って彼氏いないのはおかしいよ。過去にいなかったの? 寄ってくる男とか」


「まあ、いたよ」

 

 大学入って近づいてきた男は何人だろうか。多すぎて全員思い出せない。


「もしかして美優。あんまり彼氏作る気ない?」


「んー、そういうわけではないけど」


 特定の一人にだけ、そういう気はある。恋人になる可能性は今のところ極めて低いが。


「まあ美優ならすぐにできるかあ」


 ねえ、と美優以外が同意した。出会いに困ってそうな秋華だが、最近まで彼氏がいたのだ。別れてまだ月日は浅い。


 それから男の悪口や最近見つけた良い男の話を語りに語り尽くして、お開きとなった。


 沙耶は用事があるからといって大学に残り、美優は一人で駅に向かった。改札を通ったタイミングで電車がホームに滑り込んだので、待ち時間なく乗車できた。


 座る席がなく、ドア付近で立つことにした。いつものようにスマホを取り出して暇潰しでもしようかと考えた。だが、思わぬ人物を車内で見つけたからスマホを見るのはやめた。こんな偶然滅多になかった。


 その人物に近づこうと、座席と座席の間を歩いた。少し驚かせてみようかな、と悪戯心が芽生え、頬が緩んだ。彼はドアの横に立っていた。


「神谷君」と呼び、彼の肩を軽く叩いた。彼は驚いた様子で美優を凝視した。悪戯成功と心の中で喜んだ。


「新谷さん」彼の目は大きく開かれていた。


「びっくりした?」美優は一応訊いてみた。


「うん。びっくりした」


「神谷君も大学の帰り?」


 早くなる鼓動を感じながら、彼の側に立った。毎日こんな帰りならいいのにと思った。


「大学じゃないけど、少し本屋に寄ってた」


「本屋? 本好きなの?」


「好き…、なのかな? わからない」


「何それ。なんの本買ったの?」


「小説。『彼方からの手紙』ってタイトルの本」


「なんか意外。神谷君、本好きなんだね」


「好きかはわからないけど」


「十分好きでしょ」


 今度私も買ってみようかな。なんてことを美優は思う。


「新谷さんは…帰り?」


「うん、そうだよ。どうして?」


 彼から質問してきたことに美優は嬉しくなった。


「いや、この時間はまだ授業があるから」


「少し大学でお喋りしてたの」


「そうなんだ」


 彼は表情に変化を見せない。が、自分との会話に嫌々付き合っている風にも見えない。


 もう少し意識してもらえたら嬉しいのだが、中々彼の心には近づけない。それが彼との関係が一向に縮まらない原因なのだが。


 少し踏み込んでみようか。美優が少し考えた後、決めた。


「あれ、美優ちゃん?」


 だが、それは思わぬ声が聞こえたことで諦めた。聞き覚えのある最悪の声だ。


「偶然だね! なに、今帰り?」


 木部淳哉は笑みを浮かべて美優に近づいてきた。


「ん、横の男は誰?」


 淳哉はすぐに聡太に気づき目を向けた。でもすぐに興味を失ったようで、まあいいやと言った。


「そうだ美優ちゃん。今帰りなら、どっか行こうよ。カラオケとか飲みとかはどう?」


 その選択肢はもはや慣れたものだった。彼はそういう目的で誘っているのだ。汚い欲望が丸見えなのだ。


「いや、今日はちょっとーー」


「何で? 今日バイトないよね? それより何か他に予定あるの?」


 淳哉の瞳を見た。彼は全て見透かしているんだ、そんな瞳をしていた。


 マズいと美優は思った。ここで振りきってもこの男はしつこくついてくるだろう。薄暗い場所に行ってしまったら、何をされるかわからない。かといってこの男と二人きりなど天地がひっくり返っても嫌だった。


 どうしようと悩んだ。けど打開策がない。


 美優は悩んだ末、覚悟を決めた。すぐに帰ればいいだけのこと。急用ができたと言えばいい。


 わかりました。その言葉を言おうと口を開けたかけた時。後ろから、


「あの」と声が聞こえた。美優ははっとして、聡太を見た。


「ん、なんだお前」


 邪魔をされたからか淳哉は不機嫌な顔を見せた。


「さっきから聞いてましたけど、今から彼女と遊ぶ予定なんですか?」


 そんな淳哉の態度を気にもせず、聡太は言った。


「そうだけど。ていうかお前には関係ない話だろ」


「関係なくないですよ」


 はあ、とますます不機嫌な声を淳哉は出した。


 美優は困惑して聡太を見ていた。彼は何を考えているだろう。


「どういうことだよ」


 淳哉が目を吊り上げ言った。


 聡太は顔色変えず、答えた。


 美優は彼の言葉を聞いた時、聞き間違えじゃないかと思った。


「だってこの子、俺の彼女だから」 




 


 





 






 


 




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