第27話

 乾春奈の最近の楽しみは風呂上りに一時間だけ何でも好きなことをしていい。いわゆるチートタイムだった。


 極力見ないようにしているSNSを素早くスクロールして、情報を頭に入れた。最近SNSを見るだけになってしまったため、必要性があまり感じられなくなった。インスタは特に。どうでもいい情報ばかりだ。消去でもしようかと密かに考えている。


 ユーチューブを開いて、画面左上に表示された時間を見た。『22:30』。あと五十分時間がある。春奈は好きな動画を見ていき、一時だけ受験勉強のストレス、不安を忘れた。


 時計が『23:20』に近づいたところで、春奈はスマホをスリープにさせた。これ以上はもう見てはいけない。ここで決めた規則を破ったら、日中もスマホばかり見てしまう。これも合格のためだ。春奈は見たい衝動をぐっとを抑えた。


 あともう少し頑張ろうー-春奈は部屋に行き、単語帳を広げた。受験日までもう一ヶ月を切っていた。



 これまでの志望大学の模試結果はBかC。Bは一番最近の結果だ。徐々に成績は上がってはいるが、運任せな部分がまだ多くある。このままでは落ちる、そんな予感がしている。


 放課後に春奈は図書館に赴き、そこから一時間ほど勉強するのが日課だ。ずっと聡太が図書室で勉強している姿を見ていたから、自分もここで勉強しようと思ったのだ。


 先日、聡太の大学で学祭があった。春奈にとって一日だけ与えられた息抜きだった。


 高校とは比べ物にならない敷地の広さ、学生の自由奔放に遊ぶ姿を目に焼き付けてきた。自分も来年はここに通うんだと心を燃やした。


 春奈と同じように女子高生が多くキャンパス内にはいた。大学生からナンパされて頬を緩くしている者が多かった気がする。春奈も声を何度かかけられたが、仏頂面で無視を決めた。可愛くねー、と揶揄する声が聞こえたが、気にしないようにした。


 聡太のいる軽音部は体育館でライブをしていることは正門付近でもらったチラシに記載されていたから知っていた。久々に彼の歌が聴けると思うと心が躍った。


 しかし、彼は歌わなかった。彼は予想に反してギターを弾いていた。ギターを弾く姿も凛々しく、何でもできる人だなと感心した。でも、歌ってる姿の聡太が春奈は見たかった。


 聡太達がステージから下がったところで、春奈も会場を出た。今日はそもそも聡太に会いに行くためにここに来たのだ。声をかけて、一緒に回らないかと誘うつもりだった。もちろん友人の楓も一緒だ。


 声にかけに行こうと、体育館の周囲を回った。彼はいた。自販機で飲み物を選んでいるところだった。友人の松浦海斗も隣にいた。こんな絶好のタイミングはない。春奈は駆け足で彼の元に行った。


 だが、目の端に新谷美優とその友人の二人を確認して、咄嗟に曲がり角に隠れてしまった。なんてタイミングだと歯を食いしばった。春奈の気持ちは急速に冷えていった。


 顔を出して、何を話しているか聞こうとしたが、会場内で音漏れしてくるせいで何も聞こえなかった。しばらくすると、新谷美優が顔を赤くして去っていき、それを追うように友人もその場からいなくなった。


 チャンスだった。が、その数秒後にどこから現れたかもわからない女子学生に彼は囲まれてしまった。彼は困ったようにしていたが、そのまま校舎内に連れられてしまった。春奈はその光景を呆然と立ち尽くして見ていた。


「残念だったね」と楓も諦めムードだった。


「うん」


「まあ、来年ここに入れば先輩とは会えるから。今は受験頑張ろ」


「そうだね」


 楓も同じ志望先で学部も同じだった。落ち込んだ気持ちに、彼女の言葉はよく胸に染みた。


 

 息抜きが終わって再び過酷な勉強生活が始まった。不安と常に闘いながら、必死に自分に足りない知識を頭に詰め込んだ。


 聡太のバイト先に行くのは極力減らすことにした。これまでは彼に会えることを楽しみに週に一回は行っていた(聡太がいるかどうかは運次第だった)が、もうそれほどの余裕はなかった。彼の顔を見たい気持ちをぐっと抑えて、今は勉強だけに集中することを決めた。



 年は明け、共通テストまであと数週間となった。この数週間が受かるかどうかの分岐点だと自分に言い聞かせて、最後の追い込みをした。


 そして、試験当日。雪の降る朝だった。電車が止まることを恐れていたが、無事運行した。ほっと息をついて、受験生で群れる車内で教材を取り出し、最終確認を行った。


 絶対いけるーー試験会場の座席につく春奈は、自分にいい聞かせた。カチカチと壁にかけられた時計を眺め、試験開始時を待った。


「それでは始めてください」


 試験管の合図で、一斉に紙が裏返る音が鳴った。春奈の一年間の努力が試される時が来た。



◇ ◇ ◇


 共通テストが終わり、あっという間に一般入試も終わった。あとは結果を待つだけだった。


「うう、この結果発表までの期間が一番緊張するわー」


 学校での昼休み。いつものように楓と向き合って弁当を食べていた春奈。彼女の言う気持ちはよくわかった。


「楓、結構できたんでしょ? なら良い方向で祈っておこうよ」


「そうだけどさあ。こういう時ってネガティブになるじゃん。後になって、あそこ違ったって気づいたらもう落ちてる気しかしない!」


 楓は弁当に手をつけず、ひたすら不安を漏らした。早く食べないと休み終わっちゃうよと声をかけてから、やっと食べ始めた。


 彼女はこんな調子だが、春奈も似たようなものだった。試験は自分の力を出しきれたし、手応えも悪くない。それでも自己防衛本能なのか、頭は悪い方向を勝手に思い浮かべ、その時が来てもショックが少なくなるように準備している。


 もし落ちたらどうしよう。落ちた場合、聡太とは会える時間は減る。というより、もう会えなくなる可能性だってある。その可能性が当たった時の恐怖を考えると、悔しさと寂しさで涙が出そうになる。考えたくないのだが、考えてしまうのだ。


 はあと楓にばれないよう溜め息をつくと、


「ねえ春奈」と楓に言われた。


「なに?」春奈は彼女の目を見て応じた。


「今日の帰り、ボウリングでも行かない?」


▽ ▽ ▽


 楓に誘われ、春奈はボウリング場にやって来た。楓以外に友人の梨子りこ真依まいもいる。今はクラスは違うが一、二年次に同じクラスメイトだった。


 久しぶりボウルを持って投げると、真っ直ぐな軌道を描かずに、斜めな軌道でガターを連発した。後ろから笑い声が聞こえてきて、春奈は顔を赤くして、「なによー!」と怒った。


 結果は散々なものだった。誰も百点以上出せない、何とも低レベルなゲームだった。けど春奈は楽しくて仕方なかった。あれだけ自分に笑っていた楓達も、いざやってみたら全然なのだ。春奈声を大にして笑った。久々に笑いでお腹が痛くなった。


 ボウリングを遊んだ後は、ゲームセンターに置かれたプリクラで写真を撮った。皆、四月からは大学生だが全員が同じ大学とは限らない。もうこのメンバーで会えることは少なくなるかもしれなかった。


 最後のシメにはカラオケに行った。勉強で溜まった疲れやストレスを全部体から吐き出すかのように歌った。全員でバカ騒ぎするのが楽しくて、春奈は終始笑顔だった。胸の奥にあった不安をこの時だけは何も感じずにいられた。


「あー、楽しかったあ!」


「久々にこんな遊んだよ! もう喉ガラガラ」


 カラオケ店を後にし、楓と梨子はそう口にした。もう時刻は九時を回っている。こんな時間まで遊んだのは久々だった。


「大学行っても、またこうして遊べたらいいね」


 真依の言葉に皆はそうだねと答えた。春奈も心の底からそうなることを望んだ。


 梨子と真依と別れ、楓と一緒に帰った。春奈は疲れて歩くのも一苦労だった。


 街灯が照らされる歩道で楓が、「ねえ、春奈」と口にした。


「なに」


「もし、二人一緒に同じ大学通えなくなっても、また一緒に遊んでくれる?」


 なにを急に言い出すのかと春奈は思った。そんな友人の顔を見ると楓はただ前を向いていた。


 春奈は笑みを浮かべてこう言った。


「当たり前じゃん。これからもずっとね」


 春奈の答えに楓は、


「ありがと。これからもずっとね」


 不安が全て消えたわけではなかった。でもこれまでずっと一緒だった楓となら、絶対良い方向に行く。そんな気がした。


 そんな一時の不安は、数週間後には杞憂でしかなかった。



◇ ◇ ◇


 まだ肌寒い四月。聡太は大学二年生に進級した。


「春休み早かったなあ。一生春休みがいいな」


「そうだな」


 海斗の呟きに答えながら、二〇〇人近くの座席がある大教室に向かった。


「そういや二日前入学式だったらしい。早いな。髪色が明るい奴は皆新入生じゃないか?」


 海斗の言葉を聞いて、キャンパスに向かうまでも確かにそういう人が多いなと聡太は思った。皆が皆そうではないだろうが。


(そういえば、乾さんはどうなったのだろう)


 聡太は乾春奈のことを思い浮かべた。彼女も同じ大学志望のはずだった。


 階段を上がり、目的の二◯三号室が目に見えてきた。


「先輩!」


 ふと後ろから声をかけられた。聞いたことのある声だった。

 

 聡太は立ち止まり、後ろを振り返った。そこには春っぽい服装をした乾春奈がいた。髪が少し茶色くなって、どこか大人っぽく感じた。


「乾さん」

 

 聡太は微かに頬を緩めた。彼女と会うのは久しぶりだった。


「先輩、久しぶりです」


 春奈は頬を赤くして言った。やっぱり大人っぽくなったと聡太は思った。


「久しぶり。本当にここに受かったんだね」


 高校の卒業式、彼女は同じ大学に行くと言った。彼女は見事、有言実行した。


「大変でした。過去一勉強しましたよ」


「それは頑張ったね」


「本当頑張りました。先輩と会えないですし、寂しかったです。だからーー」


 春奈は聡太を指差して、可愛らしく宣言した。


「会えなかった分、これからはいっぱい私と遊んでくださいね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る