第26話

 大学祭当日。キャンパスには在学生だけじゃなく、他大学生、中高生の主に若い世代が押し寄せていた。キャンパスの正門から、100メートル以上伸びるメインストリートは、歩行者天国のように、幅いっぱいに群衆がたむろしていた。


 その群衆の中に、美優は沙耶と共に歩いていた。人混みが狭く、下を向いていたら誰かにぶつかりそうだ。そうならないように、人混みを掻き分けて、前に進んだ。


「あっ、お姉さん、良かったらうちのクレープ食べてかない?」


「ねえ二人とも、暇なら俺たちと一緒に回らない?」


 店の勧誘、誰かも知れない男達の声を無視して、美優は目指すべき場所を目指した。その場所は体育館だ。


 今、そこでは軽音部がライブをやっている。メインストリートでもらった軽音部のチラシでは今日のタイムスケジュールが記載されていた。聡太の組は午後1時からだ。早めに会場に行って席を確保しなければならなかった。


 体育館の道は思ったより空いていた。というのも、メインストリートに主に店が構えられているので、そこを抜ければある程度人の蜜は避けられる。11月だというのに、あの中は空気がむっとして、暑苦しく感じた。


 体育館の奥、ステージから一番遠い扉を開け、中に入った。どうやらライブ中でも出入りは自由で、美優が入ったのと同時に、出ていく者もいた。


 ライブ特有の爆音を聴きながら、ステージから少し離れた真ん中付近の座席に座った。席はまばらに空いていた。真剣に聴いているものや、爆音の中で談笑しているグループがいる。会場は一種の休憩所みたいなものだった。


「空いててよかったね。満員だったら立ち見だったよ」


 沙耶の言葉に、そうねと返した。


 ステージ上では見たこともない人が歌っている。4人組の男女混合バンドだ。ボーカルが男で、左右のギターとベースが女。ドラムが男だ。


 聴いたことある歌だ、と美優はステージ上を見て思う。ボーカルの男は彫りの深い顔しているのに、声が高く、爽やかな声が届いてくる。歌もそれなりに上手い。


 曲が終わると、拍手が辺りから鳴った。ボーカルの男がありがとうごさいましたと言って、ステージの四人は退散した。どうやら最後の曲だったらしい。


 舞台上から何人かの裏方が出てきた。美優はわからないが、皆軽音部の人たちだと思う。裏方達は楽器の位置や、マイクのセッティングをし、音のチェックも入念にテストした。


 テストが終わって、やがて四人の男がステージに上がってきた。目当ての聡太の組だ。松浦海斗の姿を確認できた。彼はドラムの位置に移動し、座って軽く叩き始めた。


(あれ、ギター持ってる)

 

 美優が違和感に気づいたのは彼らがステージに上がってすぐだった。


 聡太に注視していると、彼は真ん中のボーカルの位置は行かず、美優から見て右側の位置に移動した。


「もしかして歌わないのかな。神谷君」


 美優が思っていたことを沙耶が代弁した。「ちょっと残念かも」


 聡太はギターを持っているし、ボーカルの位置には金髪で前髪が長い男がいる。見たことある男だった。


「なんかそうっぽいね」


 急速に期待した胸の熱が冷えていく。がっかりという気持ちはこういうことをいうのか。


 演奏が始まり、ボーカルの歌声も聴こえてくる。美優はほとんどボーカルよりも聡太を見て、聴いていた。


 時折響くギターソロの部分を涼しい顔してこなす彼の姿には胸が高鳴った。やっぱりずこいなと、改めて彼の魅力を確信した。


「すご。ていうかギターの人かっこよくない?」


「ね! 誰なんだろう? 後で声かけてみる?」


 何て声が観客から聞こえた。彼の凄さを周知してもらうことは嬉しいが、女が寄っていくことには許容できない。頼むから近寄らないでくれと声に出して言いたい思いだ。


 一曲が終わると拍手が鳴った。ステージ上で聡太は観客に向かって頭を下げ、一人一人の顔を見るように会場の奥から眺めている。


 美優は聡太と目があった。手を振ろうと思ったが、すぐに視線を外されてしまった。ちょっと寂しい思いになった。


 その後も演奏は続いた。知っている曲が多く、手を叩いて楽しんだ。


 しかし、やはり彼が歌ってない姿を見れないことが残念でならなかった。


 ボーカルの金髪はどこか好きになれなかった。ビジュアルも歌も聡太の方が上だ。比較してもどうしようもないことだが、聡太が歌わないことで不満が溜まって、そのはけ口と化している。彼が歌った方が盛り上がるのに。


 気づいたら演奏が終わっていた。いつの間にか二十分程度経って、彼らのステージは幕を閉じた。拍手の中、彼らが舞台から去っていった。


「終わっちゃったねえ」


 沙耶が腰に手を当てて、胸をぐっと前に出してストレッチした。


「なんかあっという間に終わっちゃった」


「ね。どうするこれから。どこか行く?」


 うーんと唸って、「喉乾いたから自販機でも行こ」と美優は言った。いいよと沙耶は頷き、二人は席を立った。


「やっぱりすごいね神谷君。ピアノも弾けるし、ギターも弾ける。それに頭も良い。能力高すぎて羨ましいよ。皆メロメロだよ」


 体育館横の自販機に行く道中、沙耶が言った。


「でも、私的にはやっぱり彼はギターよりも歌ってる姿の方が似合うと思うんだけどなあ。美優はどう?」


 そう問われ、美優はうんと頷き、


「私もそう思う。てかあのボーカル誰? なんで神谷君歌わないの? 楽しみにしてたのに」


 心に溜まっていた不満が出てきてしまった。沙耶は苦笑いして、ちょっと落ち着こと、美優を宥めた。


「あっ、噂をすれば」


 そんな二人の前に聡太がいた。自販機で飲み物を選択している。彼の横にはいつものように海斗がいた。


「おっ、二人とも。来てくれたのか」


 海斗がこちらに気づき、右手をあげた。聡太も顔を向けてきた。美優達は二人の前で足を止めた。


「そうよ。あんたが来てくれって言ったから来たわよ」


 沙耶が答えた。海斗は笑って、


「二人ともサンキューな。あんまり人入らなかったらどうしよって思ったからさ」


「そのわりには意外と入ってたじゃん」


「休んでる人が多いからだろ。休憩所みたいに扱いになってたな」


 海斗は笑って言った。


 聡太が取り出し口から飲み物を取って、美優達に、


「二人とも見に来てくれてありがとう」


 と、礼を言った。汗が滲んだ髪の毛が何ともセクシーだった。


「神谷君、ギターも弾けたんだ」


「この日のために練習したんだよ」


 沙耶の問いに聡太は答えた。あれだけ上手く弾けるまでどれ程の努力が必要なのだろうと、美優は胸の内で思う。


「すごかったよねえ、美優」


 沙耶に振られ、美優は少しどきりとしたが、「うん、すごかった。かっこよかったよ」


 と、彼の目を見て言った。彼はありがとうと薄く微笑んだ。


 けど、と美優は続けた。


「私はやっぱり歌ってる姿が見たかったなあ」


 独り言を呟いたように小さな声だった。けどその言葉は彼には届いていた。


「やっぱり、聡太はボーカルの方がいいよなあ」


 同調して海斗が言う。美優はうんうんと頷いた。沙耶も同様に頷いていた。

 

「…わかった。今度はライブするときはボーカルやるよ」


 意外そうな目で皆の顔を見た彼は、どこか嬉しそうな顔をしてそう言った。


「絶対だからね」


 美優が念押しの一言をかけると、海斗と沙耶がくすっと笑った。


「なによ、二人して笑って」


 恥ずかしさで顔が赤くなった。


「いや、美優可愛いなあって」


 沙耶が笑って言い、美優ははあと口に出した。顔が熱いのな自分でもわかった。


「どうゆうことよ!?」


 そんな彼女の様子を、彼も目を細めて笑っていた。そんな顔を見て、美優はさらに恥ずかしくなり、逃げるようにしてその場を離れた。


 

◇ ◇ ◇


「あっ、逃げちゃった。じゃあ私も行くね」


 じゃあと沙耶は美優を追いかけて聡太と海斗の前から去った。彼女の後ろ姿が見えなくなったところで、


「聡太」


 と声がした。


「なに」


 聡太は横目で海斗を見た。


「今度はちゃんと歌えよ」


 彼は聡太を見ず、真っ直ぐ前を見ていた。


「…わかってるよ。今度はちゃんと歌うよ」


 去年と違った風景を今年は楽しめた。ギターを弾くことは楽しかった。新しい世界を開けた気がした。


 でも、ボーカルとして真ん中で歌ったあの興奮を超えるほどではなかった気がした。体は最高潮に熱くなっていたが、どこか物足りなさがあった。


 そして気づいた。彼女に言われてから自覚した。自分が本当にやる位置は違う所だと。観客の視線を一斉に集める真ん中の位置じゃないとダメだと。


『歌ってる姿が見たかったなあ』

 

 彼女の言葉が脳裏に甦る。何故か強く頭に残っている。


(ありがとう、新谷さん)


 気づかせてくれた彼女に礼を心の中で言った。そして、今度は間違えないようにしないとな、と聡太は自分に言い聞かせた。




 


 




 



 




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