第25話
聡太の夏休みはバイトの毎日だった。自分からバイト漬けの夏休みにしてくれと頼んだわけではないのに、シフトが多く入れられていた。大学生だから大丈夫だろ、という理由で勝手に。
とわいえ、家にずっと居ても仕方なかった。せっかくだからこの機会にお金を貯めておこうという思いで、聡太は労働に勤しんだ。よく来店するお客には、最近よくいるねと言われることもあった。苦労のかいがあって、月の給料は初めて10万円を越えた。
そんな夏休みを終え、後期の大学生活が始まった。
履修した授業の初回のガイダンスを聞き終え、海斗と一緒に軽音部の部室に行った。部室には既に多くの部員が席に座って、菓子を食べたり、スマホ見たりしてだらけていた。
「みんなー、ちょっと聞いてー」
ある程度部員が揃ったので、部長の田島真子が部屋にいる全員に言った。彼女は眼鏡がトレードマークだ。
「重要なことだからね、ちゃんと聞いてね。後期には文化祭があります。今回も軽音部は文化祭でライブを行いたいと思います」
おー、と拍手する音が鳴った。真子はそちらを見て、静かにと目で訴えた。
「でね、今回は体育館を使ってライブすることになったから。一年生は初めてだから、わからないことばかりだろうから、ここから重要ね。去年と同様に、一日目、二日目どちらか好きな方に参加して、大体1グループ20分程度で演奏。あっ、もちろん参加は強制じゃないから。出たくない人は辞退してもいいから」
要するに自由というわけだな、と聡太は解釈した。
「10月の頭までに出る人は出る。出ない人は出ないことを私に伝えてね。直接でもいいし、LINEでもいいから」
じゃあよろしくね、と手をパンと叩き、真子は話を締め括った。
再び部員達の笑いや会話があちこちで聞こえ、うるささを取り戻したところで、
「ねえ、聡太と海斗はどうする?」
近くに座っていた翔が立って近づいて訊いてきた。翔の横には樹も同様に立っている。
「ああ、出るよ」と海斗が答え、なあと聡太に訊いてくる。
「うん。出る予定」
聡太は短く、そう返事した。
「そっかあ、じゃあ一緒に組もうよ」
「いいぜ」
翔の頼みに海斗は了承した。難なく決まって、少し聡太は安心した。
「じゃあ早速、役割分担でもするかあ」
机を真ん中に、囲むようにして四人座った。机の上には海斗が買ってきたポテトチップスの袋がある。
「ねえ、聡太」
ポテチを一つ手に取った聡太に声をかけてきたのは翔だ。口に入れてから、なにと訊いた。
「俺、ボーカルやってもいい?」
唐突な発言に、聡太はおろか海斗も樹も目を丸くした。
「別に良いけど…」
少し困惑しながらも聡太はそう返した。別にボーカルに固執しているわけではないからだ。
「やった! 海斗も樹もいい?」
翔は他の二人にも訊いた。
「別に良いが」
「うん」
海斗と樹も順に口にした。翔は嬉しそうに広角をあげた。
「やってみたいコピーバンドいっぱいあるんだよね。三人は何するの?」
翔は聡太達三人に訊いた。
「俺はドラムで」
「ベース」
海斗と樹は答えた。
「聡太はどうするの? ピアノ?」
翔にそう問われた聡太は、
「いや、ギターやるよ」
ギター?、と確認する声が上がった。
「ギターそれなりに弾けるようになったのか?」
海斗が食いつき、訊いてきた。
「それなりにね。勇太ほどじゃないけど」
勇太というのは高校の同級生だ。文化祭で一緒にバンドを組んだ。
「何か新鮮だな。聡太がギターなんて」
海斗がふふと含み笑いをする。楽しみにしているのかも知れない。
「じゃあ、決まりだ。後は何をするかだな」
そうして、文化祭に向けた話し合いが着々と進んでいった。どのバンドのコピーをしたいだ、あの曲やりたいだとか、各々がやりたいと思うことをとりあえず発言していくことで内容が濃くなっていく気がした。
それから彼らは個人でもグループで練習を始めた。文化祭まではすぐだ。聡太は去年の、文化祭に向けた練習の日々を懐かしく思い出しながら、ギターの練習を行っていった。辛さなんて微塵も感じなかった。
◇ ◇ ◇
「ねえ春奈。今度神谷先輩の所で文化祭あるけど、行ってみない? 勉強の息抜きにさ」
昼食時、教室で弁当を共に食べていた春奈に、友人の楓はそんなことを訊いた。
「うん、行く!」
春奈は迷いなく言った。たまには受験勉強の苦しさから逃れてもいいだろう。ちなみに楓も同じ大学を目指している。
「どんな感じなんだろうね。大学の文化祭って」
楓が卵焼きを口の中に放り込んで言った。
「高校よりもっと自由そうだよね。それに人も凄そう」
「確かに」
卵焼きを咀嚼し、飲み込んだ楓は、
「また先輩ステージに立つかな」
と口にした。春奈はどうだろ、と首を傾げて、
「けど、また歌ってる姿は見たいな」
と祈りを込めたように遠くを見て言った。
「だよね。去年のあれはスゴすぎる。あれには勝てないよ」
楓が勝てないと言ったのは、もちろん去年の聡太達のステージだ。あれには驚愕した。歌、演奏、メロディー、全てが一流に思えた。とても素人とは感じられなかった。そして、グループのボーカルであった聡太には、彼女だけじゃなく、全校生徒が心を奪われたはずだ。
そんな彼らを真似したかのように、今年の文化祭でもバンドのライブがあった。二組ほど有志発表でステージに上がった。
去年と同様、ライブは盛り上がった。特に三年生は最後だからひっきりなしに誰かが歓声をあげてた。はたから見れば、これぞ文化祭というライブだった。しかし、春奈は歓声の中一人、心から楽しめずにいた。
理由は明白だった。去年のライブとの劣りが凄いのだ。歌はそこまで上手くないし、演奏もどこかイマイチ。これぞまさに素人というライブ。聡太のような天才肌の人物は誰もいなかった。
元から期待などしてなかった。けど、春奈の中で去年のあのライブは完成度が高すぎて、脳裏に深く刻み込まれたことで、あれが自分の求めるものとして感じるようになってしまった。文化祭が終わった後にこの事を楓に打ち明けると、彼女も同じだった。何かショボいよねと彼女は笑って言った。
ともあれ、どこか不完全燃焼で終わった春奈にとって、聡太がまたステージに立つ姿が見られるとなれば、行かないわけがない。ネットで上がっているライブの映像は今でも定期的に見返すほど、彼のファンになっているのだ。
久しぶりに楽しみができ、春奈の心は踊った。
◇ ◇ ◇
「今度学祭あるよね、美優行く?」
ランチタイム時に対面に座る沙耶が言った。彼女の前にはホワイトクリームのかかったオムライスがプレートの上にのっている。
「行こうかな」
美優は答えると、学食で人気のあるトマトクリームパスタをフォークとスプーンを使って、くるくると巻いて口の中に入れた。トマトの風味が感じられて、美味しい。うんうんと頷いた。
「せっかくだからね。あと軽音部のステージも見てみたいし」
「なるほどね」
沙耶もオムライスをスプーンで掬って口の中に入れた。オムライスにしようか迷ったが、あれはパスタに比べて200円も高い。そう何度も高いものを食べる訳にもいかずパスタを選んだが、やっぱりオムライスにしたけば良かったかなと、彼女の食べる姿を見て美優は思った。
「そういや、言ってたわ松浦が。って、これめっちゃ美味い」
沙耶は目配せして、「食べてみる?」と聞いてきた。美優は即答して遠慮なく一口もらった。美味しすぎて口がとろけそうになった。うーんと頬を右手で押さえた。
「で、松浦君がなにを言ったの」
沙耶の話が気になって美優は続きを促した。
「昨日たまたま帰る電車が一緒になってね、そん時にバンドやるって言ってた」
「ほんと?」
「ほんと。もし良かったら見に来てくれってさ」
「なら行かないと」
美優は嬉しそうにパスタに手をつけた。また聡太の歌っている姿を見れることができる。それが知れて楽しみが出来てしまった。
「また神谷君の歌聞けるね」
見透かしたように沙耶は言った。美優はうん、と頷き、
「ファンなら見に行かないと」
そう微笑んだ。自称、聡太のファン第一号なのだ。推しを見に行くのは当然のことだ。
学祭が待ち遠しい。久しぶりにこんなに嬉しい気持ちになった。
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