第13話

「受かった…」


新谷美優は自宅のパソコンを見て、そうぼそりと呟いた。今日は大学入試の合否発表の日だ。


画面に表れる『合格』という文字。見間違いじゃない。確かにその二文字が書かれている。


「う、受かったーー!!」


両手を天につきあげ喜びを爆発させた。


これまでの人生で一番といっていいほど勉強した。元々大学には進む予定だったが、もう少し低いランクの大学を受けるつもりだった。だが、彼と同じ大学に進みたいという意思から、希望先を変えた。


自分の成績では到底行けるような大学ではなかった。しかし、彼と同じ大学に行きたいという思いと、自分の挑戦のために受験した。


日々、不安と闘いながら勝ち取った勝利。美優は嬉びと安堵が交じり合って、涙を流した。


「良かったあ。受かってて…!」


美優は『合格』の二文字を目に焼き付けながら、しばしの間、泣いた。



後日、職員室に訪れ、担任の女性教師に合格したことを伝えると、大喜びしてくれた。ぎゅっと美優の体を抱きしめて、「ほんとよかった」と言ってくれた。美優はまた泣きそうになった。


他の教員も集まり、美優は多くの祝福を受けた。恥ずかしかったが、ありがとうございます、と礼を言って職員室を出た。



校内の廊下を歩きながら、教室一つ一つ見ていく。もう学校に来るのは、一回だから、3年間通った校内をじっくりと見て回った。


一年生の教室を回り、過去に自分が在籍していたクラスの前で足を止めた。


(1-2組。ここで神谷君と同じクラスになったんだよね…)


当時のことを思い出しながら、美優は誰もいない教室に足を踏み入れた。


(彼は窓側の席で、いつも外見てたな。私は、沙耶達と話している時に、神谷君の横顔をチラチラ見てたっけ)


彼が座っていた席に近づき、机に手を置いた。


(一目惚れして、頑張って毎朝挨拶してたな。少しでも私のこと見てくれますように、って。まあ結局、私が焦って告白したせいで、すぐフラれちゃったけど)


苦い思い出だが、美優は口元に笑みを浮かべた。


(そっからは全然話すこともできなかったな。気づけば一年生が終わってた。ほんと、何であの時告白したんだろ)


美優は教室を出て、二年生の教室を回り、三年生の教室に向かった。


(1組だから、5組とは教室が遠かったな。でも、教室移動の時とかは5組を通るから、こうしていつも神谷君がいないか、廊下から探してたな)


美優は5組の前の廊下で、足を止めた。


(横顔しか見れないけど、それでもここを通るのが楽しみだった。たまに教室にいなくて、偶然廊下ですれ違った時は、どんな顔していいかわからなくて、いつも下向いてたっけ)


美優はそのまま別館に移動し、ある部屋の前で立ち止まった。


(図書室か。全然来なかったなあ)


最後くらい見ておこう、その思いで扉を開けて中に入った。図書室の明かりはついていたけど、誰もいなかった。聞こえてくるのは外で部活動をする一、二年生の声だ。


(そういえば、神谷君はいつもここで勉強してたんだっけ)


美優は一年の頃の出来事を思い出した。彼と一緒に帰りたくて、彼の後を追って図書室に来たことを。そして彼が勉強する姿を、本棚から見ていた。


(今思えば、ストーカーみたいじゃん。よくあんな大胆なことできたなあ)


一年生の頃は勢いがあったのかもしれない。たかが二年前だが、若いってすごいなと美優は思った。


そんな時だった。ガラッと扉が開かれたのは。


美優は驚いて扉の方を見た。そこには一人の女子生徒が自分のことを見ていた。


(確かあの子は…)


美優はその女子生徒とは話したことはないが、知っていた。彼の近くによくいて、何度も話している場面を見たことがあるからだ。


とても顔が整っている。綺麗というより可愛いが似合う女性だ。正面でみたことがあまりなかったが、ここまで可愛い女性だとは知らなかった。


女子生徒は美優から目を離すと、カウンターの椅子に座った。彼女は机に置かれた本を手に持って、読み始めた。


二人きりの空間に、どこか気まずさを感じる。美優は早々と図書室を出ようと決めた。


出入り口の扉に向かっていると、突然、


「あの」


と声をかけられた。美優はびっくりして足を止めた。


声をかけてきたのはもちろんカウンターに座る女子生徒だ。美優は彼女と再び目が合う。


「なんで、しょう?」美優は恐る恐る訊いた。


女子生徒は、数秒置いて、


「新谷さんは、どこの大学に行くんですか?」


そんなことを訊いてきた。


「えっ?」


美優は思わずそんな声をあげてしまった。少し冷静になってから、彼女に話し始めた。


「何で、そんなことを訊くのかな?」


美優は彼女の顔色を伺いながら訊く。どこか怒っているように見えたから。


「すいません突然。私、二年の乾春奈って言います。それで、どうなんですか」


春奈からの圧を感じる。隠すことでもないので、美優は進学先を打ち明けた。


「そうですか…、やっぱり」


ぼそり、と春奈が呟く。けど、美優はその言葉を聞き逃さなかった。


「やっぱり、ってどういうこと?」


春奈は、しまった、と言わんばかりに顔をしかめた。


春奈は少し沈黙して、こう言った。


「新谷さんは、まだ先輩のこと好きなんですか?」


「えっ?」


彼女の言葉に、美優はどきりとした。そんなことを言われるとは思ってもいなかったから。


何故彼女がそんなこと訊いてきたのか。それは彼のことが好きだから。それしか理由はない。


彼女の強い視線はきっと、自分を敵として見ているからだろう。けど、自分だってそうだ。彼女が彼のことを好きなのなら、こっちも彼女を敵として見て、引き下がるわけにはいかない。


「好きだよ。もちろん」


美優はきっぱりそう告げた。弱い部分を見せず、堂々とした振る舞いで彼女と戦うことを決めた。


「じゃあ、こっちも訊くけど、乾さんは神谷君のこと好き?」


「好きです」


春奈も同様に堂々として答えた。彼女の目は、絶対に負けない、と主張しているように強い意志を感じる。


「新谷さんは一度、先輩にフラれたのに、何でそこまでして先輩にこだわるんですか」


美優は、春奈が何故その事を知っているのか不思議に思ったが、すぐにどうでもよくなった。


「好きだから、という理由じゃダメ?」


美優はそのように口にした。だが、春奈の表情は納得がいってないように、ムッとしている。


「先輩はカッコいいです。学校内で一番といっていいほどカッコいい人です。殆どの女子が先輩のことをカッコいいって言いますし、私だってそう思ってる一人です」


けど、と春奈は続ける。


「殆どの人は先輩のことを外見でしか見ていない。それが本当に腹が立つ。顔がいいからって理由だけで近づくるから、本当に嫌」


「けど、恋愛なんて人それぞれじゃない? それは、あなたが決めることではないんじゃないかな?」


「それは、もちろんそうです」


美優の意見に、春奈は悔しそうに言う。


「顔が良いから好きになる。スタイルが良いから好きになる。好きになる理由なんて人それぞれ。誰に何と言われても、好きになってしまったら、一緒だと思わない?」


「確かにそうです。好きになる理由は人それぞれ。けど、私は先輩のことを顔だけで好きになる人のことは嫌です。新谷さんだってそうなんでしょ? 先輩のことを顔だけで見てるんでしょ。もしそうなら先輩には今後近づかないでください」


「なにをーー」


美優は反論しようとするより先に、春奈が我慢していた思いを全部吐き出すかのように、言葉を続けた。


「私は先輩のことを顔だけでは見てません。少しずつ先輩と話すようになって、その中身も全部見て好きになりました。顔だけ見ている皆とは違います」


反論より先に、なぜ彼女の想いはそれほど強いのか。美優はそこが気になった。


春奈は少しかっとなったことを反省したように、落ち着いて話し出した。


「私はもし先輩に選ばれなくても、別にいいと思ってます。先輩は私のこと全く異性として見てないから。けど、先輩のことを容姿だけで見る人には選ばれてほしくない。だって、先輩は女の人が苦手だと思うから」


肯定も否定もせず、黙ったまま、美優は彼女の言葉を受け取った。けど、心は納得をしていた。


女性が苦手。美優も何となくそう思っていた。彼の女性に対する日頃の態度、言動を見て薄々そう感じ取っていた。だから彼に近づくことに躊躇いがある。けどそれは誰にも相談せず、胸の奥に閉まっていた。しかし、それは確信に近づいたのかもしれない。


「先輩は優しい人です。けど、同時にすごく臆病だと思います。だから、顔だけしか見てない性悪女だけは選ばれてほしくないんです」


春奈の言いたいことに、美優もわかった気がした。


彼を十分理解している自分よりも、理解していない女性ひとが横に歩いていたら、きっと心は冷静にはいられない。私の方が絶対幸せにできる、そう思ってしまう。


けど、恋愛はタイミングだ。過ごした時間が長い短い関係なく、彼の中に自分がいなければ意味がない。長年近くにいた人よりも、出会って数日だけで好きになることだってある。自分の想いとは裏腹に、納得しない結末があるなんてことはざらだ。


きっと春奈は自分よりも長い時間、彼を見てきたのだろう。だから彼の内面をよく知っている。おそらく自分よりも。だからこそ、彼をよく知る彼女にとっては、例え自分が選ばれなくても、彼には良い人と巡り会ってほしいのだろう。


美優は春奈の想いを受け止め、ゆっくりと口を開いた。


「そうだね。確かに神谷君は女の人を苦手かもしれない。乾さんの言いたいことはわかる。でも一つ勘違いしていることがある」


「勘違い?」


ええ、と美優は言った。


「私、彼のことを顔だけじゃなく、内面も見て好きになってるから。そこは勘違いしないで」


最初は彼の容姿に一目惚れした。でも、話す回数が少なくても、彼をいつも外から見ていた美優は彼の優しさを知っている。


下校中、道路で泣きじゃくる子供をあやす姿。友人が困っていたら、手伝う姿。電車で偶然見かけたとき、お年寄りに席を譲る姿。他にもあげたらいっぱいある。


今は容姿だけじゃない。彼の内面を見て、素敵な男性ひとだと思った。その想いは容姿だけを見ていた時よりも、ずっと強くなった。


「乾さん。確かに私は一度、彼にフラれたわ。けど、そんなんで諦めることなんてできない。絶体に神谷君を落としてみせる。だから乾さんこそ、彼には近づかないでね」


不敵な笑みを浮かべ、美優は対抗した。


「新谷さんが容姿だけを見ているわけじゃない、ということはわかりました。でも、嫌です。あなたは先輩に相応しくないです」


「決めるのは神谷君よ」


「それでも、嫌です。だから私が先輩を貰います」


「でも、乾さんはまだ1年間ここでしょ? 私は大学一緒だから、会える時間も違うよ?」


「別にそんなの関係ないです! 私も絶対、先輩の後追ってやるんですから! そしてすぐ降伏させます!」


二人は近づいて睨み合う。


「あのー…」


入り口に女子生徒が困ったように立っているが、二人は構わず言い合った。女子生徒は諦めて、


「えっと、おじゃましました…」


扉を閉めで、帰っていった。


(この子には、負けない!)


(絶対、先輩は渡さない!)


美優と春奈。聡太がいない裏で、密かに熱い戦いが繰り広げられていた。





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