第11話

(かっこいい…)


ステージの上で歌う彼の姿を見て、乾春奈は目を奪われていた。


幕が上がると見えてくる四人のシルエット。観客から見て右から二番目の位置に彼は立っていた。


黒基調の衣装に、セットされた髪型。春奈は普段とは違う彼の雰囲気に、一瞬で虜になった。


メロディーが流れ、響くピアノの音。彼は楽譜を一切見ずに、慣れた手つきで鍵盤を弾く。


ピアノを弾くと同時に、彼の歌声がスピーカーを聴こえてきた。その瞬間に、観客が沸きだった。春奈もその歌声を聴いた瞬間、驚いた。


ステージ上に設置されたスクリーンには、歌詞と彼の顔が大きく映し出されている。少し目にかかる長い髪が、余計に彼の魅力を引き出していた。


サビに入ると、彼の歌声は力強さを増す。春奈は鳥肌が立った。


(すごい……)


図書委員の春奈は、彼が勉強する姿を何度も見て来た。だが、勉強以外で見せるギャップに息を呑んだ。まるで本物の歌手といっていいほど、彼の歌と周りの演奏は完成されていた。


1曲目が終わった瞬間、会場は上下にゆれるような歓声と拍手で支配された。春奈は感動と衝撃が混じりあったかのように、ステージを呆然を見て、手を叩いた。


「かっこいいー!」


「ボーカルの神谷先輩、超カッコイイんだけど!」


ふと、近くにいた女子生徒からそんな声が聞こえた。春奈だけじゃない。曲を聴いていた全員が彼らのステージに引き込まれていた。


四人のステージはさらに熱を帯びていく。観客に合いの手を求める曲、しっとりしたバラードな曲、観客が一層盛り上がるロックな曲。とにかく聴いていて飽きない。


春奈は頬が緩むのが抑えられないほど、彼らの演奏にのめり込んだ。いや、きっと春奈だけじゃない。ここにいる観客全員が春奈と同じだ。


ステージに立つ四人に中で、特に際立っているのは当然彼だった。曲が進むことに顔には汗が見える。セットしていた髪が少しずつ乱れている。それでも彼の歌声は時間を追うごとに強さが増しているように感じた。


春奈はほとんど彼しか見えていなかった。普段クールな彼が観客に見せる笑顔。真剣に歌う凛々しい表情。その表情を見るだけで、胸がぐっと熱くなる。


「本当にありがとうございました。それでは最後の曲です」


あっという間に時間が過ぎて、最後の曲を彼が歌う。彼の顔には汗がびっしりとついているのが確認できる。


「ラララララー…」と彼が手をゆっくりと左右に振ると、観客全員が一緒に振る。メロディもいいが、その光景に春奈は不思議と目が熱くなった。


「ありがとうございました!」


曲が終わると同時に幕が全て降りた。四人の姿は見えなくなり、辺りは暗くなった。


「アンコール! アンコール!」


少し経って、誰かがそんなことを言い出した。声のする方を見れば、怖いで評判な田村先生が声をあげていた。その様子に目が点になるが、すぐにその声は周りに伝染しだした。


「アンコール! アンコール!」


「アンコール! アンコール!」


観客全員が手を叩く。全員また四人の演奏が聴きたいのだ。春奈も声も周りと一緒に彼を待った。


少しして、ピアノの音が流れ、大きな音が耳を貫く。観客が一斉に沸くと同時にステージの幕も上がった。


「アンコールありがとうございます!」


マイクを通して響く彼の声に、春奈は自然と笑顔になった。


アンコール全3曲。会場は沸きだった。


「最後の曲です! 前も後ろも、右も左も、会場の皆さん全員で楽しんでいきましょう!」


最後の曲は有志発表のラストを締めくくる最高のパフォーマンスだった。全員が手を左右に振り、まさに会場が一つとなった瞬間だった。


「皆さんの前でこうして歌えたこと、本当に嬉しくて、楽しかったです! 本当にありがとうございました!」


彼が代表してそう言うと、会場全体から拍手が鳴った。四人が手を繋いで観客に向かって頭を下げた時も、同じように拍手が鳴り響いた。


春奈も彼らの活躍を拍手をして讃えた。昨年の有志発表のラストも盛り上がったが、今年はその比ではなかった。間違いなく昨年より上だ。春奈の中でも、一番楽しかった文化祭だった。




会場の体育館を出た春奈は、すごかったね、と友人の坂井楓(カエデ)に語り掛ける。


「すごかったね!」


おとなしめな彼女にしてはテンションが高く、春奈は少し驚いた。


「ほんとかっこよかった! 特に神谷先輩! あれは全女子生徒惚れるでしょ」


あはは、と春奈は苦笑する。既に惚れています、と心の中で回答する。


友人には聡太が好きなことは現状誰にも話していない。話すと色々とややこしくなるからだ。


「あのルックスに、あの歌声。イケメンで歌が上手いってどういうこと!? それに頭も良いって言うし。完璧すぎない!?」


そうだね、と笑って春奈は応じる。


「漫画のような人って本当に実在するんだ……、って、なにあれ? 写真撮ってるの? すごい人」


楓が前方の人だかりを見て、足を止めた。同じように春奈もその現場を見た。女子生徒たちがスマホを手に持っている。まるで小さな写真会場だ。会場の中心にバンドメンバーの3人が女子生徒に囲まれて、撮影を応じている。


「でも、神谷先輩いないじゃん。いたら一緒に撮りたいんだけどなー」


楓のその思いは春奈も同じだった。もっと彼と写真を撮りたい。文化祭を一緒に回ることはことはできなかったから、せめて思い出だけでも、スマホの中に残したい。


春奈は彼がいないか、辺りをざっと見た。しかし、彼はいない。


「あっ、春奈。どこいくの?」


春奈は群衆の反対方向に歩き出し、体育館の周りに彼がまだいないかどうか探しだした。


すると、ターゲットは意外にも早く見つかった。


「先輩!」


春奈は彼の背を見つけると、反射的に声をあげた。そのまま駆け足で彼の元へと寄った。


彼は足を止めて、驚いたように振り返った。


「い、乾さん…」


彼は一人でこの先の更衣室にでも向かってる途中だったのか、まだステージ衣装は着用したままだった。


「あっ、神谷先輩!」


少し遅れて楓も到着した。


「先輩、いいんですか。まだメンバーの人あっちにいますけど」


春奈は来た道を指差す。まだ群衆が騒いでいるのが見えた。


「あ、うん。あの場にいるのはちょっと…」


困ったように春奈の指す方角を彼は見る。その様子を見て、あまり人混みに囲まれるのは好きではないのかも、と春奈は感じた。


「乾さんは、どうしてーー」


彼は不思議そうに春奈に視線を向けた。なぜ自分を追ってきたのか疑問に思っているのだろう。


春奈はその視線を合わせると、どきりと胸が大きく跳ねた。


「あっ、それは…、えっと…」


途端に恥ずかしくなって、言葉が出ない。昨日は上手く写真を撮ることに成功したのに、今日は何故かできない。


春奈が困っていると、


「神谷先輩! 写真撮ってくれませんか?」


楓が春奈より前に出て、彼をそう誘った。


「えっ、あ、うん。別にいいですけど…」


彼は少々困惑しながらも、彼女の要望に応じる。楓の身長に合わせるように背を少し屈み、彼女の横に立つ。


(むぅ、いいな楓…)


春奈は少し口を尖らせて二人を見る。ちょっと心がざわついた。


「神谷先輩。春奈とも撮ってやってください」


楓が突如そう言うと、春奈は彼女に素早く視線を向けた。楓はまるでわかってたかのように、ピースサインを手に作った。


「ほら、春奈。私が撮るから、そこに並んで」


春奈は楓に言われるがまま彼の横に立った。横目で彼を見ると、彼と視線が合った。春奈は急いで目を逸らした。


(わ、私、なにやってんだろ…!)


顔が熱くなるの感じる。春奈は頬を両手で覆った。


「じゃあ、いくよ!」


楓の合図で写真を撮る。春奈は必死に笑顔を浮かべた。


「先輩、ありがとうございます」


春奈は小さく頭を下げた。こちらこそ、と頭上から声が返ってくる。彼の目が見れない。


『あっ、神谷君いた!』


ふと、背後から女子生徒の声が聞こえると、あっという間に彼の周りを生徒達が囲んだ。


「神谷君すごいね! あんなに歌上手かったの?」


「ねえ、今度一緒にカラオケ行かない!?」


「神谷君、写真撮ってーー!」


春奈達は急いでその場を離れた。元の場所を見れば、彼はもみくちゃにされていた。


その光景を見て、楓と一緒にすごいね、と苦笑しながら口を揃えた。


「そういえば、春奈」


楓が何かを思いだしたかの言う。春奈はなに、と訊いた。


「神谷先輩にいつ告白するの?」


「えっ!?」


春奈は思わず声を大にして驚いた。「な、なんで!?」


「え? だって春奈、先輩のこと好きなんでしょ? 見ていたらわかるよそれぐらい。気づいてないとでも思ってたの?」


たぶんみんな知ってるよ、と楓の発言に春奈は顔を覆いたくなった。


「い、いつから?」


「んー、2年生の始めくらいからかな?」


「そ、そんな前から…」


言葉が出てこなかった。そんなに自分の心が筒抜けになっていたとは。


「で、どうなの?」


楓の問いに、春奈はーー。


「まだ、いいかな」


まるで諦めたかのように、微笑を浮かべ口にする。


「どうして?」


「理由は色々あるんだけど、まだタイミング的に違うかなって」


今日のステージを見た春奈は、彼はとても近くて遠い存在なのだと、改めて感じさせられた。


すぐ話せる位置にいるのに、それを求めたらとても遠く離れてしまう。


同時に、自分に自信がない、というのも理由の一つでもある。新谷美優という綺麗な女性の告白を断った話を聞き、自分なんかが彼から求められるわけがない、そう卑下になってしまっている。


だから今はまだ。告白はできない。


「ふーん。まあ春奈がそう言うのなら。でも先輩3年生だから、あまり時間ないからね」


そうだね、と春奈は首肯する。


「どんなことがあっても私は春奈の味方だから。いつでも頼ってくれていいんだからね」


可愛らしくウインクした友人に、春奈は目を細め、


「ありがと」


そう返すのだった。




数日が経ち。春奈は自宅のベットでスマホを見ながらダラダラと過ごしていた。


スマホの画面に映るのは、観客席から撮影した、有志発表ラストステージ。彼の歌声がスマホのスピーカーから流れてくる。


(かっこいいなあ…)


春奈はニヤニヤしながらあの日の映像を見返している。


あの日から春奈は図書室で彼と合うと不思議と緊張してしまう。ステージで歌う彼の姿を見て、彼への想いがさらに強くなったからか、普段の自分を取り戻せない。


『県内の大学に行くつもりだよ』


彼との会話が頭の中で思い返される。それは春奈がどこの大学に行くのか、と興味本位で訊いてみた時のことだ。


彼があげた大学は、県内でも名の知れた学力の高い所だった。


(大学か…)


あまり進路について深く考えていなかった春奈。3年生になってから何となく決めればいいと思っていた。


しかし。


(ちょっと考えてみようかな…)


動画に映る彼の姿を見ながら、春奈はそんな決意を固めるのだった。












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