第3話

聡太がまだ二年生の頃。


乾春奈いぬいはるなは図書室のカウンターで暇そうに、手元の興味のない本をめくる。表紙には、『恐竜図鑑!』と大きく書かれている。時間潰しように、何となく手に取った本だ。


昼休みの時間、図書委員は図書室でカウンター係をしなければならない。あと、授業終わりに5時まで。一応、シフト制にはなっているが、週に2.3回もカウンター係をするのはとても憂鬱だった。


そもそも、春奈は図書委員になりたいわけではなかった。本当は楽そうな委員会なら何でも良かった。しかし、希望していた委員会はことごとくじゃんけんで敗れ、結局人気がなく、あまりものの図書委員に強制的にならざるをえなかった。


友人と一緒に委員会を入ればいいと思っていたが、この有り様だ。友人はおろか、知っている人が誰もいない。孤立状態だった。


(早く終わんないかな…)


春奈は今日も、口癖となったその言葉を頭の中で唱えた。



放課後。春奈は友人に別れを告げた後、図書室にやって来た。カウンターの席に腰を下ろし、隣の椅子に鞄を置いた。椅子には昼に読んだ恐竜の図鑑が置いてあり、鞄と交換して、図鑑をカウンターの上に置いた。何気にこの図鑑にハマっているのかもしれない。


分厚いページを開き、ぼんやりとした目で眺める。恐竜のイラストが細かく書いてある。横に説明もあるが、読む気にはならない。絵だけで十分だった。


顔を上げて、図書室全体を見渡す。今日もいつものように、生徒は数人。勉強してる人、本が好きなのか熱心に読んでる人、本棚で何か探している人。この3種類のパターンだ。


周りの生徒に気づかれないように、「はあ」とため息をついた。友人たちは今頃、近くの商業施設のフードコートでおいしいアイスやらハンバーガーを食べながら談笑している。春奈一人を置いて。羨ましくて仕方なかった。


退屈。来年は絶対この委員会には入らない。そう胸に誓った時に、ガラガラと入口の扉が開いた。


春奈は興味なさそうにゆっくり視線を向ける。しかし重たげな瞼は、急に目が冴えたように、大きく開かれた。


(あの人、確か二年の神谷さん…だっけ?すごくかっこいい人で有名な)


入って来たのは、春奈たち一年生の中でも有名な神谷聡太だった。いつどんな時だったか、友人がかっこいい人がいるといって話していた人物だった。


春奈は友人の話を思い出しながら、彼を眺めた。


本当に整った顔をしている。ぱっちりとした目に、高い身長。友人が熱く語る理由はわからなくもない。


当然、モテるだろうなと思った。告白も何回もされているらしいよ、というのは実際に見たからこそ納得させるだけのものがあった。


しかし、不思議なことに彼はその数多い告白も全て断っているとの噂だ。その点は春奈も不思議に思った。あれだけの容姿なら、とびっきり可愛い人が横にいてもおかしくないはずなのに。


頑張って狙ってみようかな、と友人は言ったが、すぐにやめといた方がいいよと別の友人が返した。「相手にもされないよ。あんなイケメン」


「だよねー。ていうより、彼女絶対いるもんねー! だから断ってるに違いないって」


あははと友人たちは笑う。春奈も目を細めて笑った。


春奈は彼が席に座ってからも、目線を向けていた。彼は鞄から、教材らしき本を取りだし、机に広げ始めた。勉強でもするのだろうか。


そういえば、と春奈はもう一つ思い出した。確か学業も良いとの噂だ。何でも、学年一位を一年生の時からずっと取り続けているとか。


彼はペンを持ち、ノートに何やら書き始める。教材と見比べてスラスラと文字を連なっていく。


春奈はその様子をずっと見続けた。手元の恐竜図鑑は開きっぱなしだ。でも読む気力は全くなかった。


それから春奈は委員の仕事が終わる5時まで彼を観察した。しかしこれといって何か情報が得られたわけではない。なぜなら彼はひたすら教科書とノートをにらめっこしているからだ。


気づけば5時になり、春奈は席を立ち、机に置いてあった『本日の貸出しは終了です』のプレートをカウンターの中央に立てた。そのまま鞄を手に取り、図書室を後にした。


帰り際、春奈はもう一度彼を見た。彼はまだ勉強をしていた。



春奈が当番の時、彼はほとんどの確率で放課後に勉強をしにやって来る。友人と勉強しに来ることはない。いつも一人だった。


彼と会話をすることもなく、ただぼんやり勉強する姿を眺めることがおよそ半年間続いた。春奈は絵画を鑑賞するかのように、ぼんやりと彼をいつも見ていた。


秋頃だった。春奈と彼の関係が少し変わったのは。声をかけるつもりなどこれまで微塵もなかった春奈が彼と初めて話す機会が訪れたのは。


窓の施錠を確認し、図書室の壁際をまわる。南の窓側に座っている彼とも自然と距離が近くなった。そんな時、彼が消しゴムを落とした。消ゴムは春奈の足元近くまで転がってきた。


春奈は足元の消しゴムを拾って、落としたことに気づいていない彼に話しかけた。


「あのー、」


恐る恐る声をかけてみる。彼は突然声をかけられたことに驚き、手を止めて春奈を見てきた。


「その、消しゴム。落としましたよ」


春奈は拾った右手を差し出す。彼は消しゴムを落としたことにやはり気づいていないようで、机の上を一度見てから、再度春奈の手を見てきた。


「あっ、ごめんなさい。ありがとうございます」


そう言って彼は春奈の右手に、手を添えてくる。肌が触れ、少しどきりとした。


彼は春奈から再び机の上に視線を移す。これで会話は終了。かと思ったが、


「その、いつも勉強されてますよね」


春奈は気づけばそう口にしていた。自分でも予想してない行動だった。口にしてから、なんでこんなこと話したのか、と自分に驚いた。



彼は机に向けていた顔を再び春奈に見せた。少し戸惑ったようだった。話をされるとは思わなかったようだ。


春奈はせっかくだから、という思いで会話を広げた。


「よくここで黙々と勉強してるのを見てて、前から大変そうだなあって思ってたんです」


彼を褒め称えるように、薄く笑った。


彼の顔を今一度見る。本当に整っている顔だ。しかし、今はどこか疲れた顔をしている。目元にはクマがあるのがハッキリわかった。


「大丈夫ですか? その、疲れてる顔してるから…」


春奈は心配そうに、口にした。


「大丈夫ですよ、これくらい。心配してくれてありがとうございます」


彼は少し目を細め、頭を少し下げる。春奈はさっきも思ったが、どこかもどかしい気分になった。


「私、1年なので敬語じゃなくて良いですよ。むしろ敬語だと変な感じがします」


そう指摘すると、彼は視線を下に向けた。春奈の履いているスリッパを見たのだ。1年は色が赤。2年生は紺色なのだ。ちなみに3年は緑色だ。


「そう、わかった…。これでいいかな?」


彼は頬を描きながら口にする。不思議なものだ。普通後輩には敬語を使うことなんて殆どないのに、彼は誰であっても平等な言葉使いでもするのだろうか。春奈は自分が抱いていた彼のイメージと大きくかけ離れた実物とのギャップに困惑した。


「はい。それでお願いします。あっ、名前言ってなかったんですが私、図書委員の乾春奈って言います」


はっと思い出したように告げる。彼も春奈と同じく名を名乗った。


「自分は神谷聡太って言います。あっ、そっか。敬語はなしだったね」


少し笑う彼に、春奈も吊られて笑う。


この日を境に、春奈は彼が図書室に勉強しに来る際に、少しずつ会話するようになった。


授業のこと。部活のこと。日常生活のこと。そんな他愛もない話。それでも春奈は彼と話すことが楽しく、いつの日からか彼が図書室に来る日を待ち焦がれるようになった。


友人たちは相手にされないと言っていた。でも春奈はそんな彼のことを好きになっていった。


誰にも取られたくない。自分だけを見て欲しい。そんな強い恋心を生まれて初めて抱いたのだった。








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