第2話

彼を見たとき、新谷美優あらやみゆうは、その瞬間一目惚れした。


ぱっちりとした目に、端整な顔立ち。身長が高く、痩せすぎない体型はまさに美優の好みを突いていた。


入学して早々、まさかこんなにいい男がいるとは。しかも同じクラスとは、なんてついていることか。美優は彼を視界にいれてから、彼のことが頭から離れなくなった。


名前はカミヤソウタというらしい。漢字で書くと神谷聡太。名前のように、聡明な雰囲気は彼にはあるな、と思った。


美優は過去に付き合っていた人がいる。中学生の時に二人。でも、どちらもすぐに別れた。一人はキスをすぐしようとしたり、体に触れたいのか距離が近く、気持ち悪くてすぐに振った。もう一人は、告白されてなんとなく付き合った。けど、相手を好きになる部分が見つかる気配がなくて、一カ月ほどで振った。どちらも良い経験とは言えない。


恋愛なんて何時でもいいだろう、とダウンタイムを挟んだ矢先、まさかの出会いだった。過去の恋愛とは違う。ここまで心が躍ったのは初めてだった。


美優は持ち前の明るさで彼に近づこうと、距離を縮めようと決意した。まずは挨拶程度から、と登校して彼の近くの座席で群れる友人たちに、「おはよ」と交わして、その流れで彼にも挨拶を試みた。


「神谷くんも、おはよ」


無愛想にならず、にっこりと笑顔を浮かべて彼を見る。彼は目が合うと、驚いたように少し目を見開いた。目が合うと、本当顔が整っているなと改めて関心する。


「…おはよ」


小さい声だったが、はっきりと彼の言葉は聞こえた。美優はそのまま何か会話を広げようとしたが、彼は席を立って、教室を出てしまった。残念な気持ちになったが、挨拶はできたし、よしとしようとすぐに切り替えた。


「神谷くんって本当にイケメンじゃない?」


彼を見ていた友人の一人が、グループ全体にそう言葉をかける。皆、うんうんと首を縦にして、話が広がった。やはり女子は皆、彼の容姿には一際意識しているようだ。


たぶんみんな狙ってるんだろうな、と美優は口にはせず、頭の中でそう思った。




彼と距離を縮めるために、美優はそれから毎日挨拶を交わした。彼は小さい声だが、一応返してくれる。しかし、一向に美優に心を開く気配がない。


もしかして嫌われている、なんてことを考えたが、すぐにないと頭を振った。彼に嫌がることなんてしたことないし、そもそも思い当たる節がないからだ。


だが、彼の美優に対する視線は何も含まれていない。ただのクラスメート。そう意味付けられる視線をしていた。事実、彼から話かけられたことは一回もないし、言葉を交わすことは朝のおはようだけだ。


このままではいけない。そう美優は感じ、「よしっ」と気合を入れた。


放課後、部活に入っていない美優はいつもならすぐに帰宅しようとするが、今日は彼を誘って一緒に帰ろうと思案していた。終礼が済み、部活やらで大方、人がいなくなったクラスで、少し遅めに教室を出た彼の後をこっそりとつけた。彼が部活動に所属していないのはとうに知っている。友人の橋本渉はサッカー部だから彼より先に教室を出ている。美優の友人も部活で誰も彼女と帰宅する人はいない。彼が一人のタイミングで誘うのはそれほど難しくないのだ。


このまま昇降口でばったり会い、流れで誘おうというシチュエーションを頭に描いていると、次第に緊張で胸の鼓動が速くなってくる。でも、恐怖心はなかった。大丈夫だろうと、謎の自信が美優の足取りを軽くしていた。


しかし、思わぬことが起こった。彼は昇降口に行かず、すぐ横の階段を上ったのだ。美優は驚き、少し駆け足になって彼を追った。


二階に上がり、彼はそのまま廊下を真っすぐ歩き、突き当りの教室を何の躊躇いもなく開けた。彼が中に入るのを見た後、美優は教室の扉の前に立ち、上に書かれた表札を見上げた。


(図書室…)


図書室に来たのは初めてだった。別に本が嫌いなわけではないが、寄る用事がなかっただけだ。扉の窓から中を覗くと、教室二、三個分の広さに整列された本棚が並んでいる。中央には長机が5列ほど並列しており、そこには数名の生徒たちが本を読んだり、勉強をしているのか、本を広げて、にらめっこしている。


このまま覗いているのもあれなので、美優は扉に手をかけ、中に入った。初めての場所に少し興味が沸いた。どういう本が置いているのか少し気になった。


彼は南の窓側の長机の一番端に腰を下ろしていた。彼の傍には生徒はいなかった。


美優は奥の本棚まで移動し、どういう本があるのか調べるとともに、彼の動向をちらりと探った。


彼は鞄を隣の席に置くと、一年時に使用する教科書を鞄から取り出し、机に広げた。そのまま一冊を手に取って、自分の近くに置くと、傍らにノートを広げ、教科書見ながら、ノートに文字を書き込み始めた。


(もしかして、いつもここで勉強しているのかな…?)


いつも、という言葉が出たのは、彼の学業の成績を知っていたからだ。彼は先に行われた中間試験で学年一位だったのだ。偶然、彼と渉の会話を聞いてしまったため、美優は彼の成績を知ることになったのだ。


とはいえ、学年一位なんて、並大抵の努力でできるものではない。彼はいつもここで放課後勉強していたから、勝ち取った成績なのだろうと、美優はそう判断した。


美優の気配にこれっぽっちも築かない彼の横顔は、とても美しく、いつにもましてかっこよく見えた。外見だけじゃない部分に、美優はますます彼の虜になった。


二時間ほど経ち、彼はようやく勉強に一区切りつけたようだ。美優はずっと本を調べ、時折手に取って読んでいた。途中、帰ろうか迷ったが、ここに来て諦めるのは嫌だった。


彼が図書室を出て、美優も後を追う。そして昇降口に行き、偶然その場で会ったかのように彼に話かけた。


「か、神谷くん。今帰り?」


我ながら大根芝居だと思った。しかし後にはもう引けない。彼は誰もいない昇降口で話しかけられたことに驚いたのか、体が一瞬固まった。


「そうだけど…」


彼の顔には、君は一体こんな時間まで何を?という意味が込められているかのように見えた。


「私は、ちょっと友人と喋ってたり、職員室とか行って、こんな時間になっちゃたの」


咄嗟に思いついた嘘にしてはひどかった。事件とかだったら、真っ先に警察に疑われるだろうなと思った。


「そう」彼は呟き、真下にある靴に視線を落とし、慣れたように靴を履いた。


彼は一度、美優に視線をやると、「じゃあ」と、会釈して昇降口を出ようとした。


「あっ、待って」


反射的に美優はそう口にしていた。彼は足を止め、美優に振り返った。


「その、良かったら、一緒に帰らない?」


恥ずかしくて目線を逸らしたくなったが、しっかり彼の目を見て言えた。彼は、少し沈黙して、


「いいよ」と短く返事した。



校舎までの長い坂道を下りながら、横に並んで歩く。それは傍から見れば恋人同士と見えるだろう。


彼の横顔をちらりと見る。美優に歩調を合わせ、真っすぐに前を見ている。遠くに見える山々を見ているように思えた。この時期は日が長いから、まだ七時前でも、外は明るかった。


ずっと沈黙は嫌だから、美優は少し気になっていたことを尋ねてみた。


「神谷くんって、いつも図書室で勉強しているの?」


すると、彼は目を大きくして美優を見た。なんで知ってるの?と。


「あ、その図書室の近くに行った時、神谷くんが勉強しているのが見えて」


本当はずっと中にいたけど、と心の中で付け足した。


そう、と彼は短く呟くと、「いつもではないけど、週に3、4回は」と口にした。


「すご。それって、ほぼ毎日じゃない?」


美優はそう言うと、彼は少し口角を上げた。「かもね」


あまり見ない彼の笑みに、美優は少しほっとした気分になった。自分の発言に笑ってくれて嬉しいのだ。


「そんなにやって、疲れないの? 勉強大変じゃない?」


「大変…、だけど。なるべく上位にはいたいから」


「私じゃ絶対無理だなあ。毎日勉強なんて」


美優は体が熱くなるのを感じた。普段挨拶を軽く交わすだけの彼と会話するだけで、こんなに胸が躍るとは。今なら、どんな大胆なこともできそうな気がした。


それから二人は会話を重ねた。普段家でなにやってるのとか。話題の有名人についてや、万人がするようなありきたりな話をした。彼は口数は少ないが、美優の言葉にはしっかりと返してくれた。もしかしたら、シャイなのかも、と話すうちに彼の性格を分析した。


二人だけの時間は早いもので、すぐに終わりを迎えた。彼の自宅は美優と正反対らしく、彼の足が止まったをきっかけに、別れが訪れた。


美優はまた明日ね、と言うと。彼も「また」と口にした。そして互いに別々の方角に歩き出す。


しかし、美優は足を止めた。そしてすぐに反対方向に駆け出し、彼を追った。


「神谷くん!」


まだ彼の背中はそう遠くはなくて、すぐに追いつけた。美優は少し胸を抑えて、呼吸を整えたのち、決意に満ちた顔で彼に言った。


「私、好きなの。神谷くんのこと。その、私と付き合ってくれませんか?」


人生で初めて異性への告白。彼と会話し、美優は思った。彼は異性を惹きつける魅力があり、とても素敵な人だと。早く行動しないと彼を他の女にとられるんじゃないかという不安が、急に襲ってきたのだ。


美優の言葉に、彼は少し沈黙した。そして彼は美優が大方予想していた言葉を口にした。


「ごめんなさい」


短い返事。美優の視線をそらし、申し訳なさそうな表情。それだけで十分に伝わって来た。


美優は、カラカラな喉から無理にでも言葉を絞りだして、笑みを繕った。


「ごめんね、急に! 変なこと訊いちゃって。もう遅いし、また明日ね。じゃあね!」


逃げるようにして、彼に背を向け、駆けだした。まだ胸は太鼓のように大きく音が鳴っている。


けど、顔が熱い。特に目が。気づけば何か流れてきた。


足を止めたら、その場で動けなくなりそうな気がした。


自分の気持ちを受け入れてもらえないことが、こんなに苦しくて、悔しいことなんて思わなかった。


美優は一人泣きながら、自宅までの道のりを走った。




彼に思いを告げて二年が経つ。あれから彼とは全く言葉を交わしていない。それでも彼への想いは全く変わらない。


ただ変わったのは、前より彼との距離が遠くなったこと。


クラスは違う。だから彼とは時折、廊下ですれ違うか、廊下から彼の教室を覗いて、彼が席に座る姿を見るだけ。


もう叶わぬ恋なのに、彼への想いは冷めてくれない。


美優は遠くから彼を見つめる時、いつも泣きそうな思いになる。でも、彼から目を離すことはできずにいる。


















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