田と力

 時刻は20時になった。しかし勇遂の命が無事である知らせは未だに無い。集中治療室から個室病室へ移動し、酸素マスクと輸血パック、点滴を繋いでいる状態である。


 やっと面会が許され、病室には丸椅子に座る竹中と澪。雅彦は床頭台にあるバイタル記録を見て立ち尽くす。脈拍、酸素飽和度共に悪くなっていく一方で辛い現実が続く。


「勇遂……」


 全員言葉を発する事が出来ない。医療で出来る事はやり尽くした。あとは本人の頑張り次第である以上、三人は待つ事しか出来ない。勇遂の心拍数を伝える電子音が刻む中、バァンッと勢いよく扉を開ける音がする。



「はぁ……ッはぁ……」



 それは先程病院から飛び出した春日だった。彼女は手に丸めた画用紙や古い書物を抱え、息を切らしながら勇遂のベッドにヨロヨロ向かっていく。


「安西……君は……⁉︎」


「礼美ちゃん……⁉︎ 朝までもつか——分からないって」


 澪の涙声を聞き、春日は息継ぎをしながら勇遂を見る。かなり顔色が悪く、息も弱々しい。変わらない絶望的な状況を感じた春日は、澪の方を向いた。


「澪ちゃん、安西君助けられるかもしれない」


「え……」


「みんな、これを見て欲しいの」


 泣き疲れて目が真っ赤な澪が顔を上げると、春日は病室にある長テーブルをガラガラ引き、そこに丸めた画用紙を広げた。


 三人が集結し、それを見てみると画用紙に縦書きでひらがなの文章が書かれ、隙間にクレヨンで絵が追加されているものだ。小学生低学年が手がけたものと思われる。竹中が最初に訪ねた。


「春日さんこれは……?」


「小さい頃、文化会館の子供コーナー向けに作った、啼澤伝承なきさわでんしょうの張り紙。私、歴史が好きだから、館長のお父さんから聞きながら書いたの。それで——この部分、見て」


 春日が指差したのは、ナキサワメのおはなしと書かれた鉛筆文字の真ん中辺りの文章だ。



するとかみさまは

あめをふらせました

ひとびとのいのちはすくわれたのです



「——天明の大飢饉は、ほぼ全ての村人が餓死寸前だったらしいの。でも当時の記録では、死者の数はかなり少なかった。食べ物作る余裕ないのに、雨が降っただけで……こうはならないよ」


 地域の歴史を熟知してスラスラ話す春日に澪と竹中がキョトンとしていると、春日は紙を丸め、文化会館から持ち出したと思われる古い書物を広げた。


「これお父さんが会館に隠してた書物なんだけどさ、ここの古文——翻訳するとね……『ナキサワメの神格は降雨、そして延命である』って書いてあるの」


「ナキサワメ様に、延命の……神格が? 本当なの礼美ちゃん⁉︎」


「うん。根拠の一つに、御神体になってる啼澤なきさわ神社の井戸は、平癒へいゆのご利益があるらしいの。中学生の時、町内会でお父さんは、こんなんありきたりで町おこしには使えーんってスルーしてたけど、私が試しに井戸水を擦り傷にかけたらすごい速さで治ったんだ…不気味な出来事だったから、今まで誰にも言えなかったけど」


 澪は春日の話にデジャヴを感じ記憶を洗い出す。そして思い出す、確信的な出来事を。芳江に怒られた時の事だ。


「——私も、昔怪我した時、手水舎で洗ったらスッと痛みが引いて、すごい速さで治ってた……」


「ねぇ、それ安西君を助ける事に使えないかな⁉︎」


 春日の提案に全員が顔を上げた。それが本当なら縋りたい方法である。しかし話が無茶苦茶である事は否定できない、全て春日の推測にしか過ぎず、ご利益頼りという非現実的な方法でしかない。誰もが賛成出来ず澪が口を開いた。


「でも……それは勇くんを井戸まで連れてかないと多分ダメだよ……今の状態で連れ出して、上手くいかなかったら……」


「安西君任せなくらいなら、神様のご利益に頼りたい! 澪ちゃんが連れてかないなら、私が車椅子押してでも……ッ」


「俺が連れていく」


 春日の言葉の前に出たその声は竹中だった。彼は両手をギュッと握り、覚悟の表情で女子達に向けて言う。


「おぶった方が、安西には負担が少なくて安全だ。そもそも病院から重体患者を連れ出す事自体、大問題だろ。俺に責任を——背負わせてくれ!」


「竹中くん……」


 若者達が言葉をぶつけ合う中、完全に心が折れて傾聴していた雅彦は感化されて、大人びた言葉をかけた。


「……ナキサワメ様の神格やその歴史文献は、安西家である俺ですら知らなかった。だから、正直その話に信憑性があるとは思えない。仮に本当だとしても、神様は簡単には聞き入れてはくれないだろう」


 雅彦は死にかけている勇遂を見た。若者達の勢い任せに、大事な息子の命を預けていいか無言で悩む。神に暴言を吐き、泣女の命運に文句を言い続けた彼を神に託して良いのか、悩む。そしてベッドに近付き、残された家族に問う。


「勇遂、お前は百姓の末裔——安西家の『田』と『力』だ。神様にお願いするまでの間は、お前の頑張り次第だぞ、やれるのか?」


 真剣に聞くと、勇遂は頑張って息をしていた。ここからおぶって連れ出すという事は、少なくとも酸素を外さなければならない。本当に気合い頼りになる。



「どうなんだ、勇遂ッ!」



 雅彦の怒号が静かな病室に反響する。勇遂の顔をジッと見つめる。生死を彷徨う彼に苦痛な表情は無い。痛み止め点滴のおかげもあるだろうが、いつも通りの、意地っ張りで弱さを隠す勇遂の顔であった。


「……やれるんだな、勇遂。お前がいなくなったら、病院で騒ぎになる——後の事は大人の俺がなんとかするから、みんなに連れてって貰いなさい、泣沢女神ナキサワメ様の所に」


 勇遂は若者達の行動に任せる事にした。若者らしい、勢い、思い込み、無茶。そして人が最後の最後に行き着く——神頼み。全てが、啼澤なきさわ神社に集結する。

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